「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

台風下での料理(巨大ホットドッグ)

2023年08月15日 | 日記
 帰省中の実家は台風が直撃で、今朝から暴風雨に見舞われている。午後になって幾分風雨は弱まったが、まだ雨風ともに強い。こんな時は外にも出られないので、料理をするに限る。一人暮らしのため、多くの食材を油で揚げるような料理はしにくいので、実家に帰ったら作ろうと思っていた料理がある。それは「ホットドッグ」の一種なのだが、ヴォリュームのあるものだ。

 この「ホットドッグ」はYoutubeの「Travel Thirsty」というチャンネルで紹介されていたもので、その動画を見た時から是非食べたいと思っていた料理である。「アメリカ料理 - ニュージャージーで最高のイタリアンフライドホットドッグとソーセージ!」(リンクあり)という動画に登場する「ホットドッグ」を見ていただければどういうものかはよくわかる。

まずはジャガイモを輪切りにして、玉ねぎとパプリカを適当な大きさに切る。


ジャガイモと玉ねぎ、パプリカを油で揚げる。



ソーセージを揚げてもいいが、大きなソーセージが買えなかったので、今回は赤身肉の焼いたものを具材とした。動画でも赤身肉のホットドッグも登場する。


動画に出てくるベーグルのようなパンがなかったので、大きめのパンに切り込みを入れ、マスタードをたっぷりと中に塗り、そこに調理した具材を全てギューと詰め込む。そのうえから、これでもかとケチャップを振りかければ完成。ひいき目に見て、再現度5~6割はあると思う。


 ホットドッグ一個で三人前くらいの量がある。味の方はかなり心配だったが、台風の中で家に閉じこもっている家族にふるまうと、意外と高評価で、みんなきれいに食べていた。僕も食べてみたがうまかった。

盆踊りの「復活」と中学時代の「生徒会」のこと

2023年08月13日 | 日記と読書
 昨年末以来、なかなかまとまった休みが取れず、疲労も蓄積していたので、お盆休みの+αの休暇を取って実家に帰省した。緑と田園広がる田舎なので、東京よりは暑さが和らぐだろうか、と考えたが、日中の気温はあまり変わらないようだ。ただ、湿度は低く、日が暮れて日が昇る時間帯は、東京よりは過ごしやすい。クーラーを切っていても過ごせる気温になっている。庭に数十年植えてあるレモンの木も半分が暑さで枯れてしまっていた。レモンが鈴生りになっているのを帰省の度に見ていたが、今年は葉っぱが全部落ちた幹から新芽が出てきており、半分の幹は完全に枯れてしまっていた。ただ、柿の木は元気で、青い実を大量につけていた。


 僕の「村」の盆踊りがなくなってから久しいが、周りの「村」の盆踊りは続いている。今年は僕の「村」の有志が集まって、盆踊りの「復活」を企画していたようだ。資金の調達や住民の理解、安全の確保など、現在は盆踊りをするだけで、相当の労力と「配慮」が必要になる。今回は「試行」ということで、有志は隣町まで寄付を募り、露店や籤引きも無料で開催するという。家族の一人が有志の「副会長」ということで、午前中は暑い中で盆踊り会場の設営に行っていた。僕の同級生が会長らしく、帰省しているなら手伝いに来てくれればよかったのに、と言っていたと聞いて、少し頭には手伝おうかとよぎっていたが、故郷を去ったよそ者となっている今、そういう所で妙にやる気を出しても煙たがられるだろうなと考えて、行くのはやめにした。ただ、本当に人手不足と苛酷な気候だったらしく、純粋に手伝いとしていけばいいのかとも思った。

