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スコッチダイアリー

盛岡の小さなショットバー「スコッチハウス」のサトコママの日記帳です。

ボウモアテイスト3

2008年06月20日 | Weblog
6月12日(木)13日(金)と東京へ行ってきました。その時のお話です。

六本木のCASKさんにお邪魔したのですが、そこでたいへんなものを飲んできました。ブラックボウモア2ndリリースとボウモア64スタンダードラベルです。あまりに贅沢すぎるのでこの話はしばらく封印しておこうと思ったのですがやはり記録することにしました。

見せていただいたCASKさん所蔵のウイスキーは質量ともに物凄いものがあったのですが、私はその中でボウモアのボトルからどうしても目が離せませんでした。おまけにいまだ未経験のブラックボウモアも封切しているということなので思い切って飲ませていただくことにしたのです。

1964ヴィンテージが2本ならべば誰だってそそられますよね。そのとき一緒に勧められた1965カスクを選ばなかったのは以前67カスクといっしょに飲みくらべたのを「ボウモアテイスト」(2007年10月16日)としてブログに書いていたからです。CASKのS氏からは「1964年はボウモアにとって重要な年でこれ以降ボウモアがトロピカルな味をもつようになる」と説明していただきました。

手元の資料によると1779年創業のボウモア蒸留所は、1925年からのシェリフ社経営、1949年のインバネスのブレンド業者グリゴールによる買収を経て63年にスタンレー・モリソン社の経営になりました。そして64年におこなわれた設備の大改修。新しい装置で気合をいれて作ったので1964ヴィンテージは名品揃いなのでしょう。

最初にブラックボウモアから飲んだのは「オフィシャルは最後に」といういつものセオリーから。夫からはブラックボウモアはたいしたことないぞと常々言われていたのですが「うそ!おいしいじゃない!!」というのが率直な感想。しかし次の64は爆弾でした。

64は貴婦人。トロピカルでエレガント。いままでいろいろ飲んできたうちで最高のウイスキーでした。これに比肩するのは、マッカランカスクストレングスファーストリリース(蒸留所限定56%500ml)とモルト協会の60年代蒸留のいくつかくらいでしょうか。

ボウモアバイセンテナリーも1964でしたね。とりあえず64の3種類は制覇してマスターと話ができるレベルになりました。

実は飲むにあたってCASKのS氏に値段交渉しました。こころよく応じていただいて感謝です。おまけにボウモア64は封切でした。われながらきれいな花火を東京であげてきたものだと今は静かに思っています。

付記 最初は鼻で笑っていたマスターも話をしているうちに俄然張り切りだし、スコッチハウスのボウモア1964コレクションを写真に撮ろうと言い出しました。ご覧ください。左からバイセンテナリー、ブラック、スタンダードそしてダッシーの4本です。このうち一番ピートが強くてスコッチらしいのがダッシーだということです。



スコシア祭り

2008年06月15日 | Weblog
今回の話題の主はシガーの虜K氏の愛弟子O氏であります。(長いので以下O氏)

弟25回テイスティング会のあと恒例のフリータイムでBARニートのマスターがグレンスコシアを頼みました。するとO氏が「それを僕にも」。それならとグレンスコシアトールボトル(12年もの)→グレンスコシア1973→グレンスコシア1999(6年もの)という流れで出してみました。おまけがモルト協会のロッホローモンドとバルブレア1964年。

グレンスコシア12年は以前テイスティング会で出したものですがO氏によるとその時おいしい!と思ったことがずうっと心にひっかかっていたのだそう。

「それまで樽の甘さかアイラの塩っぽさしかウイスキーに求めていなかったんですよ。だからグレンスコシアを飲んでおいしいと思ったのは何故なのか自分でも知りたかったんです。今日飲んで樽で熟成した白ワインみたいな味だなあと感じて、自分の世界が一段階あがりました。なんだか上からぱあっと光がさしてきたみたいです。」最後にO氏は「今日はスコシア祭りでした」と締めくくったのでした。

そういえば「ラガブリン21年の会」の時も参加者のおひとり(盛岡屈指のコーヒー店のマスターにして年季のはいったワイン飲み)が、ラガブリンの30年を気に入って味を確かめるように何度も飲んでいました。

「樽で熟成した白ワインのようなウイスキー」というカテゴリーは確かに存在します。それに気づかせてくれた「スコシア祭り」でした。

付記 O氏の師匠シガーの虜K氏は喉の調子がイマイチで欠席されました。一日も早い回復をお祈り申しあげます。

復権 ~ラガヴーリン21年~

2008年05月26日 | Weblog
筋金入りのラガヴーリンファンである常連のMさんが、この度「オフィシャル21年25年30年を飲み比べる」というウイスキー会を企画しました。参加4名のごく内輪の会でしたが内容は大変贅沢なものでした。

