「プチット・マドレーヌ」は越えたので許してほしい

読んだ本の感想を主に書きますが、日記のようでもある。

ディルタイをそろそろと読んだ感想(3)と「昭和」について

2023年08月03日 | 日記と読書
 さて、ぼちぼちとディルタイ「精神科学序説」を読んでいる。「精神科学」(人文科学+社会科学)が「自然科学」と区別されると同時に、「自然科学」が有するような普遍性をどう獲得するのか。あるいは「精神科学」に「自然科学」とは違った普遍性をどのように見出すのか、という問題が引き続き議論される。前にも言ったように、ディルタイは「歴史」にその個別な出来事、歴史的事象を統括する普遍的連関の力を見ている。この「歴史」という連関こそが「生」を形作っているのである。ここには「歴史的-社会的現実の普遍的連関」が、「有機体の諸構成要素のあいだや諸機能のあいだに見られる関係と比較できる」(p.120)とある。つまり、個と普遍の連関は「有機体」が統一されている構造と類比できるというものだ。ここは不勉強なので予測でいうが、ニクラス・ルーマンの「システム論」的な社会学にもつながるような思考だといえるだろうか。「システム」の自己準拠的な「オートポイエーシス」などは、このディルタイがいう「有機体」の相互連関性と比較できるのではないかと考えた。そういう研究はあるのかもしれない。

 そして、「認識論的基礎づけ」、例えばその相互連関の認識を構成するような「心理学的法則」は、「個別科学」としての「精神科学」とどのように関係しているのか、というのが僕の目下の疑問なのだが、p.127には「論理学は認識論的基礎づけと個別科学とのあいだに中間項として現われる。これによって近代科学の内的連関が成立する」(強調原文)とあり、認識論的基礎は論理学を介して、個と普遍の相互連関を体系化し「精神科学」を構成しているということになる。そうするとこの「論理学」とは何か、ということが問題である。ディルタイは「数学的基礎」と関係していると、前にもブログに書いたように言っていた。しかし、「精神科学」は「自然科学」とは違って「内省」によってしかそれは体系化されないともディルタイはいう。では、この「論理学」はどのような論理学なのか。前にも言ったように、フッサールの「論理学」は数学的な基礎を持っていた。それが主観性の論理と重なるわけだが、このディルタイの「論理学」も数学的な基礎によって、「心理学的法則」を可能にしているのかどうか。ここまで読んだ中ではそれはまだ明らかになっていない。原注と訳注はそれなりにしっかり読んでいるつもりだが、訳注によれば、「精神科学序説」自体は〈完成〉しておらず、かなり「悪戦苦闘」の痕跡が見え、理論に「揺れ」があるという。今のところディルタイは、「精神科学」の数学的論理学への「還元」には反対しており、相対的な依存関係はあるとしている。この場合の「依存」に注目してみたい。

 例えばヘーゲルでもそうなのだが、弁証法という「論理学」は、所謂数学には還元されないということを強調していた。ヘーゲルは『論理学』の中で、ニュートンの力学に弁証法で対抗したはずである。惑星の運行の力学もやはり弁証法で論じる。ハイデガーも、所謂存在の論理学は弁証法と同様に数学的な、通俗的論理学には還元できない、実存論的な時間(存在)の論理学を持っていた。これはデリダの「エクリチュール」の思考にも言えると思う。勿論、数学自体をだれも否定してはいない。数学的な論理を可能にしている弁証法や時間や差延があるというわけだ。その時やはり気になるのが、弁証法や時間性や差延の論理ならざる論理は、所謂自然科学的な数学といかなる関係を持っているのかが、実際僕にはよくわかっていない。例えば、数学的認識を可能にしているのは、認識の主観を構成するカテゴリー的連関だという時、そのカテゴリー的連関は何によって構成されているのか、である。例えば、カントが言うような主観の図式性を、ハイデガーは構想力と関わらせているが、体系を図式化し差異化するような構想力の論理学は、何によって基礎づけられるのだろうか。諸学は勿論、存在や構想力(差延)がなければ差異化されて存在すらしない。では、構想力の論理とは何か。もちろんこれは三木清的な問でもあるのだろう。現代においても「理系」と「文系」というような〈頽落形態〉の議論があるように、「精神科学」の論理性が数学的基礎に「還元」できるのかどうかは、明らかになっていない。抽象的な「理系」の信奉者が、しばしば「文系」に対して論理性がないというのは、ディルタイの議論を踏まえれば、全く自明の事柄ではないのだ。

「精神科学序説Ⅰ」は150頁まで読んだ。さらに上記のことを考えつつ読み進めていく。

 話は全く変わり、少し前から「昭和」という言葉が気になっていた。特に気になったきっかけは、帰省した時に僕の兄弟がその家族から「昭和おやじ」と呼ばれているのを聞いた時であった。そのほか職場でも、若い同僚から「それは昭和の考えですよ」とか、「昭和では許されたかもしれませんけど、今ではだめですよ」のような形で、そこそこ聞くようになり、最初はその語感から苦笑いをして聞いてはいたが、ある価値体系や認識・存在形態を元号で形容していることに、違和感しか抱かなくなったのである。元号としての「昭和」は64年間あったわけだが、それはかなり広い期間だといえる。例えば、「昭和元年」の生まれの人は、存命であれば98歳の年だが、後半に生まれた人はまだ40代そこそこだろう。それくらい幅がある期間を一括することは出来るのか、という問題だ。僕の祖父は「明治」と「大正」生まれで、勿論既に亡くなっているが、まだその明治大正くらいならば、〈昔〉という気はする。まあこれは、個人的な世代的経験に過ぎない。ここまで書いて急に思い出したのは、「全共闘 vs. 三島由紀夫」の映画で、三島が会場に向かって、「大正教養主義」を批判した全共闘側を条件付きで評価していたが、1960~70年代にかけての「大正」という元号はどのような感覚で使用されていたのだろうか。現在において、日常の文脈で「大正教養主義」と言っても、まあ通じないだろう。

 それはともかく、上記のような「昭和おやじ」のような使い方は、約めていえば、〈封建的〉という言葉の言い換えだろうと思う。近代化されていない、という意味である。しかし、それを元号でいうのはいかがなものか。元号というのは、少なくとも天皇制があって成立するものであり、それ自体が封建的過ぎる時間(時代?)区分のはずだからだ。また、「昭和」というのは失われた時としてのノスタルジーを感じさせて、憧れや、古き良き過去のようなものも含んでもいる。「昭和は良かった」や「昭和はのんびりしていた」などはその部類である。だが、アジア・太平洋戦争も含み、その歴史的な総括もできていない「昭和」の元号を恥ずかしげもなく使ってもよいのだろうか。確かに現在の日本は近代民主主義国家とは到底言えず、〈封建制〉といった方がいいような世の中なので、〈内輪〉の「昭和」という元号をみんなが好んで使うのも〈理解〉はできる。永遠の「昭和おやじ」こと天皇に皆無意識で憧れているのだろう。