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ISIS chanとISIL kun(ムスリムの子供達)その37 フランス

2016-01-01 18:45:44 | 日記

赤ずきんは誰でも知っている童話で、色々な国の民話にその原型があるのですが、正式に出版されたのは、1697年にフランスで出版されたペロー童話集の中の『赤ずきん』が最初なのだそうです。

その後、1812年に初版第1巻が出版されたドイツのグリム童話に収録されましたが、こちらの方が有名かも知れません。

フランスは、面積が54万4,000平方キロメートル、人口は約6,632万人(2015年)、ドイツと共にEUの中心国とも言える国です。第二次世界大戦まで、アフリカやインドシナ等世界各地に植民地を持っていました。大英帝国と覇権を争った時代もありました。

現在でも、5海外県、4海外準県、2海外領土が残されています。タヒチ島を中心とするフランス領ポリネシアや、ニューカレドニアもフランスの海外領土ですし、マダカスカル島沖合いのレユニオンは海外県だそうです。

フランスは17世紀以降、1960年代まで広大な海外植民地を有しており、その植民地帝国は大英帝国に次ぐ規模でした。

1919年から1939年の最大時にはフランス本国含め12,347,000平方キロメートルの領土に広がり、世界の陸地の8.6%を占めていたのです。

 

フランスの歴史は、必ずしもフランスの歴史ではありません。現在のヨーロッパ地域全体に関わる歴史でした。

476年に西ローマ帝国が滅びるとゲルマン人の一部族であるフランク族のクローヴィスが建国したメロヴィング朝フランク王国が勢力を伸ばし始めました。

508年にメロヴィング朝はパリに遷都すると共に、キリスト教とラテン文化を受け入れました。メロヴィング朝の後はピピン3世がカロリング朝を打ち立て、カール・マルテルは732年にイベリア半島から進出してきたイスラーム勢力のウマイヤ朝をトゥール・ポワティエ間の戦いで破り、イスラーム勢力の西ヨーロッパ方面への拡大を頓挫させました。

シャルルマーニュ(カール大帝)はイスラーム勢力やアヴァール族を相手に遠征を重ねて現在のフランスのみならず、イベリア半島北部からイタリア半島北部・パンノニア平原(現在のハンガリー周辺)までを勢力範囲とし、ほぼヨーロッパを統一したのです。

800年にシャルルマーニュは西ローマ帝国皇帝の称号をローマ教皇から与えられました。

シャルルマーニュの没後、フランク王国は三つに分裂し、ほぼ現在のフランス、イタリア、ドイツの基礎となったそうです。

歴史的には、フランス・ドイツ・イタリアがフランク王国を起源とするのです。そしてローマ帝国の後継者として、一時期はヨーロッパの大部分を支配していました。

 

その後、様々な経緯を経て、ブルボン朝第3代のフランス国王ルイ14世(1643年~ 1715年)の時期に最盛期を迎えます。1789年にフランス革命が起きて王政は倒れるのですが、ナポレオン・ボナパルトが共和国の権力を握りやがて皇帝となります。

ナポレオン戦争と呼ばれる一連の戦争を通じてナポレオンの軍隊はヨーロッパの大部分を制覇し、彼の一族が新たに作られた国々の王位に即きました。この戦争で数百万人が犠牲となったそうです

ナポレオンはフランク王国の再興を目指したのかも知れません。

ナポレオン戦争の過程で、ヨーロッパでは民族主義が高まり、第一次世界大戦の遠因になったとも言われています。

また、1852年12月2日に第二帝政を開いた、ナポレオン・ボナパルトの甥ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)は、中国、インドシナ半島、メキシコや日本などに積極的に出兵しました。

1870年の普仏戦争敗北により第二帝政は終了するのですが、その後もフランスの海外進出は止まりません。1887年にフランス領インドシナ、1895年にフランス領西アフリカ、1910年にフランス領赤道アフリカがフランスの植民地となります。

 

2015年11月13日にパリ同時多発テロ事件が発生しました。実行犯の多くは、北アフリカの旧支配地域から移住したムスリムの2世・3世だったそうです。彼らは、文化の違いからヨーロッパで孤立感を深め、ISに同調するようになったとも言われています。

そんな事件の後、一人のムスリムの青年が目隠しをし、「私にハグしてください」と言う手書きの看板を持って、パリの街角に立ちました。

彼は、こんな事を街行く人に問い掛けたかったのではないでしょうか。

「私は、ここに居てもいいですか。この国に居てもいいですか。ここは私の居場所ですか。」

居場所が見つからなくて、ISに参加するムスリムの若者が後を絶たないのかも知れません。

それは、第2次世界大戦前後に日本人排斥運動を経験した日本人にとっても、他人事では無いのだと思います。

旧植民地から移住したムスリムの2世・3世も、

シリア難民の子供たちも、

そして居場所の見つからない全ての人々が、

本当の居場所を早く見つけることが出来ますように。

その居場所が、他の人々を傷つけない場所でありますように。

 

このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

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