随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

浮世絵版画

2006-07-29 13:41:44 | 紙の話し
和紙の歴史

(六)和紙の多彩な用途


浮世絵版画

浮世絵は、江戸時代に開花した和紙が産んだ庶民の芸術である。江戸期の泰平の世に咲いた町人文化を、自由奔放に演劇や遊里の世界に表現している。
 浮世絵の開祖と云われている菱川師宣は、元禄期(一七世紀)の人で、当時の狩野派や土佐派の画家が支配階級に隷属するようにして奉仕している様子に反発して、庶民大衆を相手に絵を描いたことに始まると云われている。
 当初は、十二本骨の扇子に粋人好みの絵柄を描き、経済力を持ち始めた町人階級に流行し、浮いた庶民の世間を粋に描かれているため、自然に浮世絵と呼ばれるようになった。
井原西鶴が天和二年(1682)に刊行した浮世草紙『好色一代男』に、当時の粋人が服装に凝って、「扇も十二本骨祐善が浮世絵、小菊の鼻紙」を持って遊びに出かける姿が描かれている。これが「浮世絵」という言葉が文献にみられる最初である。
浮世絵は木版画として摺られて、町人階級に広く流布した。初期は墨一色で摺られたが、無名の職人による「見当」という道具の発明によって色彩を塗り重ねて摺れるようになった。多色摺りの技法が鈴木春信によって完成され(1765)、錦絵とも呼ばれる華麗な作品が生まれた。多色摺りの技術によって浮世絵の黄金時代が続き、喜多川歌麻呂、東州斎写楽、安藤広重、葛飾北斎などが輩出した。
江戸時代の商工業の発展によって、町人階級の経済力が高まったが、身分制度に縛られているため、その財力は享楽的な面に集中し、歌舞伎や遊郭がにぎわい、役者絵や美人画が流行した。題材が風景画にまで広がるのは江戸末期が近づいてからのことである。

浮世絵は、十九世紀初頭以来長崎からオランダ人によって非常に多くの版画作品がヨーロッパに伝えられ、当時の印象派の画家たちに大きな影響を与えた。
 浮世絵の形の単純化、要約された描線、鮮明な色調など、一見単純で有りながら複雑な余韻を残す表現方法に、印象派の画家たちは驚嘆し共鳴した。
 マネ、モネ、ドガ、ゴッホたちは好んで浮世絵を描き入れたり、その手法を取り入れた構図を描いた。
このように日本人の美的感覚が高い評価を受けたのも、美しく丈夫な和紙の上に精密で正確な表現ができたことによる。
高度な紙漉きの技術から生まれた丈夫な和紙と、印象派の画家をうならせた構図と大胆な描線を描いた絵師、木版の彫師、摺師などの緊密な共同作業から、浮世絵が完成した。
印刷用の和紙は、十数回の摺りに耐え寸分の狂いも出ない寸法安定性と強靱性が要求されるため、越前奉書紙、伊予柾紙、西野内紙などの楮を原料とした丈夫な紙を用い、顔料の滲みを防止するため、ドウサ(膠とミヨウバンを溶いた液)を引いた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