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山田サトのブログ

なんでもありのブログ

柴又七福神 福禄寿 萬福寺

2016-10-24 20:10:40 | 神社仏閣(寺社仏閣)
柴又七福神 福禄寿 萬福寺
東京都葛飾区柴又6-17-20 萬福寺 にお参りしてきました。
曹洞宗寺院の萬福寺は、聖閣山と号します。
昭和3年に創建、この地から人骨数体が発掘されたため、地元の人びとの要望に基づくという。
境内には110体の弘法大師石像が安置されている。
柴又七福神の福禄寿を奉っている。
福禄寿は、道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したもので、宋の道士・天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされることもある。
アクセス/柴又駅より徒歩5分

柴又七福神 弁財天 真勝院

2016-10-21 21:24:21 | 神社仏閣(寺社仏閣)
柴又七福神 弁財天 真勝院
東京都葛飾区柴又7-5-28 真勝院 にお参りしてきました。
真言宗豊山派の真勝院は、石照山真光寺と号します。
創建は大同元年(806年)と伝えられている古刹ですが、 たび重なる火災または天文七年江戸川を境に行われた国府台合戦の兵火により焼失されたが、その後何度か再建され現在にいたっている。
門内右側には万治3年(1660)柴又村名主済藤次良衛門等の造立した五智如来石像(葛飾区文化財指定)がある。
柴又七福神のうちの弁財天を奉っています。
七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天は福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されています。
ルーツは古代インドの水の神サラスヴァーティー、サラスは「水」を意味し、もともとは西北インドにあった大河の名前を指し、大河の自然としての偉大さ自体を神としたものらしいです。
さらに河がもたらす恵みから豊穣の女神となり、さらさらと流れる河の音が音楽を奏でるようだとの連想から、音楽の女神にもなりました。
さらには、言葉の女神ヴァーチュと同一視されるようになり、言葉(弁)の才に優れた神、弁舌、学芸、智恵の女神として信仰されました。
アクセス/柴又駅より徒歩5分

柴又七福神 大黒天 宝生院

2016-10-18 19:40:55 | 神社仏閣(寺社仏閣)
柴又七福神 大黒天 宝生院
東京都葛飾区柴又5-9-18 宝生院 にお参りしてきました。
真言宗智山派寺院の宝生院は、大黒山と号します。
寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近の創建、下谷谷中への移転を経て、明暦年間に池之端茅町へ移転したといいます。
関東大震災で罹災し、昭和2年当地へ移転しました。
柴又七福神の一つとなっている大黒天は、江戸期から信仰を集めていたと伝えられ、甲子(陰陽五行では、十干の甲は陽の木、十二支の子は陽の水で、相生(水生木)である。)の縁日には参詣者でにぎわいます。
大黒さまといえば、左肩に大きな袋を背負い、右手に打出小槌を持ち、米俵をふみ、いかにも福々しい姿や日本神話の因幡の白兎に出てくる大国さまを想いうかべるが、そのルーツは、サンスクリット語でマハーカーラと呼ばれるインドの神様である。
マハーカーラを漢字にすると摩訶迦羅となり、マハーは大、カーラは黒色を意味するので大黒天と呼ばれる。
この大黒と大国が同じ音から大黒天と大国主命が同一視されるようになり、日本での大黒さまは福の神というイメージに発展していきました。
アクセス/北総線新柴又駅より徒歩4分

柴又七福神 恵比寿天 医王寺

2016-10-15 19:28:28 | 神社仏閣(寺社仏閣)
柴又七福神 恵比寿天 医王寺
東京都葛飾区柴又5-13-6 医王寺 にお参りしてきました。
真言宗豊山派の医王寺は、薬王山瑠璃光院と号します。
観賢法印が応永14年(1407)に創建、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたと伝えられます。
戦国時代の国府台合戦で罹災、寛永年間(1624-44)金蓮院の僧某が再興、医王寺と改称しました。
柴又七福神の恵比寿天を奉っています。
七福神中で唯一の日本の神様で、いざなみ、いざなぎの二神の第三子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、信仰のはじまりと伝えられている。
左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い。
アクセス/新柴又駅より徒歩2分

柴又七福神 寿老人 観蔵寺

2016-10-13 14:43:33 | 神社仏閣(寺社仏閣)
柴又七福神 寿老人 観蔵寺
東京都葛飾区高砂5-5-2 観蔵寺 にお参りしてきました。
真言宗豊山派寺院の観蔵寺は、金亀山神宮院と号します。
文明元年(1469)僧空性坊により創立され、天文7年(1538)および永禄7年(1569)の再度にわたる国府台の合戦に焼失して荒廃したが、承応2年(1653)隆敬法印によって再興された。
柴又七福神の寿老人を奉っています。
寿老人は道教の神仙、中国の伝説上の人物で、南極老人星(カノープス)の化身とされる。
酒を好み頭の長い長寿の神で、七福神として知られているが、福禄寿はこの寿老人と同一神と考えられていることから、七福神から外されたこともあり、その場合は猩猩が入る。
寿老人は不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従えていおり、手には長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っている。
アクセス/京成高砂駅より徒歩2分