昨年道路交通法の改正があったようで、
人の力と動力補助の比率が、最大1:2になったそうだ。
(今までは1:1だったようだ)
もちろんスピードが出るとこの比率は下がり、
時速24キロ以上になると補助力はなくなるので、
スピードが出過ぎることはなくなるという安心設計だそうだ。
イエス・キリストを信じて信仰をもったからと言って、
人生の坂道がなくなるわけではない。
でこぼこ道もあれば、砂利道も水たまりも、
心臓破りの坂道も依然としてある。
でもキリストを信じる者は、坂道を自分の力で、
立ちこぎをしながら歯を喰いしばって登って行く必要はない。
だからと言って、何もしないで自動的に登れるわけでもない。
適度な汗をかきながら、しかし聖霊の力に支えながら、
頂上にある風景を望みつつ、坂道を登りきることができるのだろう。
毎朝、教会員の婦人の方が祈りに来られた後、
電動アシスト自転車で、少しなだらかな坂を軽やかに登っていく、
そんな後姿を見ながら、電動アシスト自転車と信仰生活は、
どこか似ているなぁと感じていた。
人の力と動力補助の比率が、最大1:2になったそうだ。
(今までは1:1だったようだ)
もちろんスピードが出るとこの比率は下がり、
時速24キロ以上になると補助力はなくなるので、
スピードが出過ぎることはなくなるという安心設計だそうだ。
イエス・キリストを信じて信仰をもったからと言って、
人生の坂道がなくなるわけではない。
でこぼこ道もあれば、砂利道も水たまりも、
心臓破りの坂道も依然としてある。
でもキリストを信じる者は、坂道を自分の力で、
立ちこぎをしながら歯を喰いしばって登って行く必要はない。
だからと言って、何もしないで自動的に登れるわけでもない。
適度な汗をかきながら、しかし聖霊の力に支えながら、
頂上にある風景を望みつつ、坂道を登りきることができるのだろう。
毎朝、教会員の婦人の方が祈りに来られた後、
電動アシスト自転車で、少しなだらかな坂を軽やかに登っていく、
そんな後姿を見ながら、電動アシスト自転車と信仰生活は、
どこか似ているなぁと感じていた。