昨日の昼、ある方と昼食をご一緒した。
楽しい会話の中で、「一羽の雀」の話しが出てきた。
それは、今は引退されて京都におられる
私の大先輩のT師が話されたことだそうだ。
若かりし頃、極寒地域で牧師として働かれておられた時、
まだ日本の社会も貧しい時代で、
牧師の生活もそれ以上に貧しさを強いられる時だった。
「家族もいる、でも充分に食べるものがない。
もう牧師の働きを辞めようか」と思いながら、
朝、歯を磨きながら窓の外に目をやると、
丸々太った一羽の雀がいたそうだ。
(私は一瞬、その雀を美味しそうに思ったか、
網を持って捕まえに行ったのかなと思った・笑)
その時、T師は聖書の言葉を思い出した。
「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。
しかもあなたがたの父の許しがなければ、
その一羽も地に落ちることはない。
またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
それだから、恐れることはない。
あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である」
マタイ10:29-31
T師は「あの雀はどこから餌を得ているのだろうか。
そうだ、神様は一羽の雀さえも目にとめて下さるんだ」
と神の言葉によって励まされたそうだ。
そして神の不思議な方法で、家庭が支えられていったとのこと。
先日T師とお電話で話しをさせて頂いていたので、
T師が独特の口調で話される様子が想像できた。
そして私の頭の中では、レーナ・マリアさんが歌う
「一羽の雀に」が流れ始めていた。
心くじけて、思い悩み
などて寂しく、空を仰ぐ
主イエスこそ、我が真の友
一羽の雀に目を注ぎたもう
主は我さえも 支えたもうなり
声高らかに、我は歌わん
一羽の雀さえ 主は守りたもう
心静めて、御声聞けば、
恐れは去りて、ゆだねるをえん
ただ知らまほし、ゆくての道
一羽の雀に目を注ぎたもう
主は我さえも、支えたもうなり
声高らかに我は歌わん
一羽の雀さえ 主は守りたもう
楽しい会話の中で、「一羽の雀」の話しが出てきた。
それは、今は引退されて京都におられる
私の大先輩のT師が話されたことだそうだ。
若かりし頃、極寒地域で牧師として働かれておられた時、
まだ日本の社会も貧しい時代で、
牧師の生活もそれ以上に貧しさを強いられる時だった。
「家族もいる、でも充分に食べるものがない。
もう牧師の働きを辞めようか」と思いながら、
朝、歯を磨きながら窓の外に目をやると、
丸々太った一羽の雀がいたそうだ。
(私は一瞬、その雀を美味しそうに思ったか、
網を持って捕まえに行ったのかなと思った・笑)
その時、T師は聖書の言葉を思い出した。
「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。
しかもあなたがたの父の許しがなければ、
その一羽も地に落ちることはない。
またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
それだから、恐れることはない。
あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である」
マタイ10:29-31
T師は「あの雀はどこから餌を得ているのだろうか。
そうだ、神様は一羽の雀さえも目にとめて下さるんだ」
と神の言葉によって励まされたそうだ。
そして神の不思議な方法で、家庭が支えられていったとのこと。
先日T師とお電話で話しをさせて頂いていたので、
T師が独特の口調で話される様子が想像できた。
そして私の頭の中では、レーナ・マリアさんが歌う
「一羽の雀に」が流れ始めていた。
心くじけて、思い悩み
などて寂しく、空を仰ぐ
主イエスこそ、我が真の友
一羽の雀に目を注ぎたもう
主は我さえも 支えたもうなり
声高らかに、我は歌わん
一羽の雀さえ 主は守りたもう
心静めて、御声聞けば、
恐れは去りて、ゆだねるをえん
ただ知らまほし、ゆくての道
一羽の雀に目を注ぎたもう
主は我さえも、支えたもうなり
声高らかに我は歌わん
一羽の雀さえ 主は守りたもう