背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

今年初の映画~『望郷』と『男はつらいよ』

2009年01月02日 18時37分18秒 | フランス映画
 ジャン・ギャバンの『望郷』(ぺぺ・ル・モコ)を昨年からずっとまた見直そうと思っていた。この映画、すでに五、六回は観ているのだが、最後に観たのはもう何年も前のこと。細かいところは忘れてしまっていた。
 実は、昨年の夏前にシナリオ作家の石森史郎さんと親しくなり、喫茶店でフランス映画のことを話していたときに、たまたま『望郷』の話になった。石森さんは映画監督のジュリアン・デュビビエが好きで、とくに『望郷』が大のお気に入り。私は、デュビビエの映画の中では『望郷』をそれほどの傑作だと思っていなかったので、「あの映画のどこがいいんですか?」みたいな質問を石森さんにした。すると、「あなたは『望郷』をちゃんと観ていないでしょ」と叱られた上に、クイズを出された。
「ジャン・ギャバンのぺぺ・ル・モコが初登場するとき、初めにネクタイが映るけど、どんな柄だったか言ってみなさい」と石森さん。
「すいません、覚えていないんですけど……」と答えると、
「ダメじゃないか!ネクタイは水色の水玉模様ですよ」
「えっ、あの映画は白黒ですけど……」と私が言うと、
「白黒でも色は分かるんです!」
 もう口答えのしようもない。あのまくし立てるような早口で石森さんが言う。
「初めにネクタイが映って、そこからキャメラが上へ移動してギャバンの顔のアップになるんだよな。ギャバンって美男子じゃないよね。ジャガイモみたいな顔だけど、フランスじゃああいう男がダテ男なんだな」
「ダテ男って、もともと伊達藩の侍のことだから日本人のことを言うんじゃないですか」と私。
「まあそうだけど、あのネクタイにパリジャンのダテ男ぶりを象徴させているわけだよ。うまいと思わないのか」
「はい」
「ギャバンのペペ・ル・モコはパリジャンだろ。それがアルジェのカスバに逃げ込んで、ずっとそこに居るうちに故郷のフランスが恋しくて、もう帰りたくて仕方がなくなるんだね。カスバの女はみすぼらしくて、フランスから観光に来たパリジェンヌがやけに美しく見えちゃってさ。この女、金持ちの爺さんの愛人なんだけど、ぺぺは目が眩んじゃうわけよ。女にパリの地下鉄の匂いがするなんて言っちゃってさ」
 石森さんにとって『望郷』は、青春の記念碑のような想い出深い映画らしく、詳しいのなんの!微に入り、細に入り、あきれるほどよく覚えている。彼は『約束』という映画のシナリオを書いているが、そのラスト・シーンは『望郷』のラスト・シーンを真似たのだと言う。『約束』でショーケンが岸恵子と最後に別れるところで、鉄柵を使ったのがそうらしい。
 クイズは続く。第二問である。
「ギャバンがあの映画の中で唄うシャンソンがまたいいんだよな。知ってる?」
「えっ、歌なんかありましたっけ」
「僕はちゃんと歌えますよ。メロディだけだけど……」
「で、フランス語の歌詞は?」と尋ねると、石森さん、急に低姿勢になり、
「実は、あなたに頼みがあるんだけど……、あの歌の歌詞をメモしておいてくれないかなあ」と来た。
 とんだ課題を出されたものである。それを今の今までほったらかしにしておいた。そこで正月の暇なときに『望郷』をじっくり見直そうと思ったわけである。
 元旦にビデオを探し出し、さて観ようと思ったら、これが三倍モードで録画したヤツで、映画が3本入っているではないか。「寅さん」2本の間に『望郷』がはさまっている。早送りして『望郷』だけ観ようとも思ったが、面倒臭いので、「寅さん」から観始めた。「寅さん」もテーマは「望郷」である。
 まず、一本目の『男はつらいよ 純情詩集』を観る。マドンナは京マチ子で、壇ふみが娘役で出演しているアレだ。「寅さん」のシリーズでは、マドンナが最後に死んでしまう唯一の作品である。
 さて次にいよいよ『望郷』が始まり、ネクタイの柄を確認しようと目を凝らす。ギャバンの顔が現れる前にネクタイが映るのは石森さんの言う通りなのだが、柄が違うじゃありませんか!水玉模様ではなく、小さな四角形を並べた模様なのだった。色は分からないが、水色でないことも確かで、多分クリーム色の地に四角形の模様は赤色のような気がする。白黒の映画なので、これはあくまでも想像にすぎないのだが……。ソファに寝そべって、字幕を読まずにフランス語を聞いていたのがいけなかった。途中で睡魔に襲われ、ふと気がつくとラスト・シーンになっている。いやはや肝心な歌の部分は見逃してしまった。
 起き上がって巻き戻すのも面倒だから、そのまま次の「寅さん」を観る。リモコンが壊れているので、遠隔操作が出来ない。三本目は、『男はつらいよ 忘れな草』である。マドンナは浅丘ルリ子で、リリーさんが初登場する作品だ。「寅さん」のシリーズでは名作の一本に数えられるが、最後にリリーさんが結婚して寿司屋のおかみさんにおさまっているところには、いつも疑問を感じる。亭主が毒蝮三太夫では不釣合いだし、話のオチとしても無理がある。まあ、それはともかくとして。
 結局、『望郷』はもう一度初めから見直すことになってしまった。ビデオを巻き戻して今日でもまた観ようかと思っている。