 「副会長」の話によると、「村」の年配者が準備作業中の広場に突然一人現れ、その年配者は、自分は盆踊りに反対の立場だったんだけどなと、わざわざ告げに来たらしい。少し変な雰囲気になったという。僕の同級生も含めその下の世代は地域の「つながり」がなくなっていくのに危機感を持っている。その危機感が盆踊りの「復活」を企画させたわけだが、その危機感は必ずしも共同体の中で共有されていないのかもしれない。僕の両親の世代も「復活」には消極的ではあった。確かに「村」の盆踊りの「復活」には「地縁・血縁」、「男根中心」的な「封建的」側面もあり、そういう行きたくもない行事や、普段の仕事以外の労働を増やすこと自体は忌避され、盆踊りや様々な「村」の行事がなくなり続けて行ったのが、この30年間だったと記憶する。そういう意味では、「つながり」の喪失に対する危機感と、盆踊りの「復活」の必要性を感じている同級生や下の世代の気持ちはよくわかる。その失われた「つながり」は、「地縁・血縁」や「男根中心」とは別のかたちで模索された方がよい、とひとまずは言える。しかしながら、そういう「封建的」な「つながり」ではない「つながり」は、現状としてはなかなかすぐには機能しないし、あるいはそういう「封建的」な「つながり」を解体してきた結果が、現在に繋がっているわけで、「つながり」をどういう形で「復活」させるかは難しい問題だと思う。また、盆踊りが「迷惑」をかけない行事であることを証明することが求められる。騒音や交通安全にかかわる問題など、生権力的な問題が付きまとう。そのような行事の管理コントロールには莫大な費用と労力が必要で、それが盆踊りの「復活」の足かせになっている側面もある。

 少なくとも30年前の「村」は鍵などかける習慣はなかったし、家の周りに塀を巡らせる習慣はほとんどなかったと記憶する。他の家の庭が通行路になっており出入り自由と言えた。これも20年位前から雰囲気が変わっていったのを記憶している。現に僕の実家も、鍵をかけ、インターフォンを設置するまでになっている。

 「家族」というものや「つながり」というものは、確かにアプリオリに良いものとは言えない。実は僕も親族から多大な迷惑をこうむっている現状もあり、そういう「つながり」自体が僕をむしばみ、ストレスをためさせている側面があるのは事実だ。だが、「封建遺制」を解体し、現前的「つながり」から離れて、非現前的、痕跡的、エクリチュール的、「遠隔-つながり」のようなものを作っていけばいいのか、というのはなかなかに難しい。その「封建遺制」が経済的に解体されていく中で残ったのは、生権力的な管理コントロールの秩序だけであった、というのが実際の「村」の現状だといえる。盆踊りがなくなり、人が集まり何か音を出すことが「リスク」と認識されてしまう状態である。

 有志達はともかくやってみよう、という切迫感から行動に移ったのだろう。地域から離れ資本主義の恩恵のなかで「地縁・血縁」、「封建遺制」をなんとなく批判している立場となっている僕は、有志達に対して疚しさを抱える立場にある。帰省早々台風が真上を通っていく予報となっているが、少なくとも明日はまだ大丈夫のようだ。盆踊りに行ってみるつもりである。

 実家では積読になっていた外山恒一『改訂版 全共闘以後』(イースト・プレス)を読んでいる。5分の4ほど読んだが面白い。特に全く無知であった90年代の「運動」に注目できた。僕が中学校(公立)の時、校則を変更し、髪型の規制廃止、制服の規定の廃止を生徒会役員として目論んだことがあり、これは当時友人の「会長」が主導し、中学校の学校規程集などを生徒会の役員で読んで研究し、生徒会発議で校長に校則改定の意見書が出せるというのを見つけ、校長への意見書の提出を目指して草案を練ったことがあった。昼休みになると生徒会役員室にこもり、そこで話し合いをしており、それは楽しかったのだが、先生たちに警戒され始め、昼は役員が一緒に食べてはいけないと言われて、分断されたことがあった。またこの成り行きについては、機会があるときに具体的に書いてみたいが、その生徒会による校長への意見書の提出は、生権力的管理コントロールの権力によって、「真逆」の結果を生んでしまう。この結果は当時の会長だった同級生も思う所があったようでパブリックな形で文章として残している。

 その生徒会や生徒から校長や職員会議への対抗意見の提出ができるという学校の規程は、今思うとだが「68年」の遺産だったのかもしれない。生徒から校長に学校運営の意見が直接出せるという規定に、中学生ながらに、なぜこんなに民主的なのだろう、しかもこんなルールを生徒のだれが知っているのだろう、と不思議に思っていた。この規程集を見つけてくれたのは当時の「会長」で、今度会った時に聞いてみたいのだが、その時、その「会長」は何を考えて校則を変えるための「運動」を志向したのか。僕自身はたまたま役員であり、何も考えずただ面白そうだから引っ掻き回そうという程度の、志や理論的な強度も全く持っていない生徒だったので、何も考えずに、面白そうだと思って行動していた。「会長」はおそらく〈きちん〉と考えていた。それは、外山の本でも主題となっている、学校の「管理教育」に対する根源的な疑義から出発していたのではないか、と今は推察できる。聞いてみないとわからないが。

