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スコッチダイアリー

盛岡の小さなショットバー「スコッチハウス」のサトコママの日記帳です。

第33回テイスティング会のお知らせ

2009年10月05日 | Weblog
10月18日(日)PM8:00よりテイスティング会をおこないます。題して「ブレンドとその原酒⑬ホワイトホース&ラガブリン」会費3000円です。興味のある方ぜひご参加ください。

目下のところ「ラガブリンは何を出そうかな~」とマスター考え中!詳細が決まったら画像を載せます。しばらくお待ちください。

ところで、前回のブログからずいぶん間があいてしまいました。ようやく再開の運びとなりましたが、健康上の理由からしばらく低空飛行でいくことになりそうです。気長にお付き合いいただければ、と思っています。

決着! ~ブラックボウモア・ファーストエディション~

2009年01月01日 | Weblog
私とマスターの間で味の論争が巻き起こり、ついには「トロピカルかフルーティか」と新聞ネタにもなったブラックボウモアの会。12月30日に無事終了しました。さて、肝心のボウモアのお味は?

結果は、トロピカルではなくフルーティでもなく。つまりフルーツっぽくない全然別の味でした。がりがりしてた、といったら極論でしょうか。そこまで荒いわけじゃなかったしね。

なめらかでとろけるようなボウモアテイストを期待していたら口のなかでうまく味が溶け合わない。この感じはなんだろう?オロロソのシェリー樽由来のドライさなんでしょうか。なんと表現したらいいのだろう?言葉がでなくて首をひねりました。味の表現ってむずかしい。

しかしおいしい部類のウイスキーであることには間違いない。60年代のボウモアテイストの後から唾液が出てくるようなハニー香を期待するむき(マスターのことです)には物足りないかもしれませんがボウモアってもともとアイラ。がりがりしててもいいんじゃない?いや、なにか開き直ってしまいましたが。

思うのは「なんでこんなに値上がりしたの?」という素朴な疑問。もともと17,000円の代物です。1979年発売のバイセンテナリーが40,000円で、どうみてもこっちのほうが味としては格上。去年の夏にのんだブラックボウモアセカンドはバイセンテナリーを彷彿とさせる味で、飲んだ感激はこちらのほうが強かったかな。

まず飲まないことにはウイスキーの話はできない(特にマスターとは)ので、飲めてよかったなというのが今の素直な気持ちです。決着は引き分けですがマスターは勝ちをゆずったと思っていることでしょう!

付記 ブラックボウモアについてはとても一度でまとめきれません。何度かにわけて書きついでいきたいと思います。

取材が2件

2008年12月04日 | Weblog
まず、河北新報に「12月30日におこなうブラックボウモアの会」の紹介が載ります。テーマは夫婦愛(?)。12月6日付けの社会面です。追って東京新聞にも載るかな。

もうひとつはTV朝日の「るくなす」という東北6県で土曜正午に放映される番組に4分の枠で紹介されます。その4分のため打ち合わせを一回やり台本をつくり撮影は午後3時から8時までの5時間かけました。スタッフの方のお話だと3分なら3時間、4分なら4時間。スコッチハウスのプラスになった一時間はウイスキーを4~5本単品で撮影したぶんです。ここまで思い入れ深く撮影してもらえるとうれしいものです。ちなみにここでもテーマは夫婦愛(!)放映は12月13日(土)正午です。

取材にきた方々は、「奥さん、よく旦那さんがこんなにウイスキー集めるのを許しましたね~。」と口ぐちに言います。ほんとに不思議みたいです。実は自分でも不思議でした。その回答が今度の取材で得られました。すっきりです。

要は、奥さんをツンボ桟敷に置かないで一緒にウイスキー集めをしたってことです。一体感があったので私もカリカリしなかったのかなと今振り返って思います。

メイキング・オブ・スコッチハウスというタイトルでブログ書けそう!

