昨日のブログに書きましたが、本日は広島市西区民文化センターで開催された広島県高齢者社会参画促進キャンペーン『応援します。プラチナ世代の現役続行宣言』のパネリストとして出席いたしました。
ところで「プラチナ世代」という言葉をはじめて知った方もいらっしゃるかも知れませんので、少し説明をさせていただきます。
以下、広島県が発行している『プラチナ世代社会参画ガイドブック』より。
夢を見ることに定年はありません。
夢あるかぎり人は歩き続けることができます。
団塊の世代といわれ
いま第二の人生の入り口に立っているみなさん。
そしてすでに第ニの人生を模索しているみなさん。
好きなこと、やりたいことに
もう一度目を向けてみまんせんか。
夢に導かれるままに
時間を紡いでいったとき
これからの人生
もしかしたら、
キラリと輝く時間になるかもしれません。
プラチナのように。
以上が広島県発行のパンフレットに掲載されているプラチナ世代についての説明です。
最初に広島フォーク村に『いちごの木』のメンバーとして参加していらっしゃった佐野正幸さんのライブと対談がありました。
広島フォーク村といってピンと来る方は何歳くらいからでしょうか。
勿論私はピンときます。
かの有名な吉田拓郎さんが所属していました。
学生時代(東京)に歌にもなったペニーレーンにも行ったことがあります。
最近では広島修道大学に吉田拓郎さんの歌碑が建立されたことをご存知の方も多いと思います。
佐野さんは間もなく退職され、これから本格的な音楽活動もされるとのことでした。
ますますのご活躍をお祈りいたします。
以下の写真はスタッフの方が撮ってくださったものを掲載しています。
シンポジウムの様子です。
自分の写真を掲載するのは恥ずかしいのですが、こんな感じで話をしています。
昨日ご一緒したパネリストの方を御紹介します。
植松栄さんはNPO法人ひろしま子育て支援ラッコの会の代表理事をされ、親業インストラクターをはじめ、国土交通省の道路関係の委員会の委員も務められる等、多方面で活躍されています。
もうお一方の為貞勇三さんは三次市和田自治会連合会事務局長として地域通貨を活用した都市部との交流をはじめ地域の活性化に取り組んでいらっしゃいます。
為貞さんはブログを開設されていますので、是非ご覧下さい。
今回のシンポジウムのまとめを一言でいうと「耳を澄まして、小さな声も聴くことからすべてが始まっている。」といえます。
私達は身体に障害がなければ「五感」を使って、様々な情報を得ています。そしてその情報を整理、分析して「第六感」である『心』で自らの意思決定を行っているといえます。
その意思決定の根幹には『経験値』あるいは新たな物事に挑戦しようとする正に坂村真民先生の『念ずれは花開く』の世界があります。
団塊世代の方の意識調査をしたものを散見した際に昭和30年代を振りかってみたとき、現代との比較をしているものがありました。
その中では当時は『夢を持てた』、『人情が厚かった』、『家族の絆があった』、『純粋な心をもった人が多かった』、『年配者を敬う気持ちがあった』というのが上位ベスト5として掲載されていました。
逆に言えば、現在があまりに変わったことを実感されているともいえます。
セカンドステージはこうした30年代の良き時代をまさに現在に再構築することもプラチナ世代の方々には経験を通じて大きな役割があるように思います。
今回のプログラムに際しては県庁社会健康福祉局社会福祉部高齢者支援課の津山課長さんをはじめ職員の皆様、県社協の丸山さん、コーディネーターの遠藤さん、みずま工房の伊藤さんをはじめ多くの皆様にお世話になりました。
写真をお願いした方のお名前はお聞きしませんでしたので大変失礼をいたしました。
この場を借りてお詫びとお礼を申し上げます。
こうした出会いでまた多くのご縁をいただきました。
とても貴重な経験をさせていただきましたことに衷心よりお礼を申し上げます。感謝尽々
ところで、シンポジウムの中で、コーディネーターより各パネリストに次のような質問がありました。
『10年後、あなたはどんなことをしていますか?』という問いに対して、私は『10年後は○○○・・・・』と答えました。
『○○○・・・・』の内容は会場にお見えになっていた方だけしか判りませんが、計画をしていることがあります。
私の場合は10年後より、まずは6年後を目標にしていることがあります。
その前にまずは来年2月を目処にしています寺の裏山の整理をし、『里山構想』の実現が直近の目標です。
会場を後にして中国新聞にて解説委員の佐田尾さん、前竹原支局長の筒井さんとお会いしました。
お二人ともご多忙のところをお時間をいただき、貴重なアドバイス等をいただきました。
この場を借りて衷心よりお礼を申し上げます。合掌