星を数えながら

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分かち合えればいいなぁ。

100点満点

2006年12月05日 08時36分57秒 | Weblog
聖書から語られるメッセージで、忘れられないメッセージ、
自分の信仰の大きな土台となったメッセージ、
何かの時にふと思い出されるメッセージ、というものがある。

今から2年前だろうか、11月23日(祝)の関西教区青少年賛美大会で
アッセンブリー京都教会の長澤聖志師が語られたメッセージ、
「喜びの置き場所」(私が勝手に命名した)もその1つだ。

「私たちは神様に喜ばれるために一生懸命頑張るのではありません。
 もうすでに神様に喜ばれているから、一生懸命になれるのです」
言葉は正確ではないが、そういうことをメッセージで語られていたと思う。
ある意味大きな衝撃を受けた、そんなメッセージだった。

その長澤先生に、電話で少しお話しを聞いた時、
「以前はマイナス100点の自分を変えるために一生懸命していた。
 何とかマイナスを取るために、頑張っていた」と言われていた。
話しを聞きながらすぐに話しの先を読む私は、きっと長澤先生は
「イエス・キリストを信じて、今はそのマイナスが取れて、
 ゼロになった。スタート地点に立った」と言うだろうと予測していた。

しかし私の予想は、完全に裏切られたのである。
「イエス・キリストを信じて、100点満点を頂いたから、
 今はもう嬉しくて、何かをせずにはおれないんです」と語られた。
聞きながら、何だか涙が出てくるような思いになった。

数年前の平井堅の「LIFE is ...」という曲に
 「自分を強く見せたり 自分を巧く見せたり
  どうして僕らはこんなに 息苦しい生き方選ぶの?」
と歌い出す切ない系のナンバーがある。
点数を稼ぐために、いつも良く見せることを目指していたように思う。
減点されないように、悪く思われないように、
どこかでいつも自己弁護の言葉を探していたように思う。

そんなことしなくても、イエス・キリストの十字架によって、
足りないところ、減点されなければいけないところは、
もうすでに赦されているんだ、何も足さなくてもいいんだ、
もう100点満点をもらっているんだ、そう思うと本当に感謝だなぁと思う。

時々喜びの置き場所を間違えて、疲れたり、つぶやいたりしてしまう。
今はもう、すでに神に喜ばれている、
そんな思いをいっぱいにしてクリスマスを迎えたい。

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