付記 河北新報の記事はこちらです。一読したマスターは「どこが夫婦愛なんだ?」と言いました。国語力ないな~(笑)。私は立派な夫婦愛だと思いますよ!

http://www.h7.dion.ne.jp/~s-house/kahokusinnbunn.html

日陰のウイスキー ~モートラック~

2008年11月04日 | Weblog
モートラックは面白いウイスキーです。1990年(UD社)以前にオフィシャルのシングルモルトとしてボトリングされたのはほんのわずか。そしてそれは、すべて日本向けだったのです。

今回コールドベック社が日本の大丸デパートのためにボトリングしたモートラックを入手しました。

1990年以前は、生産されたモートラックは味のよさからほとんどブレンドの原酒にまわりモートラックという名ではG&M社が販売しているだけでした。ところが日本ではジョニーウォーカーの原酒としてモートラック12年が1981年から発売されていました。

ヨーロッパでオフィシャルが発売されなかった理由。それは、モートラックの味わいがブレンド向きだったからです。一言でいえば「特徴のある味」。ブレンドの隠し味としてアイラウイスキーが求められたのを思えばうなずける話です。そのため業界がこぞってモートラックを買付けたため品薄になりオフィシャルに回す余裕がなかったのです。

それではなぜ日本でだけモートラックのオフィシャルが発売されたのか。仮説を立ててみました。大丸デパートというところに鍵があります。おそらく日本では小さいながらもウイスキー市場が確立していたのです。大手デパートの中元、歳暮商戦がそれです。そして次第にユーザーが成熟していったため、普及品であるジョニーウォーカーよりさらに上のランクが求められた結果モートラックが発売されたのでしょう。

そしてもうひとつ。コールドベック社の関係者に「どうしてもモートラックを日本に広めたい!」と思った人がいたのだと思います。当時のモートラックはシェリー樽熟成でありながらクセのある一風変わった味でした(これはマスター談)。ジョーニーウォーカーに慣れていたところに味の濃い原酒を飲んだとしたら、その衝撃はいかばかりだったでしょうか。一発でモートラックにほれ込みこれを国内で販売したいと思った日本人がいたとしても不思議ではありません。そう考えないと、イギリス本国でも出していなかったオフィシャルが、小さな島国である日本で堂々と販売されていた説明がつきません。当時の事情を知る方に是非お伺いしてみたいものです。

大丸屋の陶器ボトルの裏に「ジョニーウォーカーにそそぎこむ多くのシングルモルトスコッチの中で、ジョニーウォーカーの魂と呼ばれているのが<モートラック>です。」という説明文が載っています。ボトルキャップのジョニーウォーカーのマークを見てください。ウイスキーにかける思いがまっすぐに伝わってくるようではありませんか。

日本以外のウイスキーコレクターはモートラックのオフィシャルを探し出せずにくやしい思いをしたようです。マイケル・ジャクソンのコンパニオン(初版)には、モートラックはG&M社のものしか載っていません。ザガッティもまたしかり。今でもヨーロッパのコレクターは日本で出されたモートラックを求めています。

1990年になりUD社が6大クラシックモルトを発表したときスペイサイド代表の座をクラガンモアと争い惜しくも逸したのは有名な話です。「モートラックはクラガンモアよりずっと格が上なんだぞ。現場の人間はさぞ悔しかったろうな。」とマスターは言います。ブレンド時代はジョニーウォーカーの陰にかくれモルトブームの時は脚光を浴びるチャンスを逃し、日陰のウイスキーのままだったモートラック。ウイスキーにもめぐりあわせというものがあるのです。








マスターの質問 ~謎のボトルと謎のセンター~

2008年10月18日 | Weblog
この度の「ウイスキーワールド」の取材では、マスターも質問を用意して土屋さんを待ちかまえていました。

ひとつはスコッチハウスで10月19日に行うテイスティング会(ヘイグとその原酒)に出品するヘイグのヴァッデッドモルト「GLEN LEVEN」の読み方。これは日本には輸入されなかったウイスキーなので、資料がザガッティの「「John Haig Of Markinch produces a malt named Glenleven」一行だけで、私とマスターは日本語表記をどうするのか首をひねっていたのです。

これはスコットランドにロッホ・レヴン(レヴン湖)があるので現地の発音でグレンレヴンというかもしれないがスペルからグレンリーブンでいいでしょう、というのが土屋さんの見解でした。

