青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

青い鳥の短歌  二、

2008年01月16日 | 短歌に政治や社会

★ 静やかに 染み入るように ほの白く
        
リンゴの花は やさしく開く

★ テーブルの ボタン菊見て 思いなば
        道に生きても 楽することはなし

★ 思いきり ボール蹴飛ばす 笑い声
        窓の外には 青空のぞく

★ のんびりと お湯につかると 青かった
        窓辺に望む 山と空とが

★ 田は苗を 受けて育むが 真(まこと)なら
        子を受け入れる 世にてあらねば

★ のどかなる つつじ連なる 通り道
        五月の空に 紅と白とが

★ 手探りに 求め続ける 幸せに
        合わせた両手は 語り続ける

★ 軒先に さっと飛び交う ツバメ鳥
        今年も来たりて 巣作りをする

 ★ 親鳥の 餌待ち受ける 子ツバメに
        きずな望みて 道また望む

★ はるかなる 業に生きても 今もなお
        水に漂う 映し絵すくう

★ 軒先に さえずり騒ぐ ツバメたち
        間近に迫る 梅雨を誘うか

★ 青空に 流れ流れる 山並みに
        時の行方を 思いもする

★ 梅雨めいた 青空うけて 生き生きと
        垣根彩る アジサイの花

★ 曇りても 目にも心に 鮮やかに
        ユリの里なる 花の広がる

★ 七夕の 笹竹のごとく 健やかに
        二歳になれし 男(おのこ)すくすく

★ またたきぬ 星の光に 思い込め
        君が思いに 我が思いを

★ 梅雨半ば 輪投げをするよ どこにする
        手には入れよか 足に入れよか

★ にぎにぎと 歳を忘れて 遊ぶるは
        手拍子も打つ 夏のお祭り

 

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人命は・・・・

2008年01月16日 | 人生設計

崖っぷち犬のときもそうだったが、今回のサギ捕獲救出作業の様子をテレビは大々的に報道していた。その一方では十数回もの救急患者受け入れ拒否された末に亡くなられて人が数件ある。それだけでなく孤独死した人は年間六十人、八年間では五百人超にも上っている。
犬や詐欺の救出には大童になっても、これらの人たちの救出は後回しになっている。
「人名は地球よりは重い」といいながら、今では犬やサギより軽く扱われているみたいだ。そして犠牲者や遺族がどんなに悲しもうと嘆こうと、世の中や社会や政治家たちを恨むなと言うことらしい。テレビなどの公衆の面前でパンツ一枚になり「そんなの関係ないや!」といっている間に、次はそうなるのは貴方かもしれないし、私かもしれない。
環境は悪化し、温暖化し、地殻変動も起きている。

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鶏が先か卵が先か

2008年01月16日 | 人生設計

「鶏が先か卵が先か」という謎々のような問いがある。レッキリとした哲学の問題でもあるらしい。この問題に、一つの解答が得られたとインターネットに出ていた。
それによると遺伝情報を持っていない卵でないと、鶏は生まれてこないと言うことで卵が先ということになっているのだが、納得できたようなできないような感じがする。
それはさて置き、この「鶏が先か卵が先か」を鶏とか卵という物としての物理的に見るのではなくて、精神的なものを交えてみるのも面白い。
例えばタバコを吸うとか酒を飲むとかで見ると、タバコや酒を吸ったり飲んだりする本人と、本人あるいは周囲の人達はちょうど「鶏が先か卵が先か」というアンパイになる。タバコや酒を吸ったり飲んだりする本人には気持ちのよいことかもしれない。しかし本人の健康にも周囲の人達にも、迷惑を及ぼしている。ことに酒を飲むとなると本人は気持ちが良いかもしれないが、酩酊するとわめいたり暴れたり、悪くすると飲酒運転となる。
こういうところから「本人の意図が先か周囲の意図が先か」となり、鶏が先か卵が先か」と同じ構図になる。
この「鶏が先か卵が先か」の問題は、鼻先ににんじんを吊り下げられて突っ走る馬のような訳には行かないと言う、こういう問題でもあるだろう。
 

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