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ISIS chanとISIL kun(ムスリムの子供達)その68パプアニューギニア

2017-02-19 17:41:08 | 日記

パプアニューギニアは、面積が46.2万平方キロメートル(日本の約1.25倍)、人口約7,619,321人(2015年、世界銀行)、南太平洋にあるニューギニア島の東半分及び周辺の島々からなる立憲君主制国家で、オーストラリアの北、インドネシアの東に位置し、首都はポートモレスビーです。

一人当たりGNIは2,240米ドル(世界平均のおよそ20%、2014年世界銀行)です。1日2ドル未満で暮らす貧困層は国民の過半数を占めているのだそうです。

主な輸出産業は液化天然ガス、金、原油、銅、ココア、コーヒー、木材、パーム油ですが、最近は観光にも力を入れているようです。

パプアニューギニア観光局の公式サイトでは次のように記載されています。

「パプアニューギニアは、赤道のすぐ南に位置しており、日本から直行便で約6時間30分の距離にあります。

世界で2番目に大きな島、ニューギニア島の東半分をはじめとする600の島々からなり、南太平洋最後の楽園と言われ、そこには美しい海と、山々の深い緑、長い歴史の中で受け継がれた伝統の文化が息づいています。

自然と触れ合う旅、文化を探訪する旅など、パプアニューギニアでは、様々な旅の楽しみ方が皆様をお待ちしています。」

また、こうも記載されています

「600以上の島々と800を超える固有の言語が存在しています。また、アマゾンをも超える広大な大自然の熱帯雨林も広がっています。

 4つの地方に分類されるパプアニューギニアは19の州と首都区からなり、それぞれの地域では特色溢れる独自の文化とパプアニューギニアの文化がうまく融合されています。

ジャングルに覆われた山々や白砂ビーチが広がる海岸、珊瑚礁と島々から形成されるそれぞれの州・・・熱帯地方の美しい光景が皆様をお待ちしています。」

「アマゾンをも超える熱帯雨林、白砂ビーチに珊瑚礁、800以上と言われる部族が織り成す独自の文化・・・」

確かに魅力的ですが、観光旅行で行ったとしても、一体何から手をつければよいのか・・・

だから最後の楽園と言う事なのかもしれませんが。

パプアニューギニアは、元々あったパプアとニューギニアが合併してできた国です。

パプアは、メラネシア人の縮れ毛を指すマレー語の言葉から、ニューギニアはメラネシア人がアフリカのギニア人に似ているところから、スペイン人の探検家がニューギニアと名付けたのだそうです。

19世紀の植民地主義の時代、ニューギニア島は西半分をオランダが併合、東半分をオーエン・スタンレー山脈、ビスマルク山脈で南北に分け、ニューブリテン島などを含んだ北半分をドイツ、南半分をイギリスが植民地としましたが、1901年にイギリスから独立したオーストラリアに継承されました。

第一次世界大戦にドイツが敗北すると、ドイツ領ニューギニアであった島の東北部は、国際連盟によりオーストラリアの委任統治領となりました。

太平洋戦争では、日本軍が1942年1月22日、ニューブリテン島ラバウルに上陸、ニューブリテン、ニューアイルランド、ブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領し、ポートモレスビー攻略を狙いました。

それはとても凄惨な戦いで、日本軍は飢えとマラリアの為に多くの死者を出したそうです。

一般の人にはあまり馴染みのない国かもしれませんが、実は,その南端に近いブインには,第二次世界大戦中山本五十六元帥が搭乗した飛行機の墜落した場所があります。

また,戦没者の慰霊や遺骨収集のため,多くの日本人関係者が来訪する場所でもあります。

その後パプアニューギニアは1946年、豪州を施政権者とする国連の信託統治地域となり、1975年9月16日に独立しました。

パプアニューギニアの国家元首はエリザベス2世女王です。その職務は、総督が代行しており、現在の総督は2011年1月選出に選出されたマイケル・オギオ氏です。

英連邦王国の一国ですから、国家元首はエリザベス2世女王となります。

英連邦王国とはイギリス連邦の加盟国であって、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(英国、イギリス)の王座にある者を自国の国王として戴く国家を指し、2015年現在、計16ケ国あります。カナダ・オーストラリア・ニュージーランドもその一員です。

