スコッチダイアリー

盛岡の小さなショットバー「スコッチハウス」のサトコママの日記帳です。

さらば、昭和の名バーテンダー

2015年10月30日 | Weblog
 去る10月16日「銀座ダルトンⅡ」において、9月に逝去した「銀座ダルトン」のマスター石澤(こくざわ)実氏を偲ぶ会が行われました。夫も招待状をいただいたので、日帰りで参加しました。

 銀座ダルトンで、夫はスコッチウイスキーを学びました。初めてダルトンに行ったのは1985年。これからバブルに向かおうという華やかな時代でした。店内に並ぶマッカランに感銘を受けた夫は、それから年に1~2回、ダルトンへ通い、スコッチの情報収集に努めました。マスターの石澤さんは、親切にいろいろ教えてくれたそうです。「シングルモルトはダルトンで味を覚え、スコッチ関連の洋書はイエナで購入。東京に行かなければ何もわからないままだった。出張で東京へ行けて本当に良かった。」と、結婚したばかりのころ夫が話したのを覚えています。地方と東京の格差は本当に大きかったです。

 ダルトンのマスターも、盛岡に関和雄というスコッチのコレクターがいることを面白く思ったようで、盛岡の人がいくと夫の話をしたそうです。それがたまたま同級生で「関のことを銀座で聞いたんだよ!」と驚かれたりしました。夫が顔を出すと「盛岡にグレン・グラント残ってない?」と聞かれたり、こちらから石澤さんの好きなミルトン・ダフやストラス・コノンを持って行ったりと、スコッチの事で常に交流がありました。2000年にスコッチハウスが開店した時も、店の内装、特にバックバーは、ダルトンによく似た雰囲気になりました。夫はダルトンのマスターから薫陶をうけたのだと、私はうらやましく思います。

 偲ぶ会では、カウンターに真紅のばらが置かれ、参加者はそれを献花しました。粋ですね。石澤さんが50年間守った銀座ダルトンも、建物の取り壊しで12月には地上から消えてしまいます。けれども、お弟子さんが大勢独立なさっているので、昭和の名バーテンダーMr.マッカランの名は、これからも語り継がれていくでしょう。