(90年代・思い出のパチンコ店回想…超ローカルネタ)
★東京・西早稲田「みよし」(現・MIYOSHI344)
1990年(平成2年)~1994年(平成6年)まで通った店。
特に、90年から92年のパチスロ2号機、3号機時代には、大変お世話になった。
この店は、上から見ると「コの字型」になっているのが特徴で、左の入口がパチンコシマ、右側がパチスロシマ、という独特の作りになっていた。
(当時の「みよし」見取図)
昨年9月に訪れた際、看板など外観は大きく変貌していたが、コの字型の作りは変わっておらず、当時の面影は何となく残っていた。
(2011年9月訪問時の西早稲田「MIYOSHI344」)
ただ、10ン年ぶりに思い出のホールを訪れて、驚いた事が3つある。
一つは、当時の「みよし」名物だった「ハト屋敷」が、綺麗サッパリなくなっていた事だ。
コの字型の両入口に挟まれた、3階建てのタバコ店兼住宅で(「CABIN」の赤いアーケードとタバコ自販機が目印だった)、大量のハトが棲息する事で非常に有名だった。
そのお蔭で、店の前はいつもハトのフンが凄かったが…どうやら、だいぶ前に火災があり、焼失してしまったらしい。
二つ目には、「みよし」の2階にあった雀荘が消えていた。「麻雀みよし」という香ばしい店で、麻雀好きの同級生に良くカモられていた(今なら負けない自信があるが)。負けた分は、下のパチンコ店でキッチリと「損失補填」させて貰った(笑)。
そして三つ目だが、道路の反対側にあったゲームセンター(店名失念…「リリー」だったか?)が、当時の跡形もなく消えていた。
この一帯はいわゆる「古本屋通り」で、勤勉な学生向けの有難いエリアだ。そんな中、パチ屋「みよし」と道路向いのゲーセンは、遊び人御用達の「プレイスポット」として重宝された。ストリートファイターIIの対戦や、フリッパーをガチャガチャ動かすピンボールなんかを、よくやっていた。
まぁ、非常に寂しい事ではあるが、こうした情景の移り変わりも、やはり時代の流れであろう…。
さて、「みよし」の話に戻るが、一番記憶に残るのが1990年当時のラインナップだ。
左側のドアを入って右手にデジパチ「エキサイト麻雀3」(ニューギン)、その左隣が「パールセブン」(マルホン)だったと記憶する。
中央のトイレ前にも短めのシマが何列かあり、「ブラボーエクシード」(平和)、「センチュリーB」(平和)、「マジックカーペット」(三共)、「道路工事I」(三共)などの名機が並んでいた。
デジパチのセンチュリーB(ブラボーセンチュリー)は、余裕で3300発は出る調整だった。チューリップ型のオマケチャッカーにガンガン玉が流れ、4000発用の大きなドル箱が、一回の大当りでズッシリと重たくなった。その分ヘソは渋かったが、一発台感覚でチャレンジしたものだ。パールセブンの出玉も、他機種に比べて多めだったと記憶する。
一方、右サイドのパチスロシマは、入口側が「アストロライナー」、奥が「ビッグパルサー」と、山佐で占められていた。
この店は、伝統的に山佐の台を入れており、当時の先輩の話だと、自分が通う前は1.5号機の「プラネットV」が設置されていたそうだ。
私は、1990年の「アストロ」「ビッパル」併設時代に通い始めた。旧台のアストロライナーは、その当時だいぶ年季が入っていた。
その後、3号機時代に「スーパープラネット」が入り、やがて集中機「ホールインワン」も導入された。ただ、同じ早稲田通り沿いにあった、高田馬場「東陽会館」のホールインワンに比べると、出玉はシブかった記憶もある。
その中でも、特に思い入れの強い機種が「アストロライナー」(2-1号機)。スロにあまり詳しくない時期、この店でパチスロのイロハを教わった恩義ある一台だ。
(左:黒パネル、右:赤パネル。「みよし」にあったのは、確か青パネル(現在、画像発掘中)。最初、リール窓上の赤いボタンが妙に気になった。まぁ、単なるクレジット(精算)ボタンだが。
青い機関車の絵柄、そして山佐伝統の大量リーチ目がウリで、ビッグだけでも1000を超えるリーチ目が存在した。「中・右の下段7テンパイ(ケツテン)」がガセるのも特徴。
初心者の頃は、チェリーや7・BAR・機関車絡みの怪しい目が出る度に、「おっ、入ったか?」と期待させられた。コイン持ちも非常に良く※、財布に優しい機種でもあった。
※特に、設定6の小役確率は優遇されており、15枚のINに対して9枚の小役払い出し(OUT)がある。一方、設定1~5は、IN15枚に対してOUTが8枚(「パチスロ完全攻略事典」より)。これは、一日単位で見ると、かなり大きな差になる。
私は、本機を通じて存分に「テーブル制御の妙」に触れる事が出来た(これは、ビッグパルサーも同様だ)。同時に、「みよし」のアストロのシマでは、「立ち回り」の基本も学んだ。
当時の「みよし」には、ボーナス回数表示のデータランプがなかった。今のファンには信じられないだろうが、当時はこれが普通だったのだ。
その代わり、過去1週間の各台ビッグ回数が書きなぐられた「回数表」が、シマの端に無造作に貼られていた。
設定の変更や据え置きは、この表の数字を見て予想した。当日のビッグ回数も、店員が「正」の字でチェックしていた。データが少ない時代、こういう情報は大変重宝した。
こうして立ち回りの「基礎」を学んだ訳だが、初心者時代、一人の若い店員に色々な「ガセネタ」を吹き込まれた事を思い出す。
例えば、ビッグボーナスが終わってリセットをかけて貰うとき、「アストロライナーは、設定変更しても前日の波を引き継ぐから」」と、妙なアドバイスを受けた。
普通に考えれば、何の根拠もない「ガセ」である。しかし、この情報を信じ込んだ私は、ボーナス回数表を見て、必ず前日の「好調台」に座るようになった。
結果的に、高設定の据え置き台で勝つチャンスが増えた。しかし、明らかに設定下げの台でハマっても、「そのうち、前日の波が来るさ」と、投資を重ねて負けたりもした。全くバカな話である。
それから、「機関車が揃って、何度もガセる台はハマる」というオカルトネタも教わった。ご存知のように、アストロライナーの「機関車揃い」は、フラグ成立後のリーチ目である。しかし、通常時にも揃うことがあり、100%の「鉄板目」ではない。特に、普段から「7チェリーオレンジ」を狙っていると、上段にズルっと機関車がスベって来ることがあり、これが揃ってもガセるケースが多い。
しかし、その店員は「機関車が揃っても3回ガセったら、台を代われ」と、よく言っていた。これも、設定やハマリとは無関係のガセネタだが、以前はもっともらしく信じていた。これで、みすみす高設定台を手放した事が、何度もあったはずだ。
(撮影場所:殿堂・上野店)
結局、その若い店員は、アストロライナーが外された頃に店を辞めてしまった。「よくもダマしたな!」と、文句の1つでも言ってやりたかったが…(笑)。
今思えば、経験の浅い私にデタラメな情報を吹聴して、単にからかっていたのだろう。
まぁ、バカバカしい思い出だが、こんな初心者時代を振り返るたび、「ガタンガタン」「ジリリリ」「キンコーン」という独特の効果音や、「アマリリス」のBGMで騒がしかったシマの雰囲気が蘇り、何とも懐かしい気分になる。