随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

ホームセンター物語

2005-10-02 22:00:50 | 流通
最近では、ホームセンターという業態は、大変身近な存在となっている。
DIYの素材や道具・工具と園芸用品やペット用品及び、総合的な家庭用品の大型ショップである。また、DIYという言葉や概念もかなり一般的なものになっていると思う。

アメリカの流通業を視察したヒノデが、アメリカのホームセンターを参考にして、日本で初めて「Do it yourself」という言葉を掲げ、日曜大工専門店の大型店としてスタートしている。1972年12月埼玉県川口市(現さいたま市)に、DIY(Do it yourself)店「ドイト」1号店を開店したのが、我が国のホームセンター業態の始まりである。

ドイトは時代に受け入れられて順調に店舗を増やし、1991年4月にヒノデ株式会社からDIY流通事業部門を引継ぎ、DIY&ガーデニングの専門企業ドイト株式会社として独立し、現在埼玉、東京、神奈川に27店舗の超大型ホームセンターを持っている。

ヒノデの「ドイト」1号店が成功し、次々に同様のDo it yourself店が開店していった。
当時は、すでに大型店舗のスーパーが各地に店舗を展開しており、流通業界ではGMS(ゼネラル・マーチャンダイジング・ストア)店と呼ばれていた。
日本型スーパーも、やはりアメリカ仕込みのSSDS(セルフ・スーパー・デイスカウント・ストア)として、1962年にダイエーが一号店をスタートしてから、各流通業が全国へ店舗展開をしていった。1972年にはダイエーの売上が「三越」を抜き、小売業売上高日本一を達成している。

新規業態のSSDSとしての日本型スーパーの全国展開に伴い、旧来のさまざまな小売店舗は順次淘汰されていった。やがてスーパーの駅前立地が見直されて、車社会に合わせて郊外型の大型ショッピングセンターの建設が相次ぎ、駅前商店街は各地で寂れる一方であった。
このような流通革新の時代に、アメリカ流通視察が流行し、新しい流通形態の一つとして導入され始めたのが「専門店型」の郊外店舗であった。
その一つが、DIY(Do it yourself)店の「ドイト」1号店であった。

埼玉のドイト1号店の成功を見て、各地で見様見真似のDo it yourself店の開店が相次いだ。そのDIYの専門的な品揃えと平行して、総合的な家庭用品まで品揃えに加えた、郊外型セルフ形式のディスカウント店は、大型ショッピングセンターに比較し、その専門的な品揃えとかなり低価格に優位性があり、時代に受け入れられた。

大型ショッピングセンターを運営する流通業は、急成長にともない規模は大企業となり、人材確保から人件費も年々大幅に上昇し、新規大型店舗の建設費用がかさみ、価格もかつてのディスカウント店の面影は消えていた。
地方では、地元の百貨店を凌ぐ大規模な店舗作りであった。

新興勢力のホームセンターは、郊外にありブームが過ぎて廃業したボウリング場等を活用して、大型ホームセンターに衣変えしていった。
新規に店舗を建設する場合も、広い駐車場は確保するが、建物自体は平屋の500坪程度の店舗で、遊び空間が全く無い内装も簡素なローコストの建築であった。
それに店舗に携わる人員を絞り込み、尚かつ人件費の安い人員とパートで構成しているから、まさに新興のデイスカウント・ストアとしての価格破壊力があった。

多店舗展開し始めたホームセンターの流れは、その後二極化した。
DIYの専門的な品揃えや園芸用品などに重点を置く店作り、いわゆる正統派のホームセンターと、家庭雑貨中心でDIY・園芸用品は、いわば付け足し程度の品揃えのディスカウント主体のホームセンターの、二つの流れができた。
いずれにしても、大手スーパーと比較すると経営コストが低く、従って値入率も低く専門的な幅広い品揃えで、圧倒的な優位性を保っている。

ホームセンターが流通業界で台頭し始めると、さまざまな業態からの参入が見られた。
家具店からの参入、材木店からの参入、建材店からの参入、ドラッグストアからの参入、食品ストアからの参入、大手スーパーからの参入や、変わったところでは石油卸業や大阪ガスやNTTなど意外な企業も参入した。
結果として、流通業に殆ど縁がなかった大手企業からの参入は、殆ど失敗して撤退している。また大手スーパーのダイエーも参入したが、すぐに撤退している。

