背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

『弥太郎笠』

2006年03月21日 02時31分17秒 | 日本映画

 中村錦之助の『弥太郎笠』(1960年)はビデオはこれまで五、六度は見ている。これはマキノ雅弘監督の名作の一つで、錦之助が演じた股旅物の代表作だ。そして、私の大好きな映画でもある。しかし、この作品、映画館のスクリーンで一度も見たことがなかった。それを私はずっと残念に思い、いつか映画館で見たいと切望してきた。そんな長年の望みが先日かなえられた。先週の日曜、錦之助の上映会でこの『弥太郎笠』を見ることができたのである。
 名作の名作たるゆえんは、何度見ても見飽きないことだと思うが、この『弥太郎笠』は、それどころか、見るたびに惚れなおしてしまう作品である。先日またそのことを再確認した。そして、やはり映画はスクリーンで見るに限るなという思いも新たにした。『弥太郎笠』は、当時の錦之助主演の東映作品にしては珍しく白黒で、しかもシネマスコープである。今回は横長の大きなスクリーンで思う存分楽しむことができ、私はルンルン気分で会場を後にしたのだった。
 
 さて、この作品の素晴らしさをどう表してよいものか、私は考えがまとまらない。人間同様、芸術作品でも惚れてしまうと鑑賞者の思い入れが強くなって、客観的にその長所が見えなくなってしまうようだ。しかし、どこが好きかといった主観的なことなら、答えられると思う。そこで、頭に浮んだまま、この作品で私が特に気に入っているところを述べてみよう。 
 作品的な面で言うと…、テンポが良い。めりはりが利いている。マキノ監督特有の職人芸とも言える映画作法、世人はこれを「マキノ節」と言うが、『弥太郎笠』はマキノ節が隅々まで満ち溢れている。しかもそれが冗漫に流れず、構成もきっちりしている。 
 次に、出演者。これがまた全員良いと来たもんだから、嬉しくなってしまう。主役の錦之助は言わずもがなである。「りゃんこの弥太郎」を演じた錦之助は、心・技・体、すべてが充実、自信満々、最高に輝いている。今の言葉で言えば、スーパー・スターのオーラがある。ファンの立場から言うと、多分『弥太郎笠』の錦之助は、彼の出演映画すべての中でナンバーワンに上げる人が多いかと思う。私もそうだ。次に重要な役を演じたのが丘さとみだが、彼女がまた良い。ちょっとふっくらとしているが、いかにも地方の町のおっとりとした可愛い娘といった感じで、丘さとみのお雪は、観客のだれもの心に焼きつくことだろう。彼女は決して力まず、自然体で役になりきれる天性の映画女優だ。そう私は思っている。桑山盛助の東千代之介がこれまた良い。気品があって、晴れやかで、すかっとした人柄を見事に演じている。さらに、千秋実がコミカルで良い。田中春男もみじめな役だが良い。助演者がみんな良いのだから、錦之助プラス・ワンの場面、つまりツー・ショットの場面がどれも、相乗的に素晴らしくなるわけだ。

 音楽(鈴木静一担当)がシャレている。よく聴くと、錦之助と丘さとみのしんみりとしたシーンにはフランスの恋愛映画にあるような甘い調べが静かに流れていることに気がつく。そこにお祭りのピーヒョロ・ピーヒョロといった陽気なお囃子が混じる。そのコントラストが効果的なのだ。
 撮影(三木滋人担当)も注目に値する。クローズ・アップを使わず、バスト・ショットも多用せず、カット数を最小限にして全景の入る退いたショットでほとんどを構成している。これが、画面に落ち着きを与え、観客がゆったりとした気分で作品を味わえることを可能にする。多分こうした撮影は、映画がシネスコ・サイズだということにも理由があるかもしれない。しかし、肝心な場面で使うバスト・ショットがものすごく活きている点も見逃してはならない。それは、がらんとした松井田の家で、会う瀬を待ち望んで一人で暮らしていたお雪が弥太郎に再会するシーンである。この時の、自分の目を疑わんとするばかりのお雪の表情は、ソフト・フォーカスのアップである。この映画で人物にいちばん寄ったショットだったが、実に効果的であった。
 
 ほかにも優れたところはたくさんあるが、また今度『弥太郎笠』を見た時に指摘してみたい。