スコッチダイアリー

盛岡の小さなショットバー「スコッチハウス」のサトコママの日記帳です。

マスターの質問 ~謎のボトルと謎のセンター~

2008年10月18日 | Weblog
この度の「ウイスキーワールド」の取材では、マスターも質問を用意して土屋さんを待ちかまえていました。

ひとつはスコッチハウスで10月19日に行うテイスティング会(ヘイグとその原酒)に出品するヘイグのヴァッデッドモルト「GLEN LEVEN」の読み方。これは日本には輸入されなかったウイスキーなので、資料がザガッティの「「John Haig Of Markinch produces a malt named Glenleven」一行だけで、私とマスターは日本語表記をどうするのか首をひねっていたのです。

これはスコットランドにロッホ・レヴン(レヴン湖)があるので現地の発音でグレンレヴンというかもしれないがスペルからグレンリーブンでいいでしょう、というのが土屋さんの見解でした。

もうひとつは「Cairngorm Whisky Centre」についてです。

ボトラーズ(中身はマッカラン)のラベルに書かれていた「Cairngorm Whisky Centre」(ケアゴーン・ウイスキーセンター)は、マスターにとって長らくわからないことのひとつでしたが土屋さんの説明によりスペイサイドのウイスキーショップであったことが判明しました。コレクター御用達の隠れた名店でしたが、今は閉店して地ビールの工場になっているという話でした。ウイスキーセンターなので、博物館かもしれないなどと思っていたマスターは、疑問がとけてすっきりしたのでした。

付記
以前コメントをよせてくださったコレクターのけんいちさんは、このケアゴーン・ウイスキーセンターで「バリンダロッホ・キャッスル」をお求めになったそうです。マスターも持っていない60年代ヴィンテージ初期ボトル!(マスターが持っているのは70年代。)

けんいちさん!バリンダの初期ボトル、マスターが欲しがっております!!

ウイスキーオデッセイ3 ~土屋守氏の旅~

2008年10月17日 | Weblog
雑誌「ウイスキーワールド」の取材で、土屋守氏がスコッチハウスにお見えになりました。このブログでウイスキー関連の出版の流れを書いていたので、こちらからも逆取材させていただきました。

1991年雑誌ブルータス「ウイスキー特集」。1992年とんぼの本「スコッチ・モルト・ウイスキー」(新潮社)。どちらも執筆者の一人として土屋氏の名前が出ています。これが日本でウイスキー関係の仕事をした最初だということでした。

それから、ウイスキー蒸留所の紹介記事を新聞連載。(共同通信より地方紙26社に配信。河北新報での連載を読んだマスターは、ウイスキーの記事が新聞に載ったのが衝撃だったと言います。)それをまとめたものが1995年刊「モルトウイスキー大全」です。それ以前の蒸留所紹介の本は1991年「スコッチへの旅」(平澤正夫著・新潮選書)1992年「モルトウイスキー・デスティラリー・パッケージ(橋口孝史著)がありました。

「大全」は、バーテンダーの教本として需要があり順調に版を重ねました。ウイスキーの説明がわかりやすいだけでなく、ポットスチルの形や、蒸留所近くを流れる川の風景といったものがその文章からありありと想像されるのですが、それは従来のウイスキー紹介の本にはないものでした。橋口氏のデータに平澤氏の詩情が加味された独特の内容を土屋氏はつくりだしたのです。

マイケル・ジャクソンの「世界のウイスキー」が持つ、旅路の果てに蒸留所を見たという実感のようなものを土屋氏の「大全」からも感じます。やはり土屋氏も実際スコットランドを歩いて蒸留所を直接取材しているので、本当にそれを見た人の感覚が現れているのでしょう。

私が土屋氏にはじめてお会いしたのは、スコッチ文化研究所主催のスコットランド旅行「スペイサイド死闘編」に参加した時でした。十数ヵ所の蒸留所を回りましたが、その時の各蒸留所の歓迎振りに土屋氏が培ってきた信頼関係を感じました。

いつかまだ無名だった土屋氏がたどったスコットランドの旅の話をゆっくり聞いてみたいものです。