 「会長」の文章によれば、当時は孤独感を抱えていたようだ。要は、「会長」自身の行動の真意が、教員や生徒のみならず他の役員(僕も含む)もわかってくれなかった、ということである。ただ、僕は馬鹿で理論的強度は何もなかった何も考えない役員だったのだが(本なんて読むやつは軟弱ものだという偏見を当時持っていたとんでもない奴であった)、学校権力による非民主的な「真逆」の事態の招来が「トラウマ」となり、ずっとそれはなぜそういう結果を招いたのか、というぬぐえない出来事になっていった。今も何かを考えるときはその時を思い出す。そのことを、数年前に「会長」にいうと、ものすごく意外な顔をして、それはうれしい、といったがあまりにも「会長」が驚いていたのでなぜだろうと思うと、彼自身一連の生徒会での出来事について、上でふれたように、パブリックな形で文章を発表していることに僕は後から気づき、なるほどなとその際の彼の驚きに対して合点がいった。ただこれは僕の解釈と現時点での判断だが、その「真逆」の結果が、彼の生き方の方針を「肯定的」に規定してしまっている部分もあるのではないかと思った。

帰省すると思い出話になってしまうのはご寛恕願いたい。

核兵器の「無差別性」を考える(+『はだしのゲン』)

2023年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム
 8月6日は78年前、広島に原子爆弾が投下された日であり、テレビを始め、ネットのメディアでも「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が放送されていた。「唯一の被爆国」という言葉は本来おかしく、すでに様々な形で指摘されていることでもあるが、実際核爆弾は、日本だけではなく複数の国家や領域で爆発し、被害を出している。最初に原子爆弾が投下されたのは、核実験をしたアメリカであり、まずアメリカはアメリカ自身に核兵器を落とし、当時の自国民と国土を被曝させているのだ。そして「実戦」で使用された最初は日本ということになっているが、何を以て「実戦」というのかは考えなければならない。アメリカがアメリカ自身に対して爆発させた原子爆弾も、「実戦」のためになされた実験であったわけだから、「実戦」で使用されたに違いがないのだ。アメリカは「実戦」でまず当時の自国民と国土を攻撃したのだと言わなければならないだろう。その点アメリカ国民はどのように考えているのか。

 確かに顕在的な「実戦」における原子爆弾の爆撃(投下)と、比較にならないほどの死者とその後に続く放射線による健康被害は、広島市とそれに続く長崎市を中心として生じたということは間違いない。だが、広島と長崎を特権化する過程で、実は原子爆弾が核実験を含めて、実際は日本だけではなく、当のアメリカの国民と国土にも及んでいたことが見えなくなる。本来はアメリカもまた、原子爆弾について怒らなければならないのではないだろうか。wikipedia情報になって誠に恐縮だが、「核実験」は、これまでどれほど行われてきたのか、というのを見てみると、2000回を超えているようだ。それは様々なレベルでの実験であり、「臨界前」という爆発を伴わないものも含まれている。しかしながら、核兵器にとって、爆発をするかどうかはあまり関係がないはずである。そもそも放射線を大量に放出する兵器であるわけであり、爆発の威力だけを強調するのはおかしい(そういう意味では原子力発電所も含まれる)。2000回以上も、少なくとも来るべき「実戦」のために核兵器は使われているわけで、そういう意味では、日本という「唯一の被爆国」だけの問題ではなく、そもそも世界自体が攻撃されていると考えねばならないだろう。要は核兵器の使用者は決して敵だけを狙っているわけではなく、無差別に攻撃をしているわけである。これはその威力から大量の人が無差別に殺されるという意味での無差別ではなく、核兵器はその性質上、「無差別性」を有しているというべきなのだ。この「無差別性」こそ思考せねばならない。