2007年の暮れに発売された21年は、いままでに出たオフィシャル25年、30年より評価が高かったので期待していましたが、味わいは期待以上のものでした。ラガヴーリンらしいはっきりとしたピート香とリフィルカスクのほんのりした甘さが交じり合った飲み応えのある味。そして飲み終わったあとの余韻の長さにも感激しました。

その後飲んだ25年は口のなかに苦さが残りました。開封して時間がたっていたせいでしょうか。提供してくれたMさんも「アードベッグみたいな苦味がでてきましたね。」とちょっと残念そう。対して30年はやはり以前の封切りながら、飲んだとき甘さがふわっと広る感じがありバランスがとても良かったです。

ラガヴーリンに限らずアイラウイスキーは長熟にむかないのではないかとずっと考えてきました。今度の会で25年と30年を飲んで、味は良いけれどアイラらしいピートの強さがないと思いました。樽で熟成する年月はアイラは21年が限界でしょうか。こういうことも比べてみてはじめて感覚がつかめます。21年25年30年と貴重なラガヴーリンを提供してくださったMさんには心より感謝いたします。

ボトラーズものでは当たりのラガヴーリンが結構あるのに、オフィシャルでは今ひとつ出来のいいものがありませんでした。ところが今回の21年は、1970年代80年代のホワイトラベル・クリームラベルの頃の味を彷彿とさせました。蒸留所でもそこを意識して作ったのでしょうか。いずれようやく満足のいくオフィシャルが出てきました。今後は現行品のスタンダード16年にも変化を期待したいところ。これがラガヴーリンオフィシャルの復権につながっていけばいいと思います。

男の酒 ~アードベッグ7年~

2008年05月19日 | Weblog
ここ何ヶ月か、アイラのいいものが次々と発売されています。最近アードベッグでこれはいいと思ったのが写真のエクスチェンジ7年。ある輸入元から「限定95本のうち10本だけ入荷したアードベッグがあります」と連絡がはいりそのうちの一本をうちに割り当ててもらった貴重品です。

一言でいえば「苦くないアードベッグ」。度数62.5%。特有の塩味に甘みが加わりなんともいえないこくがある。そのままなめらかに喉に入っていき・・・そして胃のなかで爆発!マスター曰く「男の酒だねえ」。

たしかに私の好きなベリーヤングも後味さわやかでしたが甘みはありませんでした。このように甘くないのが若いアードベッグの特徴だと思っていたので新鮮な驚きでした。このシリーズは6年も評判でしたが7年のほうが断トツにいい!

ラフロイグとボウモアに当たりが集中していた感があったのですが、アードベッグにもおいしいものがありました。こうなると今夏発売という噂の「TEN~ルネサンス~」も期待してしまいます。今から楽しみです。

こびないウイスキー ~アバフェルディ~

2008年04月13日 | Weblog
東京からいらしたY氏にアバフェルディを所望されました。UD社「花と動物」以前のもので、マスターもついに封切か・・・と感慨深げでした。1990年頃に入手したものを大事に持っていたのです。

アバフェルディは、ながらくオフィシャルとして販売されていませんでした。蒸留所のマネージャーの努力でまずこの一本が1990年頃シングルモルトとして発売され地元(南ハイランド)でだけ飲まれていたのですが、その味の良さが評判となり後のUD社「花と動物シリーズ」が誕生するきっかけになったのです。

東京のY氏は「濃いですね。そしてフルーツの味がする。プレーンカスクの良さを感じます。」マスターも「厚みがあって力強い。」

私はY氏の「プレーンカスクの良さ」という言葉が印象に残りました。あとでマスターが「このアバフェルディはこびないウイスキーなんだ。前にシェリー樽批判のこもるウイスキーだと評した記事を読んでなるほどと思ったことがある。」と言いました。

その記事は1990年に書かれたものです。その当時からシェリー樽礼賛の風潮に批判の目を向けていた人がいたことに脱帽です。2008年の現在ますますシェリー樽偏重に傾く中、こういう見識を持つひとがどれほどいるのでしょうか。




ティンキャップ封切 ~キングジョージ4世~

2008年02月19日 | Weblog
2月17日(日)におこなったティスティング会で、リストにのせた5種類のほかにオプションとしてキングジョージ4世のティンキャップを出しました。ハーフショットを特別価格で1,500円。
「封切はバー・ニートのマスターにやってもらおう。」とそこまで(勝手に)決めていました。

