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山田サトのブログ

なんでもありのブログ

新小岩厄除(間々井)香取神社

2017-01-03 11:09:12 | 神社仏閣(寺社仏閣)
東京都江戸川区中央4-5-23(新小岩駅南口より徒歩10分) 新小岩厄除(間々井)香取神社にお参りしてきました。
間々井香取神社の創建年代は不詳ですが、昔この辺一帯が芦原で船が自由に往来できた頃、その中に浮かぶ道ヶ島(堂ヶ島)という小高い島に、下総の香取大神宮より経津主命の分霊を祀ったのが、香取神社勧請の由緒といわれます。
元和三年(1617年)に再建、西小松川村の鎮守でした。
明治時代以降、近隣の神社を当社に合祀、また数多くの神社の兼務を行っています。

息栖神社

2016-12-16 01:16:56 | 神社仏閣(寺社仏閣)
茨城県神栖市息栖2882 息栖神社にお参りしてきました。
息栖神社は、茨城県神栖市息栖の利根川河口近くにある神社です。
国史見在社で、旧社格は県社でした。
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮とともに東国三社の一社で、主祭神は、久那戸神(岐神)です。
第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたといういます。
その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝えられています。
当社の名称について『日本三代実録』では「於岐都説神」と記され、また元亨元年(1321年)の古文書で「おきすのやしろ」と記されるように、当社は「おきす」と呼ばれていました。
この「おきつせ・おきす = 沖洲」という古称から、香取海に浮かぶ沖洲に祀られた神であると考えられます。
祭神が久那戸神(岐神)・天鳥船命であることからも水上交通の神であることが示唆されます。
また、息栖神社は全国でも珍しい井戸が御神体の神社となっています。
鹿島・香取同様に東国開発の一拠点であったと思われます。
地図上でこの三社を結ぶと綺麗な二等辺三角形となり謎のトライアングルと言われています。
トライアングル内の地域では不思議な出来事が起こるという噂もあります。
アクセス/
東京方面より高速バス利用の場合
JR東京駅八重洲南口より高速バスかしま号(鹿島神宮駅行き)で1時間30分、「鹿島セントラルホテル」停留所下車~タクシーで5分、または徒歩30分
電車利用の場合
JR総武線(成田廻り) 小見川駅下車、タクシーで10分
JR鹿島線 鹿島神宮駅または潮来駅下車、タクシーで20分
車:高速道利用の場合
東関東自動車道 潮来ICより15分、佐原・香取ICより20分
車:一般道の場合
水戸方面より国道51号~124号・県道44号、1時間30分
銚子方面より国道124号・県道44号、35分

篠崎浅間神社

2016-11-03 17:38:31 | 神社仏閣(寺社仏閣)
東京都江戸川区上篠崎1-22-31 篠崎浅間神社 にお参りしてきました。
天慶元年(938)5月15日に創建された江戸川区内でもっとも古い神社であり、承平2年(932)に下総国弥山からこの地に移住してきた弥山左那比神人(ややまさなひしんと)が初代宮司として仕えました。
当社には、村上天皇の御守剣、後花園天皇の連歌、熾仁親王の神額、三條内大臣藤原朝臣の神額、犬養毅の額などが奉納されています。
毎年6月末ごろ7日間にわたって行われる幟(のぼり)祭りが有名で、昭和56年には、江戸川区指定無形民俗文化財に指定されており、重さ1t以上の幟10本(幟の大きさ、祭りの規模ともに日本最大級)を掲げるお祭りです。
御祭神は、木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤビメ)であり、火と水の神である。
アクセス/篠崎駅より徒歩15分

黒船稲荷神社

2016-11-01 19:39:37 | 神社仏閣(寺社仏閣)
東京都江東区牡丹1丁目12-9 黒船稲荷神社にお参りしてきました。
応徳3年(1087年)に浅草黒船町(現在の藏前)に創建され、享保17年(1733年)、当地へ遷座しました。
四世鶴屋南北宅跡で、御祭神は宇迦魂命(ウカノミタマ)である。
四世鶴屋南北の狂言作品は『天竺徳兵衛韓話』『心謎解色糸』『謎帯一寸徳兵衛』『東海道四谷怪談』など。
宇迦魂命は、日本神話に登場する神で、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。
名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。
アクセス/門前仲町駅徒歩6分

良観寺

2016-10-28 22:59:03 | 神社仏閣(寺社仏閣)
柴又七福神 布袋尊(宝袋尊) 良観寺
東京都葛飾区柴又3-33-13 良観寺 にお参りしてきました。
真言宗豊山派の良観寺は、弘誓山観音院と号します。
室町時代末期から江戸時代初期にかけての間に念仏堂として建立されていたと考えられ、江戸時代初期に両観寺・了観寺となっている。
柴又七福神のうちの宝袋尊を奉っています。
良観の宝袋尊は、江戸時代初期に商人が都からの帰りに、山中で日が暮れ、民家の宿を借り一夜を明かしたが、民家と思ったのは大木のうろの中で、驚いてうろの中を見渡すと布袋尊がおられた。
尊像を店に持ち帰りお祀りしたところ、商いは大いに繁盛した。
この御利益を大勢の人々のお役に立てたいと発願し、宝袋尊と称して良観寺に奉納せられるに至った。
布袋尊は、七福神の中で唯一中国(唐の時代)に実在した禅僧です。
吉凶や天候などを占ったことから、仏教の弥勒菩薩の化身とも言われています。
長丁子と号した唐代末期の禅僧・契此をはじめ、宋の僧了明、棗陽の張氏の男など、四人が布袋和尚として伝えられています。 彼らはいずれも額が広く、巨大な太鼓腹に、体躯は肥って背低く、いつも半裸という風体。
杖と大きな布の袋を携え、袋の中に身の周りの持ち物を入れて、放浪生活を送っていました。
食べ物を施されると、少しだけ食べて残りは袋の中にしまっておくのが常だったといいます。
悠悠自適で笑って暮らスタンプ楽天的な布袋和尚の生き方が、当時の禅僧をはじめとした人々に「至福」の象徴として受け入れられたと考えられます。
中国ではこの布袋を本尊に祀る寺院が多く、不良長寿・無病息災・開運・良縁・子宝・夫婦円満・金運の神とされまています。
アクセス/柴又駅より徒歩6分