ホームセンターの運営は、同じ流通業の出身であっても、意外に難しいものであった。
専門性の高い素材や道具の品揃えは、専門的知識を持つ人材確保が困難で、中途半端な品揃えとなり、経営効率を悪くしただけであった。肝心の家庭用品などを中心としたデイスカウント・ストアとしての路線には、下駄履きで行ける気安さと、泥臭さが必要であった。
大手企業からの参入は、この肝心の泥臭さにも欠けており、価格も中途半端となった。品揃えも網羅的ではあるが、奥行きに欠けて魅力の乏しい店作りとなった。

現在のホームセンター業界は、第一次の地方のホームセンター同士の連携時代から、第二次の広域合併統合時代を迎えている。
資本力の少ない地方の弱小ホームセンター単体での生き残りは難しくなって来ている。
札幌市に本拠地を置くホーマック株式会社は、北海道、東北及び関東に150店舗展開している。1992(平成 4)年に、ジャスコ株式会社(現イオン株式会社)と業務・資本提携している。
2003(平成15)年1月には、北海道、青森で31店舗を展開している株式会社ツルヤと業務・資本提携し、2月には名古屋本社で東海、北陸で110店舗を展開している株式会社カーマ、及び松山本社で中国・四国・近畿で115店舗を展開しているダイキ株式会社と業務・資本提携の基本合意している。
さらに同年5月、ホーマック株式会社、株式会社カーマ、ダイキ株式会社、三井物産株式会社との共同出資でDCM Japan株式会社を設立して、実質的経営統合をめざしている。
イオングループは、既に九州に傘下のホームセンター、ホームワイドを49店舗展開している。

ホーマック主導による資本提携・経営統合により、北海道から本州、四国、九州を含むホームセンター業態で初めての、約500店舗規模のナショナルチェーンが誕生したことになる。
かつて、大手スーパーが、各地域の地元資本のス―パーと提携・合併を繰り返してナショナルチェーンが誕生したように、同じような経緯を辿っている。
まだ、関東や近畿、中国さらには九州を拠点として、100店舗以上の店舗展開している、
実力のある大手のホームセンターがしのぎを削っている。
いずれ広域に渡るホームセンターの提携・合併による、第二のナショナルチェーンが誕生するのも時間の問題であろう。
その間で、中小のホームセンターが経営不振に陥っており、いずれ淘汰される時を待っている。

今までに多くの企業が、ホームセンターへ参入しては、経営が行き詰まり撤退していった。
つまり、小売業という業態は、単に問屋から商品を仕入れて、適当な値入(利益)を確保して品揃えるというアソートメントだけでは、成り立たないという事を証明している。
小売業は、明確な企業理念に基づいて、ターゲットと定めた顧客層に対して、潜在需要を掘り起す商品開発を行い、新しい生活提案を行わねばすぐに客離れが起きる。
独自の商品開発を行うには、世界中に情報網を巡らし、世界中から商品を調達する能力が要求される。このためには、最低数百店舗の規模と、大きな資金を動かす企業力が要求される。
さらには、顧客のニーズや、チェーン理論に反するような各店舗に於ける各種要望を、如何に吸い上げて、店舗運営を行うかが大きな課題である。

世界最大のホームセンターは、アメリカのホームデポである。
全米で30%以上のシェアを持つ同社は、アメリカのホームセンター業態の中でトップの売り上げを誇っている。売上高582億ドル(2003年度)、店舗数は1568店、従業員約28万人というスケールである。
ホームデポでは、従来のチエーンストア理論に反して、顧客第一主義の経営を実現するため、マニュアルを排して、担当者に大幅な自由裁量を認めた事である。
また、 80年代の建設不況時に失業した大工を大量に採用した事で、同社の専門性は更に高まった。ホームデポに行けば、家が一軒建つだけの資材や道具とノウハウが有ると言われている。

日本でも、1,000坪を超える超大型ホームセンターが各地に出店し、資材館やプロ館と言われる、本格的なプロ用建築素材やプロ用工具なども販売されるようになった。
日本では、職人の技は秘伝とされ、職人技術は長年の修行の中で盗むものとされていた。しかし、電動工具を始め、素人でも使えるように様々に半加工された素材が販売されるようになった。
また、ホームセンターの各売り場には、さまざまな道具や素材の使い方のHOW-TOのPOPが掲示されている。
その気にさえなれば、本格的に家のリフォームも可能となっている。

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