 wikiを眺めていると一つの写真が目に入った。その写真は、二人のアメリカ兵が、核実験の「きのこ雲」を背景にして、記念写真(リンク)を撮っているものであった。兵士たちは「きのこ雲」から大分離れた場所で、その遠近法を利用して、二人で「きのこ雲」を支えているポーズをとっているのである。これはネットでもよく見る、例えば遊園地やイベント会場などでもよく見られる、巨大な建造物や展示物、あるいは遊具などを背景にしながら、遠近法を利用することで、まるでそこに写る人々が、巨大な物体を手のひらに乗せているかのように写真を撮る行為と、まるで同じなのだ。例えばユニバーサルスタジオジャパンの地球のオブジェクトを、まるで手のひらに乗せているかのように錯覚させる、だまし絵的な写真などは、ネットで多くの人が見ており、あるいは自分自身もそういうことをした人もいると思う。この写真を眺めた時、またある種の「無差別性」が迫ってきた。それは、そういうだまし絵的写真を撮ることは、「きのこ雲」は不謹慎で問題だが、遊園地の建造物との撮影ならば可愛くて写真映えがして問題ない、という話ではない。そうではなく、例え撮影の対象が遊園地のオブジェクトであったとしても、そこには兵士と「きのこ雲」が写った写真と同じ問題が、おそらくは可能性としては内在しているということである。そのような本来触れられないものに触れること。触れることを錯覚させること。あるいはだまし絵的写真ではなくとも「インスタ映え」(ネットで見ると「ナチュ盛」とか「チル」ともいうらしいが、ややこしいので以下同。ただし、この文脈ではこれらの隠語(「盛り」や「チル」)は、より「問題」を含むと考えられる)というものとも大いに関わる。まさしく、二人のアメリカ兵は、「きのこ雲」を背景に、触れられないはずのものに触れるという「インスタ映え」を狙っているのである。

(前掲リンク先のwikiの画像と同じもの)

 ここで関係づけられる「無差別性」とは、「きのこ雲」を「インスタ映え」させているアメリカ兵と、普段、遊園地や飲食店で「インスタ映え」を狙って様々なものを写真に撮っている私たちの行為との、繋がりを指し示している。確かに「きのこ雲」と、例えば、ラーメン屋さんで「インスタ映え」のためにスマホに撮る「ラーメン」を繋げるのは牽強付会ではないか、というのはわかる。もちろん実践上、その二つを繋げる意味がない場合もある。常識的には繋がらない、と言いたくもなる。しかし、「インスタ映え」を狙って普段撮影している、何気ない当のものは、本当に「きのこ雲」よりも「罪」はないのだろうか。あるいは無害な全くの「別」の存在なのだろうか。「ラーメン」だけではなく、インスタグラムやネットメディアに刻印されるそれら「商品」たちは、本当は触れられないにもかかわらず、画面上でそれらに触れているような錯覚を人びとに与え続けている。『資本論』の「商品の物神崇拝的性質とその秘密」の「価値形態論」を見てもわかるように、「商品」の「交換様式」とは、本来人間には触れることのできない「価値」に触れられるという錯覚を創り出すシステムといえる。人々は写真にとることで様々なものを無差別に「商品」と変え、触れられない「価値」というものに触れているような錯覚を供給し続ける。そして写真に撮り「映え」させ、Youtube TikTokなどで商品化し価値付けされていく「商品」は、そこにそう存在させられるまで恐らく、大量生産と大量消費の過程から現われているはずなのだ。その「映え」ている存在は、実際本当は資本主義的世界の中で労働者を搾取し、人を殺し、自然を破壊して到来しているものなのである。それは資本主義の「商品」の「無差別性」であり、この夏は暑い暑いと言いながら、その気候変動の原因を作っているものは、その「映え」ている「商品」なのではないだろうか。

 そしてその資本主義の「商品」の「無差別性」による破壊とその過程における労働者からの搾取による殺戮と奴隷化は、その「映え」て手のひらに乗っている「商品」(きのこ雲)の直下で起こっていることなのではないか。原子爆弾を含む核兵器の「無差別性」は攻撃側であろうが、被害者側であろうが、敵国であろうが味方であろうが、無差別に巻き込んでいくという性質である。そもそもその制御不可能性こそが、核兵器が核兵器として機能するための条件といえる。そして、資本主義もまた、敵と味方も関係なく、全てを「無差別性」の中に巻き込んでいくのだ。「きのこ雲」に手を差し伸べるように、日々私たちもスマホに「商品」(きのこ雲)をとって、良い写真が撮れたと満足するわけである。しかしその「きのこ雲」の下には大量の虐殺が生起しているわけなのだ。