もうひとつは「Cairngorm Whisky Centre」についてです。

ボトラーズ(中身はマッカラン)のラベルに書かれていた「Cairngorm Whisky Centre」(ケアゴーン・ウイスキーセンター)は、マスターにとって長らくわからないことのひとつでしたが土屋さんの説明によりスペイサイドのウイスキーショップであったことが判明しました。コレクター御用達の隠れた名店でしたが、今は閉店して地ビールの工場になっているという話でした。ウイスキーセンターなので、博物館かもしれないなどと思っていたマスターは、疑問がとけてすっきりしたのでした。

付記
以前コメントをよせてくださったコレクターのけんいちさんは、このケアゴーン・ウイスキーセンターで「バリンダロッホ・キャッスル」をお求めになったそうです。マスターも持っていない60年代ヴィンテージ初期ボトル!(マスターが持っているのは70年代。)

けんいちさん!バリンダの初期ボトル、マスターが欲しがっております!!

ウイスキーオデッセイ3 ~土屋守氏の旅~

2008年10月17日 | Weblog
雑誌「ウイスキーワールド」の取材で、土屋守氏がスコッチハウスにお見えになりました。このブログでウイスキー関連の出版の流れを書いていたので、こちらからも逆取材させていただきました。

1991年雑誌ブルータス「ウイスキー特集」。1992年とんぼの本「スコッチ・モルト・ウイスキー」(新潮社)。どちらも執筆者の一人として土屋氏の名前が出ています。これが日本でウイスキー関係の仕事をした最初だということでした。

それから、ウイスキー蒸留所の紹介記事を新聞連載。(共同通信より地方紙26社に配信。河北新報での連載を読んだマスターは、ウイスキーの記事が新聞に載ったのが衝撃だったと言います。)それをまとめたものが1995年刊「モルトウイスキー大全」です。それ以前の蒸留所紹介の本は1991年「スコッチへの旅」(平澤正夫著・新潮選書)1992年「モルトウイスキー・デスティラリー・パッケージ(橋口孝史著)がありました。

「大全」は、バーテンダーの教本として需要があり順調に版を重ねました。ウイスキーの説明がわかりやすいだけでなく、ポットスチルの形や、蒸留所近くを流れる川の風景といったものがその文章からありありと想像されるのですが、それは従来のウイスキー紹介の本にはないものでした。橋口氏のデータに平澤氏の詩情が加味された独特の内容を土屋氏はつくりだしたのです。

マイケル・ジャクソンの「世界のウイスキー」が持つ、旅路の果てに蒸留所を見たという実感のようなものを土屋氏の「大全」からも感じます。やはり土屋氏も実際スコットランドを歩いて蒸留所を直接取材しているので、本当にそれを見た人の感覚が現れているのでしょう。

私が土屋氏にはじめてお会いしたのは、スコッチ文化研究所主催のスコットランド旅行「スペイサイド死闘編」に参加した時でした。十数ヵ所の蒸留所を回りましたが、その時の各蒸留所の歓迎振りに土屋氏が培ってきた信頼関係を感じました。

いつかまだ無名だった土屋氏がたどったスコットランドの旅の話をゆっくり聞いてみたいものです。

ウイスキーオデッセイ2 ~鎌倉書房の仕事~

2008年09月28日 | Weblog
マイケルジャクソンの「世界のウイスキー」を出版した鎌倉書房は、1988年(昭和63年)に「乾杯」という季刊誌を創刊しました。当時は翌1989年(平成元年)に酒税法が改正になることがすでに決まっており、従価税が撤廃されるため値段の高かったウイスキー、ワイン等の国内価格が一般の家庭でも手の届くところまで下がってくるのを見越した出版社が「将来なるであろうウイスキー、ワインの消費者」へ向けて出した雑誌です。

メイン記事は「冷たい霧の中で成熟するスコッチ」「芽吹きはじめて春を待つボルドー」「光と影が育む南イタリアのワイン」と、いまでもそそられるタイトル。そして特筆すべき記事がもうひとつ。それがウォーレス・ミルロイの「モルトウイスキーテイスティングガイド」です。当時、英国で最も権威のあったモルト・ウイスキーの本を全訳したものを、地域別に何回かにわたって掲載したのです。