直木三十五の大衆文藝論(その二)

2009年01月02日 12時52分02秒 | 
 当時直木が新聞雑誌のあちこちに大衆文藝論を書いたその真意は、まだ生まれて数年に過ぎない「大衆文藝」「大衆文学」のレベルを上げ、文藝の一ジャンルとして地位を確立することだった。
 随筆集を読むと、直木の真意がよく理解できる。直木が真っ向から対抗したのは、仲間の大衆文藝作家たちではなく(彼らへの批判は愛の鞭に近い)、当時の「文壇」に巣食う傲慢な作家たちだった。直木は、「文学は芸術である」と主張する文壇小説家たち、評論家たちを認めながらも、大衆文藝に対する彼らの無理解な発言に腹を立て、その論拠のなさをこてんぱんにやっつけている。槍玉に上がったのは、まず正宗白鳥である。
 正宗白鳥といえば、小林秀雄が文壇に登場する以前に権威だった文藝評論家だが、直木は白鳥に幾分かの敬意を払いながらも、白鳥が書いた「南国太平記」の批評がどうも気に入らなかったらしい。正宗氏は史実に無知で大衆物を批評する資格が無い、と直木は言い切って、憤懣をぶちまける。
 青野季吉と相馬泰三の二人が大衆文藝は「読者に媚びている」と言ったことに対して、直木は怒り心頭に発し、口角沫を飛ばさんばかりに喧嘩を売っている。直木の言葉を二、三引用すると、彼らのことを相馬に青野と呼び捨てにした上で、「尋常一年生みたいな物の見方をする連中」とこき下ろし、「馬鹿も休み休みに云うがいい」「手前達の無理解とイージーゴーイングを示しただけ」で、「文句があるならいつでも来い」と締めくくっている。
 評論家というものはだいたい無責任な事を偉そうに言うもので、直木が怒るのも無理はない。ただ、自分に対して言われたことでもないのに、直木がこれだけ怒るのがいかにも義憤家の彼らしいところである。詳しい事情は知らないが、これはどう見ても直木の主張の方がもっともで、文壇評論家の二人は尻尾を巻いて逃げたに違いない。



直木三十五の大衆文藝論

2009年01月02日 11時19分46秒 | 
 直木三十五の随筆集を読んでいる。昭和9年4月発行、中央公論社版の一巻本で、638頁。六章から成り、「人の事、自分の事」「文壇風土記」「武勇傳雑話」「吾が大衆文藝陣」「大阪を歩く」「秋色漫想」の中に面白そうなタイトルの随筆が60編ほど収められている。
 元旦から、この本のあちこちを読んでいるのだが、「吾が大衆文藝陣」の章を全部読む。昭和初期の大衆文藝作家たちに対する直木三十五の歯に衣を着せぬ論評が切れ味抜群である。直木の筆致は激越で、遠慮というものがこれっぽちもない。仲間の作家たちをばっさばっさと斬りまくっていく。
 「大衆小説を辻斬る」(昭和7年)という随筆では、吉川英治も林不忘も白井喬二も長谷川伸も形無しで、一刀両断に斬られている。
 たとえば、吉川英治の「燃える富士」は、「萬事安手の書き流し」「出鱈目で不自然」である。直木先生、初めは「一杯茶をすすり、一服煙草をつけて、膝を正して読み出した」のだが、1頁読んでうんざり、「続けて読んで行く元気がなくなってしまった」そうな。
 白井喬二の「盤獄の一生」などコケコケである。「なってない文章」「天下の悪文」「こんな物が堂々と『文藝』と銘を打って通用するのだから呆れる外はない。」
 私は「燃える富士」も「盤獄の一生」もまだ読んでいないので、何とも言いようがないが、直木三十五の気焔たるや、すさまじい。よくもまあ、これほど舌鋒鋭い文章が書けるものだと感心。正月早々、直木の毒気に当てられながらも、痛快な気分を感じて読んでいる。