随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

和紙の歴史  紙祖蔡倫伝 一

2006-06-14 09:06:13 | 紙の話し
(二)紙の発明と伝播


紙祖蔡倫伝 一

紙が発明されたのは、後漢時代の105年に蔡倫(さいりん)が、汎用性が高く従来品に比較して廉価な「書写材料に適した紙」の製法を発明して、時の皇帝であった和帝に献上したことに始まるとされている。(『後漢書蔡倫伝』)
当初は蔡倫が発明した紙を特に「蔡侯紙」といった。それまでの「紙」は、絹の一種を指していたために、区別する必要があった。
中国では、大麻、苧麻(ちょま)は古代から利用されている。         
 麻の繊維は固いために、水にさらして叩いて、繊維をほぐす必要があった。絹も繭を水につけてさらして作る。クズ繭から絮という真綿をつくる時に、簀の上に残る薄いシート状のものを「紙」と呼ばれた事は前に述べた。
蔡倫は、これらの事から紙の製法を思いついたのであろうと推測されている。
 それまでの「紙」は、絹の生産過程で派生するもので、原料が限定された高価もので、多用することができない。
そこで、大麻、苧麻や麻のボロ、漁網などの繊維を木灰汁で煮て、水でさらして細かく砕き、簀で漉くという方法で紙の製法を考案したと思われる。書写材に適した紙を漉くには、繊維を細かく砕くのが最大のポイントで、西方から伝来していた石臼を利用したであろう。「蔡侯紙」以前の「紙らしきもの」は、表面が粗く、麻の繊維が筋状に残っており、書写材としてはやや不適な織物に近い状態であった。

中国での相次ぐ古代紙の出土が、蔡倫を紙の発明者(『後漢書蔡倫伝』)の地位から、紙の改良者、製紙法の確立者へ変更させた。
 しかし、古代の「紙らしきもの」から書写材に適した、安価で量産できる今日的な紙の製法を確立したという偉大な業績と始祖の名は揺らぐことはない。
蔡倫は、紙の発明当時に後漢の都洛陽で尚方令という、天子の御物を作ることを主な任務とした官職に就いていた。役職柄、宮廷の物づくりが仕事であり、費用を惜しまず原料の調達ができ、試作を繰り返すに都合の良いポストにあり、さらに仕事に忠実で研究心の旺盛な蔡倫の人格が、世界に先駆けた偉大な製紙法の発明につながっていった。 

 蔡倫は、宮廷関係の役職者であるため宦官であったが、宦官のなかでも幹部級の官職であった。俸禄は六百石で、ほぼ県の長官と同格であったという。
紙の発明は、文明や文化の情報伝播と交流に、果たした役割は計り知れない程大きな、世界的な発明であった。
ただし、発明当初は当然ながら国家的な戦略物資として、製法は秘密にされて、商品としてのみ輸出された。

世界の三大宗教といわれる、仏教、イスラム教、そしてキリスト教も、紙なくしては世界宗教にはなり得なかったと思われる。
また、宗教によって、紙と製紙法が広く世界に伝えられたともいえる。
玄奘三蔵が天竺(インド)から持ち帰った経典はすべて貝葉に記されていた。これを紙に写経することで、広く仏典が紹介され、我が国にも伝えられた。




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