当時スコッチハウスのマスターはまだ一個人で、ウイスキーに強い酒屋さんと郵便で注文表をやりとりしてはスコッチを集めていました。資料といえば名酒事典や橋口氏の著書くらいでしたから、邦訳されたミルロイのガイドは文字通り第一級の資料でした。名酒事典に載っていないモルトウイスキーがすべて紹介されていて、その後マスターがイギリスに行った時そのコピーを持って行って参考にしたのでした。

ミルロイの「モルトウイスキーテイスティングガイド」とならんで1989年英国で出版されたのがマイケル・ジャクソンの「モルトウイスキーコンパニオン」です。マスターはこの英語版もいちはやく入手しています。

雑誌掲載ののち書籍化されると思われたミルロイの「ガイド」ですが出版には至りませんでした。マイケル・ジャクソンの「コンパニオン」は2000年に小学館が邦訳出版するまでほぼ十年かかっています。

ウイスキー・コンパニオンの邦訳の出版は小学館のY氏の素晴らしい仕事ですが、それに先立つ10数年前、同じようにスコッチウイスキーを世に広め、出版の流れをつくった編集者が鎌倉書房にいたのです。私は名前も知らないその方に心から敬意を表したいと思います。

その後「乾杯」は26号まで発行され、1994年鎌倉書房の突然の倒産により終刊しました。マスターは全冊持っていて今でも大切にしています。画像は創刊号と最終となった第26号です。

付記
この項を書きあげたあと、マスターが何やら探しものを。そしてミルロイのテイスティングガイドの日本語版「スコッチモルト・ウイスキーガイド」を本棚から発見しました。1990年刊。定価2000円。鎌倉書房はちゃんと出していました。

ウイスキーオデッセイ ~故マイケルジャクソンへ~

2008年09月03日 | Weblog
スコッチハウスHPのウイスキーコレクションを時々手直ししていますが、その説明文にマイケルジャクソン著「世界のウイスキー」がしょっちゅうでてきます。曰く「マイケルジャクソンが世界のウイスキーを執筆中だった1980年当時○○のオフィシャルは入手困難だった。」となんだか決まり文句になってしまった感が。

その「世界のウイスキー」ですが立派な装丁の本です。英語版は1987年刊。日本語版は定価12,000円で1989年鎌倉書房から出ています。写真は英語版と日本語版です。鎌倉書房がその後潰れてしまい現在は絶版。「よくこの時代に、こんな本出せたねえ」と感心していたら「だから出版社が倒産したんだ」というしごくもっともな答えがマスターからかえってきました。

日本語版が出版されるまでは、英語版の入手も大変で、グラスゴーのマスターに頼まれてようやく取り寄せできたと思ったらフランス語版でがっかり、なんていう話も残っています。やはり洋書は東京で探す方がはやく、日本橋の丸善と銀座のイエナは、行けば必ずのぞいていました。

「世界のウイスキー」は、内容はウイスキーの辞典なんですが、説明のはしばしに詩情のようなものを感じます。マイケルジャクソンがひとつの蒸留所の記事を書くためにはるばるスコットランドを旅して、ようやくそこにたどりついた時の感動がそのまま記述に出ているのです。指先一本でなんでも調べられる今とは違い、ちゃんと足をつかって対象を見にいっているんですね。

映画「2001年宇宙の旅」はスペースオデッセイだけどマイケルジャクソンの「世界のウイスキー」はウイスキー版のオデッセイなんだ、とマスターがしみじみ言いました。こういう広がりが、人がウイスキーに魅せられるゆえんなのでしょう。


どんな意味? ~チェッカーズ~

2008年08月18日 | Weblog
第26回テイスティング会が8月17日(日)に行われました。参加4名。あいかわらず内輪の会です。

さて、参加者の話題はローモンドスチルからはじまりました。(皆さんブログ読んでるのね。)それから、今回出品したうちのひとつ、チェッカーズの名前の意味に。マスターが「チェッカーズは首相官邸の意味だ。」と言い出したのでO氏(ブログ「スコシア祭り」の主役)が意味を検索。

「CHEQUERS」は小切手の意。じゃあ金持ちか飲むウイスキーってこと?(チェッカーズ自体アボットチョイスの上のクラスだし。)

さらに検索すると「バッキンガムシャー州のチルタウンヒルにある古城の名前」(地名ということは、そのあたりにウイスキー工場や倉庫があるのか?)

