星を数えながら

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十字架の道

2008年08月09日 09時50分38秒 | 聖書・賛美・メッセージ
昨日の早天でマタイによる福音書26章を読んだ。
十字架に掛かる前のイエス様と弟子たちの様子、
そして無実の罪で訴えられる裁判の様子が記されている。

根も葉もない不利な証言が次々となされているのに、
イエス様はそれに対して一言も反論されず黙っておられた。
ただ「あなたは神の子キリストなのか?」と大祭司に問われると、
「その通りだ・・・」はっきりと断言してはばからない。

普通の裁判は、不利な証言がなされれば、
それに対してあらゆる言葉を使って弁明をする。
また核心的なことでも、言いたくないことは
黙秘権として言わなくてもゆるされる。

イエス様の裁判は、何もかも反対なのだ。
罪が裁かれる裁判で、無実の罪をきせられる。
自分を弁護してもいい時にそうはなさらず、
心象が悪くなっても言わなければならないことは宣言する。

何も裁判だけの話しではないだろう。
根も葉もないことを言われると、多くの言葉で反論したくなる。
たとえ自分に非があることでもそれを指摘されたなら、
なりふり構わず言い訳と弁明に明け暮れたくなる。

相手の顔色をうかがいながら、
本当に言わなければならないことなのに口をつぐんでしまう。
それは相手に悪く思われたくないから、
そして自分も傷つきたくないからなのだろう。

批判された時に、感情的にならないで静かな態度でいること、
たとえ悪く思われても、相手の気に障ることになったとしても、
自分が傷つくことを恐れないで、真実を語ること、
それは十字架の道を歩む者が通るところなのだろう。

そんな十字架の道を歩む時、すぐそばにキリストがおられる。
そして十字架の道を通った者だけが、復活の道を生きることができる。
一人で歩むのではない。十字架の主が共にいて下さる。
そして復活の主が、栄光を表して下さる。
主の御足の跡を行かせて下さい。