主要援助国は1位が旧宗主国のオーストリアで446.3百万米ドル、2位が英連邦王国の一員であるニュージーランドで20.9百万米ドル、そして3位が日本で18.9百万米ドルです。

日本の場合は太平洋戦争の償いという面が強いのかも知れません。

日本の援助の一つに2012年3月完工したブーゲンビル海岸幹線道路橋梁整備計画があります。

橋がかかる前は,四輪駆動のジープや小舟で河を渡っていましたが,雨期や突然のスコールによって渡れないことも多く,住民の移動を妨げてきました。橋の完成によって,ブカから旧州都のアラワまでの河川すべてに橋がかかりました。

橋廣治駐パプアニューギニア特命全権大使は完工式でこう話したそうです。

「ブーゲンビルは太平洋戦争の際には,我が国と連合国が激戦を行い多くの住民が犠牲になりました。

1975年,パプアニューギニア誕生と共にその一部となりましたが,その後,天然資源の利権等の配分を主な原因として,1998年に中央政府と独立派との間で戦争になりました。その結果,多くの住民が犠牲となり道路,橋等の社会インフラが破壊されました。

内戦によってインフラが破壊されたブーゲンビルに15の橋を架けることで,分裂した住民間の交流を進め,真の和解を促すと同時に,物流が増えることで経済復興が進むことを目的とした経済協力です。

(中略)

ブーゲンビルは,先の戦争の経緯があったにも関わらず,非常に親日的な住民が多く「もしもし亀よ亀さんよ~♪」と口ずさむ住民もいます。

親から習ったとのことですが,戦中,戦後同地と関係のあった日本人が長年にわたり同地で培ってきた良好な関係が住民の心を掴んできたことを指摘させて頂けると幸いです。」と。

因みに、この橋は2014年に起こった洪水で,護岸が流され橋が危険な状態になりました。そのとき、橋の工事で下請けとなった地元企業が中心となり,地域住民自らが総出で護岸を修復したそうです。

「橋を守れ」という地元住民の意識と,日本企業から技術を学んだ地元企業の協力の成果でした。いまも橋の周りでは,地元住民による雑草刈り,水路の清掃等の整備が続けられているそうです。

日本が耐久性に優れた橋を残し,建設過程で実施された現地の人づくりの成果が橋を守っているのだそうです。

独立から内戦へ、

世界のあちらこちらで見られる光景です。

その遠因は植民地支配と第二次世界大戦時の混乱に、そして第二次世界大戦後の大国の関与にあるのかも知れません。

それは、パプアニューギニアも例外ではなかったのだと思いますが、現在のパプアニューギニアは平和を取り戻し、800以上と言われる部族が共存して暮らしています。

今の中東地域の混乱も、宗教・宗派・部族間の対立もさることながら、その遠因は植民地支配と第二次世界大戦時の混乱に、そして第二次世界大戦後の大国の関与にあるのだと思います。

でも、パプアニューギニアでは800以上と言われる部族が共存して暮らしているのですから、

中東地域でも宗教・宗派・部族が違っても、共存して暮らしていける日が来る、

そう思うのです。

そうなれば、

ブーゲンビルに15の橋を架けることで,分裂した住民間の交流を進め,真の和解を促したように、

日本にも、中東地域でも分裂した住民間の交流を進め,真の和解を促すお手伝いができる、

現地の人づくりに貢献できる、

そんな気がします。

このブログの画像はisis_chanプロジェクトに参加されているイラストレーターの方々からお借りしています。isis_chanプロジェクトの目的は、ISが発信する残酷な画像のインターネットでのヒット率を低下させることだそうです。isis_chanプロジェクトにはガイドラインがあり、ムスリムと彼らの信仰の尊重、暴力的・性的表現・政治的主張の禁止等々決められています。私のプログは極力このガイドラインに沿って書いているつもりですが、抵触していると思われたら、それは私の文章力の無さから来るものだと思います。

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