・航空自衛隊岐阜基地の南に
かかみがはら航空宇宙科学博物館があります。その前庭に展示された対潜哨戒機P2J。機体を眺めていると、いろいろな注意書きに気づきます。それも日本語で書いてあったりもする。機体番号「82」の直下には「誘導棒が赤線を越えてはならぬ」とあります。
・禁止している具体的な行為は分かりませんが、この表現には、有無を言わさぬ迫力があるように思います。
a 誘導棒が赤線を越えてはならぬ
b 誘導棒が赤線を越えてはならない
まったくの同義ながら、ニュアンスは違う。bの方は、マニュアルや規則集に書いてあるので「やってはいけない」という感じ。「規則は破られるためにあるノダ」とうそぶく隊員なら冗談まじりに破るかもしれない。aだと、何がなんでもしてはならい感じ、いや、指示を破ったら何が起こるか分からない、起こるとしたらとんでもないことが起こる、そんなニュアンスがあるように思えてきます。禁止する言外の圧力がaとbとではかなり違うような気がする。
・これを説明するのに、役割語研究の成果を援用すると分かりやすい。現代共通語では打消の助動詞にナイを使うのが普通です(=無標)。これに対して、打消ヌは、何か特別な場合にのみ使います(=有標)。老人だったり、西日本方言だったり。ドラマ・アニメなら、博士だったり、殿様・お姫様だったり、神・仏だったり、超人だったり、マザーコンピューターだったり(ちょっと古いか)。まずは、このような打消ヌの表現性が確認できる。
・現実にもどります。表現aを使って禁じているのが誰なのか、実ははっきりしていない。上官なのか、設計技師なのか、空港管理者なのか、基地の長なのか、日本政府なのか、国連なのか…… ナイだったら普通の打消なのでそんな詮索をする気も起きない。でも表現aではヌを使っているんだから特別なキャラクタがあるはず。なのにそれが明示されないものだから、得体のしれなさ感はいや増します。それが禁止のニュアンスを増幅してはいないかと思うんですが、考えすぎかな。
・より簡明には、キャラの出現を予想だにしないところ・文脈で、有標な表現に出くわした違和感がある、もしくはそれに起因する不気味さがあって、禁止の増幅作用が生じる、と説明すべきかもしれません。
・こんなことは、自衛隊とは関係ない民間人が感じるだけで、当事者たちにはもっとも明確な指示として、粛々と守るべきであり、何ら疑念の余地のないものなのかもしれません。「~てはならぬ」と書いた人も淡々と書いたのでしょうか。あるいは、ステンシルだから固定化した表現なのか。新たにステンシルを発注してのことだとしたら、発注者は「ぬ」の表現性を意識していたかどうか…… いろいろ想像したくなります。