本日の朝、檀家の藤解弘様が逝去されました。
故人は大串区の区長を務められていた当時、福祉関係の事業等でお世話になりました。
確か、大串よってみんさい屋の開設当時に区長の職にあったと記憶しています。
ここに謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。合掌
年が明けて間もない昨今ですが、ここ1週間ほど春から新たな取り組みをしたいといろいろ考えています。
まずは第一歩として、これまで通夜の際に参列者の皆様にお配りしていました御詠歌の歌詞に大意を加筆しました。
実は藤解家の御通夜で初めてこれを用いたのですが、早速に参列された方から、意味が判って良いとの言葉をいただきました。
禅の有名な言葉の中に「非風非幡(風に非ず、幡に非ず)」という言葉があります。
昔、説法が始まる知らせを幡で行っていた際に二人の修行僧が次のような議論をしていました。
一人の修行僧は風で幡が動いている。もう一人の修行僧は単に幡が動いているとの意見です。
この議論を聞いた慧能禅師という方が大事なことはそれぞれの心の動きであると教示されました。
現代起きている様々な出来事を考えるとき、判断の基準はどこにあるのかと考えてしまうことが多々あります。
春まではもう少し時間がありますので、じっくりと考えそして実行に移す予定です。合掌
昨日のご尊父の五七日のお勤めの際に風もないのにろうそくの炎が揺れていたとのこと、きっと皆さんの心を込めた読経を故人が喜んでいらっしゃるしるしであると思います。
大事なことは自分自身がどう思うかということであると思います。
世の中には科学で証明できないことが多々あります。
しかしながら、現代は科学的に実証されないものが否定されているように感じます。
もう3年ほど前のことですが、ある方の追善供養を勤めていますと、次女のみかんが本堂にやってきて、お参りされている方の傍に座ったことがあります。
私は正面を向いてお勤めをしていましたのでお勤めを終えて、法話のため反転した際にはじめてわかりました。
実はみかんは木魚や鐘の音がするとすぐにその場を離れるのですが、この時はお経が始まり暫くして本堂にやってきたとのことです。
みかんに気づいたとき、すぐにお参りの方にお詫びを申し上げようとすると、「今日供養をいただいた故人は生前とても猫を可愛がっていたので、きっと故人も喜んでいます。」と笑顔でおっしゃっていただきました。
bunbunさんのコメントを読みながらこのことを思い出しました。
間もなく満中陰を迎えられますが、当日は御詠歌をお唱えさせていただきます。
御通夜用に加え、法事用もすでに作成していますので、当日はご一緒に報恩行を勤めていただきますとともに大意を付記したもの皆さんに差し上げる予定です。
子どもさんたちに風邪が流行っていると聞きました。
くれぐれもご自愛下さい。
満中陰の際にまたお話しをお聞かせ下さい。
早速にコメントをいただき、ありがとうございました。感謝尽々&合掌