11月29日(水)に、演習Ⅰ(近代文学)のフィールドワークが行われました。
田端駅前にある田端文士村記念館では、明治から昭和にかけて田端駅周辺に居住していた、陶芸家・鋳金家・画家・作家といった多様な芸術家とその活躍を学びました。分野は違えども、田端という土地の中で密接に関わりあっていた芸術家たちのつながりを感じました。
それからは文学散歩です。田端駅から勾配の急な坂道を昇り芥川龍之介の家の後に向かいました。また、その近所にあったという芥川龍之介の主治医であった下島勲の家の跡も訪ねました。芥川龍之介が服毒自殺した際に、下島勲はどんな気持ちで芥川龍之介の家へ向かって此の坂道を駆け上がったのだろうかと想像を巡らせました。
染井霊園のそばにある慈眼寺には、芥川龍之介と谷崎潤一郎の墓がありました。芥川龍之介の墓には瑞々しい花が供えられていて、他にも誰かが来ていたことを察することができました。谷崎潤一郎の墓は、分骨されたものの一つだそうで、もう一つは京都の法然院にあるはずです。
田端の芥川龍之介の家から駒込を抜けて染井にある墓までという距離感は、実際に歩くことで足の筋肉に溜まった疲れと共に実感できることと思います。こんな長い道中を歩いたと思われる明治大正期の人々の健脚に感服した文学散歩もといフィールドワークでした。
(小山)
慈眼寺の芥川家のお墓を詣でた後、せっかくなので、「おばあちゃんの原宿」として有名な巣鴨まで歩きました。地蔵通り商店街です。ここで「とげ抜き地蔵」をお詣りし、人気の秘密を探りながら、「おばあちゃんの原宿」を堪能しました。
フィールドワークの打ち上げは、山手線に乗って鶯谷まで行き、根岸の里の「笹の雪」でささやかに行いました。入れ込み式の大広間、のんびりとした時間が流れていました。その後、多くの作品にその名が登場する上野の蕎麦屋「蓮玉庵」に向かいましたが、お店を閉めた直後に到着という不運。近所の「藪そば」もお休みとあって、両店への再訪を誓って後、解散となりました。
(庄司)