「そしたら首相官邸とチェッカーズで検索してみよう!」とO氏。「出てきた!」

「チェッカーズ。イギリス、バーミンガムシャー州エイルズべりーにある首相官邸の別邸の名。ロンドンの北西55kmにあるチュダー様式の建物で1917リー・オヴ・ファーハム卿からイギリス政府に贈呈された。現在は夏の別邸として使用されている」

そう、英国首相官邸なら「ダウニングストリート10番地」ですね。別邸の場合は「首相は週末チェッカーズに滞在した」とかいうらしい。しかしマスター(半分)当たったじゃない!

そのあと確認の意味をこめ「チェッカーズ 名前の由来」で検索したら「チェッカーズ 創始者の名」と出てきました。これはきちんと確認せねば!そこで「新版・世界の銘酒」( <株>食品産業新聞社刊 昭和51年発行 )をひもときました。

「チェッカーズ:名称の由来はロンドンの北西約40kmにあるバッキンガムシャーのチルタウンヒルにある古城の旧跡である。元来この城はチュードル王朝の有名な邸宅であったが1971年マッキーワン社の関係者により政府に寄贈され、現在は英国首相の別邸として長く使用されている。」

文中マッキーワン社は、チェッカーズ、アボット・チョイス、リンクウッドのメーカーで、150年以上の歴史をもった名門です。ということは、もともとチェッカーズ城はマッキーワン家のもので、現在は首相別邸になっていることを記念して自社ウイスキーにチェッカーズの名を冠したのでしょうか!(あくまで想像)

ということは、リー・オヴ・ファーハム卿よあなたは何者?

ここまで調べてとっても面白かったです。味比べのはずが、少々脱線してしまったテイスティング会でした。





消えたポットスチル ~グレンクレイグ~

2008年08月15日 | Weblog
ソサエティの最近の入荷で面白かったのがグレンクレイグです。マスターによると「これは今はなきローモンドスチルで蒸留しているんだぞ。インヴァリーブンも同じローモンドスチルを使っているから比べてみよう!」

というわけでソサエティNO104・9(グレンクレイグ 50.9%)とNO20・23(インヴァリーブン 62.6%)を飲み比べました。今回のギャラリーはコメント欄でおなじみ、秋田からお越しの秋田太郎さんです。

「グレンクレイグはフルーティ。桃の風味がする。」とマスター。「最近のいいボウモアやロングモーンの後味に似てますね。」と太郎さん。そんな連想させるのだから、グレンクレイグは不思議な味でした。

「インヴァリーブンはドライですね。そして麦の味がする。オーソドックスなウイスキーの典型。」「これで潮系のピートがあればラガブーリンだ。」

どちらも面白い味だったのですが、なぜグレンクレイグはこんなにフルーティなんでしょうか。2000年以前のウイスキーでは、フルーティさはあっても、ドライフルーツ系のどちらかといえば隠された味でした。思えば2000年に出たピアレスのボウモア以降から、わかりやすいフレッシュフルーツの味がもてはやされるようになりました。今では各蒸留所で競い合ってフルーツ系のウイスキーを出してます。30年近い長熟のウイスキーが揃いも揃って同じ桃の風味になるものでしょうか?いやそれも通り越して南国のパパイヤやマンゴー味になってますね。(南国のラム酒ならわかりますが。)

ポットスチルの話が少し脱線してしまいました。(苦笑)

冒頭にでてきたローモンドスチル(バランタイングループで使用)は今は廃止された種類のポットスチルです。使用しているうちに整流版がしばしば残留物によって詰まるので不評だったようです。使われなくなった理由もそこらへんにあるのでしょうか。