1991年に尚球社(現・岡崎産業)から登場した3号機「ミラクル」。
当時の2号機、3号機は「純増枚数方式」といって、1回のビッグが来れば誰が打っても360枚ほどのコインが獲得できるシステムだった。
それに対して、このミラクルは「期待値方式」という新たなビッグ中のシステムを取り入れた画期的な台であった。特定箇所(右リールの黒いかたまり)の目押しをすることで、ビッグ獲得枚数が最大550枚にもなるという「大量獲得機」のハシリであった。
このシステム、4号機のような「リプレイ外し」を行うのではなく(というか3号機ではリプレイは無かったのだが・・・)3回目の小役ゲームにおいて、JACINするゲーム数(10G・15G・20G・25G・30G)を抽選で振り分けていた。この抽選で最大の30Gが選択された場合に、550枚という大量獲得が可能だったわけだ。
このように運がよければ大量のコインがゲット可能であったにも関わらず、設定6ではビッグ確率が1/240と高く設定されていたので、実はかなり甘い台ではないかという評価もあったのだが、現役当時打っていた私からすると、そんなことは無かったと思う。
当時、ホームにしていた新宿・歌舞伎町でこのミラクル導入店を探したが、残念ながら1軒も見つからなかった。そのため、駅反対側の西口周辺を当たったところ「ア〇ジン」という大型店の1Fに、この台が設置されていた。
(平成初期の新宿アラ〇ン)
当時、西口では「マーブル」や「NASA」などで、コンチを打つぐらいだったが、その後はミラクル打ちたさに〇ラジンに日参することとなった。しかし、打つたびに思ったのが「ボーナス引けねぇ、この台」ということだった。
確か、あの頃のアラジ〇は7枚交換だったはずだが、おそらく20台ほどあったシマのほとんどが低設定台ではなかったかと思う。
ちなみに、ミラクルの設定1のビッグ確率は1/330であった。多分私の打っていた台は、大抵1とか2の回収台だったのであろう。確か、導入からそれほど間もない時期に打っていたはずだが、出玉状況は芳しいものではなかった。
なかなか勝てない展開ばかりが続き、嫌気がさして他の店も探したのだが、当時コンチやアラ2などの連チャン機全盛時代、マイナーメーカーだった尚球社のミラクルを設置している店は、容易に見つからなかった。
ある時は、わざわざ上野・御徒町にまで出向いてミラクルを置いてある店(「チャンピオン」と「デルンダー」)に行ったりもしたが、コチラは逆に客付きが異常に良く、空き台が確保できないほどの人気ぶりだった。当然、設定状況も新宿より明らかに良かったと思うが、台に恵まれず、この遠征で勝つことは出来なかった。
そんなわけで、現役当時、ミラクルにはあまり良い思い出は残っていない。レトロゲーセンで設定6のミラクルに座ると、当時の憂さ晴らしとばかりに、気持ちの良いボーナス連打を堪能している。