というのも「俺も昔ティンキャップの開け方をバールパンのマスターからおそわったんだよ。開けたことある奴なんかそういないから良い経験になるぞ。」というスコッチハウスのマスターの親心(?)から。

いきなり振られたニートのマスターは少々焦り気味でしたが、そこはプロ。「これは実技試験(←何の)にも出ませんねえ。」なんて言いながらすんなりと開けてくれました。

ティンキャップですからボトリングは50年前ということに。飲んだ瞬間ひね香を感じましたが、時間とともになじんでいい味に。そのひね香もまるでシェリー酒の香りみたいとおおむね好評だったのが面白かったです。

オプションで出したキングジョージ4世ティンキャップでしたが参加者全員(6名)に飲んでいただきました。ありがとうございました。



思い出のタリスカー

2008年02月06日 | Weblog
2008年2月17日(日)PM8:00より恒例のテイスティング会をおこないます。今回のタイトルは「ブレンドとその原酒⑤キングジョージ4世&ハイランドネクターとタリスカー」です。

タリスカーは思い出深い銘柄です。グラスゴー(盛岡の老舗バー。2006年暮れ閉店)のマスターが愛飲していました。

グラスゴーは1977年に開店しました。うちのマスター関和雄君はその時からの常連です。1970年代はまだマッカランは正規輸入しておらず、シングルモルトといえばタリスカー(ニッカ)グレンリベット(サントリー)ミルトンダフ(明治屋)ノッカンドー(サッポロビール)グレンドロナック(丸紅)ボウモア(菱和酒類販売)あたりが盛岡のバーで飲める銘柄でした。地方ではこうした大手輸入元で販売したものしか入荷できなかったのです。盛岡ー東京間は特急で6時間半。ファックスも宅急便もなく量販店もない時代でした。(でも不便だったからウイスキーが美味しかったのかもしれません。)

ブレンデッドウイスキー全盛で盛岡でモルトを飲むのは限られた人たちだけでしたが、その限られた人たちが夜な夜な集まるのがグラスゴーでした。「ここにはない酒は無い」といって仙台のFデパートの社長が通っていたと聞いたことがあります。終わりの時間になるといつもナットキングコールのテープをかけていたこと、満席になってから店にどうしても入れてあげたいお客さんがくると、片隅から古い椅子を出してきて席をつくってあげたこと。(常連のあいだでそれは名誉の椅子と呼ばれみんなそれに座りたがっていました。)盛岡の本格バーのさきがけとしてお客さん皆がグラスゴーを大事にしていました。

70年当時、東京はいざ知らず盛岡のバーがお酒を取り寄せようとすれば最低6本、普通は12本単位でという制約がありました。(個人は酒屋さんで最初から相手にしてくれませんでした。)その中でグラスゴーが愛し常連のウイスキー飲みの人々も喜んでいたのがタリスカーです。

そのタリスカーをテイスティング会に出す準備をしているとグラスゴーのことがしきりに思い出されます。錠さんが(本名の宍戸にひっかけて常連はグラスゴーのマスターのことをこう呼んでいました。)「関さん、これ美味いよ。」と言っていろんなウイスキーを勧めてくれた時の笑顔は忘れられません。グラスゴーはスコッチハウスのマスターがウイスキーを最初に学んだ店なのです。


2008年の抱負

2008年01月11日 | Weblog
新年おめでとうございます。2008年もスコッチハウスをよろしくお願いします。

年末にお店に見えられた滝沢のE.TコンビのEさんが「スコッチハウス的10大事件なんてありますか?」「うーん平和な一年でしたね。」と私。「じゃあ、ママ的に今年のウイスキーベスト3は?」「ロッホインダール、ラフロイグのチェス、それからミシェルクーブレー21年!」即答できるくらい成長したのかしら、私。

そういえば、Eさんからは「おいしいホットウイスキーつくってね♪」という素敵な宿題をいただいております。忘れてません。忘れてませんよ~!

さらにEさんからは、「ブログ見てますよ。更新してね~。」というありがたいお言葉をかけてもらってます。実は私にはスコッチハウス10周年に私家本をつくって関係者にお配りしたい、という希望がありましてそのためのもマスターの話やら自分のウイスキー観やら書き溜めていこうと思います。

最近スコッチハウスのHPからの引用文をマスターが他ブログなどで時々発見するので(マスターが喋って私が書いたので、自分たちの言い回しだとすぐわかる)資料的価値はある。それならばもう少し日本のスコッチウイスキーの流れを掘り下げてみたいなあと思うのです。しかし完全に口述筆記なので書く方の私は大変ですが。