 問題はこの「無差別性」を避けることなく思考することである。もしかしたらその思考上で、この「無差別性」を何らかの形で「肯定」しなければならない瞬間は来るかもしれない。それも含めて考えておかないと、この「無差別性」に足を掬われると思う。

 さて、8月6日ということもあり、『はだしのゲン』が話題になっていた。どのような話題かというと、『はだしのゲン』は僕の小学生時代から学校の図書館に配架されており、映画もテレビや学校などで放映されていることから、〈核兵器使用・実験の反対〉の象徴になっていたが、近年その内容が批判されるようになり、また「保守系」の批判者からの要請で、学校の図書からなくなっている傾向がある、という話だった。それに対して〈核兵器使用・実験の反対〉の側から懸念が出ているというものだ。ただ僕は、ここで『はだしのゲン』が真実を描いているかどうかを検証するのは、あまり意味がないと思う。もちろんもし虚偽が描いてあるのはいけないが、そもそも作品はフィクションであり、ある意図があって発表されているわけだから、それに対して気に入らない人はいるわけで、その人たちから見れば、「虚偽」とも「真実」とも言われる次元が存在してしまうのは不可避だろう。

 ただ僕は、『はだしのゲン』は単に、反核兵器や平和思想を喧伝するだけの作品だとは、思えないし、思ってもいない。中学生の時を最後に読んで以来、今では全く読む機会は失っているが、しかし小学生から中学生にかけて『はだしのゲン』という作品を読んだモチベーションは、原爆被害の悲惨な描写と、エロティックとも見える「欲望」の表現が所々にあったからではないかと思う。これは漫画の技法や作者自身の漫画技法の出自や由来などとも関わるのかもしれないが、原子爆弾の被害やそこに巻き込まれる人々の「欲望」等に、子供心ながら、強い嫌悪感と同時に興味や快楽を経験していたのではないか、と心当たりがある。僕と同じ世代の同級生たちも、反戦や平和で読んでいたのではなく、戦争や原爆の中にある「欲望」を無意識に感じ取っていたのではないかと思う。それこそが、『はだしのゲン』が小学生から中学生に爆発的に広がった要因だったのではないか。今ネットの議論を見ていても、大分ずれているし、そもそも作品をちゃんと読んでおらず、とにかく『はだしのゲン』は反戦と平和の書物だという、ほとんど思考停止状態の意見ばかりが目立っている。このような状況は反戦や反核兵器の人々にとって、より不利に働くと思う。『はだしのゲン』を評価するとすれば、子供たちに無意識のレベルで、原爆と戦争の嫌悪感を与えたことと同時に、人間がそこに拭い難く抱いてしまう「欲望」を描いてもいたからだろう。これは「精神分析」の「享楽」の次元といってもいい。小学生は勿論原爆と戦争の残酷さや悲惨さに対して、『はだしのゲン』によって吐き気を催す嫌悪感を与えられながらも、実はその吐き気は人間の「欲望」にも繋がっているという経験も、無意識にしていたはずなのだ。原爆爆撃直後の被害を被った人々の、ある所「グロテスク」な描写も、その裏では戦争への人々の「欲望」の裏返しとして存在する。記憶をたどると、そのような『はだしのゲン』のグロテスクで時に性的な描写を読書の目的として図書館に通っていた同級生が、勿論その同級生は特異な存在ではなく、一定の人数(量)で存在していたことを思い出すことができる。むしろ反戦と平和の書物として読んでいた同級生の方が少なかったのではないかとさえ思う。