ですから今年の抱負は「ホームページとブログの更新をまめにする」です。お店に来てくださってる顔の浮かぶ方々にむけて書いていきます。・・・このように宣言すればなんだかちゃんとやれそうな気がする。ついでに私の変わりに口述筆記をしてくれる人が現れて本を出版する話が実現するような気もする!(現れてくれ~)

人生において、この「気がする」って以外に大事だと思うんですよ。相当願望がはいっておりますが以上2008年の抱負でした。(笑)






スコッチハウス的忘年会 

2007年12月20日 | Weblog
去る12月9日の忘年会。報告をせねばと思いながら一向に書き出しが浮かばない。そしてパソコンの前に座りたくない。???。

なぜか。それは寒かったから。

あっ、がくっときた人すいません。でも忘年会後、お店に出ると寒くてしかたなかったのです。パソコンの場所がまた冷えるところで座りたくない。それが5~6日続いてとうとう17日お店をマスターにお願いして家に帰りました。たくさん眠って回復してようやくパソコンに向かう気力がでました。体調と文章書きって連動してますね。

忘年会は10名の参加。私はいつもの鳥の紅茶煮(人参とセロリの温野菜添)を用意。6時ごろから人が集まり始めました。カウンターは4名テーブル6名と丁度いい感じに別れ皆さん楽しくお話がはずんでいました。バックミュージックは最長老(でも60歳にはなってない)Iさん持参のユーミンベストアルバム!シガーの虜K氏の参加で9時以降は葉巻タイム。葉巻の愛弟子O氏とゆったりと煙をくゆらせておりました。

ブログでさりげなく催促した(笑)差し入れですがニートSマスターの奥さんがほのかなレモン風味のベイクドチーズケーキ、F氏はウイスキーにぴったりのがっこ(つけもの)そして件のO氏がバケットにチキンサラダを詰めたおいしいおつまみをつくってきてくれました。みんな美味しかったですが特に0氏のおつまみはスライスして食べると最高!K氏が気に入って喜んで召し上がっていました。

O氏には私の鳥の紅茶煮をほめていただいてお互いに料理のレシピを教えあいっこしました。(注・0氏は独身男性です。嫁になる人は一生食いっぱぐれないと思います。)

さて私の心残りはテーブル組にお邪魔できなかったこと。ちょっと体が重いなと感じたのはその後の体調の悪さの予兆だったかも。滝沢のEさん!コメントでテーブルの様子を報告してね。(笑)

第一陣は10時過ぎに解散。葉巻組はゆっくり1時までと最後まで楽しい忘年会でした。グレンファークラスが何本も空になりました。まあ盛岡のウイスキー飲みが集まりましたからね。来年の企画の案も出たりして皆さん有意義な集まりだったようです。テイスティング会とは別に、肩のこらないこんな集まりをまたやりたいです。そのときは盛岡はもちろんのこと県外のウイスキー飲みの方もご参加どうぞ。


猫に小判 ~ボウモア1963、1964~

2007年12月07日 | Weblog
またまたシガーの虜K氏の登場です。

氏は葉巻とウイスキーをこよなく愛し周りの人たちにも勧める「伝道師」のような方です。ご自身は2年間かけてスコッチハウスの60年代オールドボトルの「ボウモア」「グレングラント」「グレンファークラス」etcを着々と制覇していった、私からみれば二人目のマスター(?)とでもいうべき素敵なお客さまです。

ところでこのウイスキー好きの二人の男性を嘆かせる出来事が・・・。

いつものように二人のお連れ様にウイスキーのうまさを力説していたK氏。勢いがついたのでしょう「飛び切りうまいボウモアを!63年(モリソン30周年)と64年(バイセンテナリー)を比べましょう!!」それがどんなに贅沢なオーダーであったのかわかっていたのはK氏とマスターと私だけ。K氏がおもてなししたかった肝心のお二人にはピンとこなかったようでその証拠にお帰りになったあとハーフでお出ししたボウモア63と64はほとんど手付かずで残っていたのです。ふたつで一万円。あとでマスターと私とでありがたく頂戴しました。(63の味がおちついてパヒューム香が消えていた事は後日詳しく書きます。)

昨晩遅い時間にふらりと現れたK氏。葉巻をくゆらせながらその時のことをマスターと喋っていきました。かいつまんでいえば「ウイスキーの味がわかんない人にはもう良いのは飲ませない!」・・・そのように男性ふたりの意見が一致したのでした。

味の好みは人それぞれですが、個人的にはK氏には伝道師としてまだまだ活躍して欲しいです。なにしろ私はすっかり影響をうけてヒュミドール(湿度計のついた葉巻の保管箱)が店に欲しくなってしまったのですから。

付記 K氏に励ましのコメントを!