 このところ、「精神分析」でも「享楽」という言葉を乱用しすぎではないかと批判の趣きがある。わからないではないが、この「享楽」(先の言葉でいえば「無差別性」)の次元を思考しないとすぐに足元を掬われることになると思う。そういう意味では倦むことなく「享楽」を思考すべきだ。『はだしのゲン』の擁護派は、反戦と平和の書物という形で主張すればするほど、作品のポテンシャルを殺しているし、そのポテンシャルを殺して思考停止に陥ってしまうと、逆に『はだしのゲン』なんて読まなくたって他にもっといい作品がある、という論法にからめとられていくことになると思う。そうではなくて、『はだしのゲン』をきちんと作品の読解のレベルで擁護すべきである。しかもそれは、反戦や平和の書物というものをはみ出すポテンシャルがあるということを示すべきだろう。何かの作品を直示的に何かの「ため」の作品として読んでしまうと、作品自体の主張を壊す場合がある。特にネットでそうだが、『はだしのゲン』を反戦と平和の漫画としてしまうと、擁護派は原子爆弾が使用される可能性のある戦争の「無差別性」(享楽)から目を背けることになり、『はだしのゲン』がなぜあんなに熱心に子供たちに読まれたのかという、複雑な「欲望」のポテンシャルを奪ってしまうことになる。それは反戦・平和のポテンシャルを奪っているに等しい。それこそ『はだしのゲン』が読まれなくなる状況を作ってしまうことになりかねない。ここはきちんと考えるべきである。

ディルタイをそろそろと読んだ感想(4)と「涼宮ハルヒシリーズ」を購入

2023年08月06日 | 本と雑誌
 ディルタイは『精神科学序説Ⅰ』(p.147)において「神話的表象は、当時の人々が特別に意味があると考えた現象の生きた実在的な連関を表わしている。」という。「神話」は神話的世界の諸連関を表象する。この「神話的表象」は、所謂「歴史」における「生」の諸連関とは異なるものなのだが、言語を介して関係はしている。「神話」は世界の諸連関を神話的に表象するが、しかしディルタイによれば、それは「歴史」や「科学」における諸連関の表象とは違った形でなされるということになる。このような「神話」が、ある一つの認識の連関構造を形作っているという考え方は、例えばハンス・ファイフヒンガーの『Die Philosophie des Als Ob』(『かのようにの哲学』)でも論じられていたはずである。ファイヒンガーは「歴史」と「神話」を、ディルタイのように区別しながらも、「歴史」と「神話」は厳密に区別できない地点があることも指摘している。ファイヒンガーは、歴史的事実に対して「神話」はその事実の理解(表象)を助ける「Hilfsgebilde」(補助形象)として機能すると主張している。即ち「神話」は歴史的事実同士を連関させる〈糊〉の役目を果たす。例えば、単純に歴史的な出来事や事実だけを並べても、それは「歴史」としては機能しない。そこには事実同士の「連関」が存在せず、ただ事実と出来事だけが無秩序に散乱しているだけだからである。だが、その歴史的事実の無機的な羅列を人間の認識論的連関にふさわしい、「歴史」の連関の有機的体系として秩序付けるのは、その〈糊〉の役割たる「Hilfsgebilde」(補助形象)としての「神話」なのだ。つまり、ファイヒンガーにおいて「神話」は「als ob」(かのように)として、歴史的事実を〈フィクション=糊〉によって物語化する機能を担わされているのだ。ファイヒンガーは「歴史」をHypothese(仮説)とし、「神話」をFiktion(虚構・擬制)として区別し、当然前者に西洋哲学的優位を与えるのであるが、Hypothese(仮説)がHypotheseたり得るには、Fiktion(虚構・擬制)のHilfsgebilde(補助形象)の助けが必要なことも強調する。ファイヒンガーはこのように、西洋哲学の目的論の中では劣位に置かれる「神話」の「als ob」の機能を取り出して、評価しているともいえるのだ。かつて『Die Philosophie des Als Ob』を、ドイツ語の原典と英訳とを比較しながら半年くらいかけて通読したのだが、実際専門家ではないわけであり、やはり難しい部分もあったので、専門家がきちんと訳した日本語訳で読みたいものである。一通り読んで、『Die Philosophie des Als Ob』は、かなり重要な哲学書だと思った。

 このほか「神話」は、エルンスト・カッシーラーの「シンボル形式の哲学」の岩波文庫版ならば第三巻で論じられており、同じように「神話」は認識論的な連関を言語を介することで形作っているという議論がなされていたはずだ。これを受けて、三木清も『構想力の論理』で、ディルタイとカッシーラーの「神話」の認識を、構想力の論理として読み換えようとしていたと記憶する。この「神話」が認識における諸連関の構造を持っているというのは、構造人類学の神話分析やロラン・バルトのテクストにおける「神話」分析とも関わっていくのだと思う。ウラジミール・プロップの『昔話の形態学』なども、まさしくフィクションの諸連関とその構造の話なので、「神話」分析と関係する。文学ともかかわりが深い議論だといえるだろう。

 現在読み進めている部分では、ディルタイはまだ「科学」に発展していない「神話」の認識論的連関を分析しながら、ソクラテス以前のギリシャ哲学からこの「連関」がどのように認識されてきたのかを哲学史として論じている。これらギリシャ哲学における「連関」は、「宇宙」(Weltall)を認識するための科学的な目的連関の〈前史〉として捉えられており、「科学」の「連関」とは違うと区別されているが、歴史的には関わってはいるのだろう。いわば「生」や「宇宙」というのは「連関」の〈ある仕方=様態〉の認識ということになる。ハイデガーがディルタイを単なるカント主義者としてではなく、存在論的な「世界」を準備する哲学者として評価するのも、ここから理解できる。ハイデガーも「世界」というのは、存在者の連関の〈仕方〉として捉えているといえるからだ。ディルタイのこの「連関」を存在論的な連関として読んだのがハイデガーだろう。ディルタイはそして、この「連関」をギリシャの哲学として最初に取り出したのは「数学」という。「数学」はこの「連関」の合理性を保証するわけだ。要は「数学」によって、「連関」を一つの法則の下で認識できるようになるということである。さらに読み進めていく。

 さて、「涼宮ハルヒシリーズ」全12巻を購入した。「なぜ今更?」かもしれないが、3巻までは読んでいたのだが、少しまとめて読んでみようと思う。まあこれも「セカイ」の「連関」の話ではあるのだから。もし何か感想がありそうなら今後書いてみます。

ディルタイをそろそろと読んだ感想(3)と「昭和」について

2023年08月03日 | 日記と読書
 さて、ぼちぼちとディルタイ「精神科学序説」を読んでいる。「精神科学」(人文科学+社会科学)が「自然科学」と区別されると同時に、「自然科学」が有するような普遍性をどう獲得するのか。あるいは「精神科学」に「自然科学」とは違った普遍性をどのように見出すのか、という問題が引き続き議論される。前にも言ったように、ディルタイは「歴史」にその個別な出来事、歴史的事象を統括する普遍的連関の力を見ている。この「歴史」という連関こそが「生」を形作っているのである。ここには「歴史的-社会的現実の普遍的連関」が、「有機体の諸構成要素のあいだや諸機能のあいだに見られる関係と比較できる」(p.120)とある。つまり、個と普遍の連関は「有機体」が統一されている構造と類比できるというものだ。ここは不勉強なので予測でいうが、ニクラス・ルーマンの「システム論」的な社会学にもつながるような思考だといえるだろうか。「システム」の自己準拠的な「オートポイエーシス」などは、このディルタイがいう「有機体」の相互連関性と比較できるのではないかと考えた。そういう研究はあるのかもしれない。

 そして、「認識論的基礎づけ」、例えばその相互連関の認識を構成するような「心理学的法則」は、「個別科学」としての「精神科学」とどのように関係しているのか、というのが僕の目下の疑問なのだが、p.127には「論理学は認識論的基礎づけと個別科学とのあいだに中間項として現われる。これによって近代科学の内的連関が成立する」(強調原文)とあり、認識論的基礎は論理学を介して、個と普遍の相互連関を体系化し「精神科学」を構成しているということになる。そうするとこの「論理学」とは何か、ということが問題である。ディルタイは「数学的基礎」と関係していると、前にもブログに書いたように言っていた。しかし、「精神科学」は「自然科学」とは違って「内省」によってしかそれは体系化されないともディルタイはいう。では、この「論理学」はどのような論理学なのか。前にも言ったように、フッサールの「論理学」は数学的な基礎を持っていた。それが主観性の論理と重なるわけだが、このディルタイの「論理学」も数学的な基礎によって、「心理学的法則」を可能にしているのかどうか。ここまで読んだ中ではそれはまだ明らかになっていない。原注と訳注はそれなりにしっかり読んでいるつもりだが、訳注によれば、「精神科学序説」自体は〈完成〉しておらず、かなり「悪戦苦闘」の痕跡が見え、理論に「揺れ」があるという。今のところディルタイは、「精神科学」の数学的論理学への「還元」には反対しており、相対的な依存関係はあるとしている。この場合の「依存」に注目してみたい。

 例えばヘーゲルでもそうなのだが、弁証法という「論理学」は、所謂数学には還元されないということを強調していた。ヘーゲルは『論理学』の中で、ニュートンの力学に弁証法で対抗したはずである。惑星の運行の力学もやはり弁証法で論じる。ハイデガーも、所謂存在の論理学は弁証法と同様に数学的な、通俗的論理学には還元できない、実存論的な時間(存在)の論理学を持っていた。これはデリダの「エクリチュール」の思考にも言えると思う。勿論、数学自体をだれも否定してはいない。数学的な論理を可能にしている弁証法や時間や差延があるというわけだ。その時やはり気になるのが、弁証法や時間性や差延の論理ならざる論理は、所謂自然科学的な数学といかなる関係を持っているのかが、実際僕にはよくわかっていない。例えば、数学的認識を可能にしているのは、認識の主観を構成するカテゴリー的連関だという時、そのカテゴリー的連関は何によって構成されているのか、である。例えば、カントが言うような主観の図式性を、ハイデガーは構想力と関わらせているが、体系を図式化し差異化するような構想力の論理学は、何によって基礎づけられるのだろうか。諸学は勿論、存在や構想力(差延)がなければ差異化されて存在すらしない。では、構想力の論理とは何か。もちろんこれは三木清的な問でもあるのだろう。現代においても「理系」と「文系」というような〈頽落形態〉の議論があるように、「精神科学」の論理性が数学的基礎に「還元」できるのかどうかは、明らかになっていない。抽象的な「理系」の信奉者が、しばしば「文系」に対して論理性がないというのは、ディルタイの議論を踏まえれば、全く自明の事柄ではないのだ。

「精神科学序説Ⅰ」は150頁まで読んだ。さらに上記のことを考えつつ読み進めていく。

 話は全く変わり、少し前から「昭和」という言葉が気になっていた。特に気になったきっかけは、帰省した時に僕の兄弟がその家族から「昭和おやじ」と呼ばれているのを聞いた時であった。そのほか職場でも、若い同僚から「それは昭和の考えですよ」とか、「昭和では許されたかもしれませんけど、今ではだめですよ」のような形で、そこそこ聞くようになり、最初はその語感から苦笑いをして聞いてはいたが、ある価値体系や認識・存在形態を元号で形容していることに、違和感しか抱かなくなったのである。元号としての「昭和」は64年間あったわけだが、それはかなり広い期間だといえる。例えば、「昭和元年」の生まれの人は、存命であれば98歳の年だが、後半に生まれた人はまだ40代そこそこだろう。それくらい幅がある期間を一括することは出来るのか、という問題だ。僕の祖父は「明治」と「大正」生まれで、勿論既に亡くなっているが、まだその明治大正くらいならば、〈昔〉という気はする。まあこれは、個人的な世代的経験に過ぎない。ここまで書いて急に思い出したのは、「全共闘 vs. 三島由紀夫」の映画で、三島が会場に向かって、「大正教養主義」を批判した全共闘側を条件付きで評価していたが、1960~70年代にかけての「大正」という元号はどのような感覚で使用されていたのだろうか。現在において、日常の文脈で「大正教養主義」と言っても、まあ通じないだろう。

 それはともかく、上記のような「昭和おやじ」のような使い方は、約めていえば、〈封建的〉という言葉の言い換えだろうと思う。近代化されていない、という意味である。しかし、それを元号でいうのはいかがなものか。元号というのは、少なくとも天皇制があって成立するものであり、それ自体が封建的過ぎる時間(時代?)区分のはずだからだ。また、「昭和」というのは失われた時としてのノスタルジーを感じさせて、憧れや、古き良き過去のようなものも含んでもいる。「昭和は良かった」や「昭和はのんびりしていた」などはその部類である。だが、アジア・太平洋戦争も含み、その歴史的な総括もできていない「昭和」の元号を恥ずかしげもなく使ってもよいのだろうか。確かに現在の日本は近代民主主義国家とは到底言えず、〈封建制〉といった方がいいような世の中なので、〈内輪〉の「昭和」という元号をみんなが好んで使うのも〈理解〉はできる。永遠の「昭和おやじ」こと天皇に皆無意識で憧れているのだろう。