癒やされるかもしれない研究所日誌

人生とか人間関係とかお金とか、そんなことを考えて思ったまま綴っています。スピリチュアルなことも多いです。

破壊する

2019-05-08 14:53:05 | 不登校
以前どこかでお話しした通り、10年ほど前上の2人が小学校で不登校になっていました。
 
 
なんとか1~2年で2人とも学校へ行きましたが、
 
 
 
現在は、三女が絶賛不登校になりました(笑)
 
 
 
 
 
 
 
私の育て方が悪いのか?
 
そういう運命なのか?
 
離婚して三女を転校させなければこんなことにならなかったのか・・・。
 
 
 
 
 
 
 
勉強もしたくないし、高校も行きたくない。
 
中学卒業後はバイトをして自分で稼ぎたいという・・・。
 
 
 
 
 
 
 
そんなにおかしな子育てをしているつもりはないし、
 
世間一般のお母さんが言うようなことを子供には言い聞かせているつもりだ。
 
なのにどうして、
 
一度ならず、二度までも・・・。
 
 
 
 
 
 
 
でも、同じようなことが我が子全員に起こるということは、
 
 
 
やっぱり私に何らかの気付きをもたらしたくて起こっているんだろうなーーーと思う。
 
 
 
その気づきとは?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まず第一のハードルは、子供の主張を尊重しようということでした。
 
 
 
 
 
 
 
しっかりコントロールしたい私なのです。
 
 
 
それを手放して、子供のしたいようにさせてみるというか、子供を信頼して任せてみるということができない。
 
 
 
私の思い通りになってほしい。
 
そしたら私が安心だから。
 
 
 
それに、まだ子供なんだから、判断力も幼いのだから、子供に任せるのは親としていかがなものかという思いもあります。
 
 
 
 
 
 
 
でももう、子供を私のいいなりにするような力が出てこない。
 
自分に正直に生きれば生きるほど、違和感が出てくるっていうか。。。
 
 
 
 
 
 
 
だから、高校へ行かないのもよしとしよう、とやっと、そこらへんが手放せた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしたら、次のハードルがやってきました。
 
 
 
 
 
 
 
ただ、いるだけではダメなのか?
 
 
 
 
 
 
 
学校に行かない三女は、家で絵を描いているかテレビを見ているかくらいしかないのですが、
 
 
 
それにイライラする。
 
 
 
お願いしておけば洗濯をしてくれたりもするけど、言わないとしてくれない。
 
 
 
気を効かせてあれこれやっておいてくれるというのはない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私の子のイライラを支配しているのは、昔からよく言われる「働くもの食うべからず」です。
 
 
 
 
 
高校へ行かないにしても、バイトはして自分のお小遣いだけは稼いでくるにしても、なんか納得いかない。
 
 
 
それに、向上心を持って進んでいくのが人生ではなかろうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そう思ったとき、ただいるだけって許せない自分がいることが分かりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そう、向上心をもたず、なにもせず、ただ、いるだけ。
 
 
 
 
 
自分は最近成長をやめたけど、やっぱり人生これからの人は向上心を持って生きてほしい。
 
 
 
 
 
本当は、私こそ、ただいるだけで周りから愛されたいと願っている人なのに、人にはそれを認めていないんですね。
 
 
 
 
 
 
 
そうしたら、子供のころ疑問に思っていてたことが次々出てきました。
 
 
 
 
 
 
 
実家は貧乏で家族仲も悪かったけど、そういう不幸が蔓延しているのはおかしいんじゃないか?
 
人は幸せになってはいけないの?
 
学校に行かず、自由にしていてはいけないの?
 
どうしてこんなにこの世はお金が必要なの?
 
これではなんのために生まれてきたのかわからない。
 
 
 
 
 
 
 
こういう疑問が私の根本にあって、それが現れたのがこの不登校問題なのかな・・・と思います。
 
 
 
 
 
 
 
そういう疑問を持ちながら、
 
 
 
ちゃんと学校に行ってそれなりの学校を卒業して、ちゃんとした就職ををしないと、普通に暮らせないんだよって教えるとか、
 
 
 
子どもがもっとよりよく生きられるようになるためにと、習い事も積極的にやらせたりとか、
 
 
 
 
 
そういうことをやっていたから、私が一生懸命にやらせようとすればするほど裏目に出るという・・・。
 
 
 
 
 
 
 
そういうことかーーと思ったら、
 
 
 
 
 
ただいるだけもOKなんじゃないかな、と思えた。
 
 
 
 
 
自分で自分の在りたいように在ればいい。
 
 
 
 
 
それをやってみたくて、生まれてきたのかもしれないもんね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしたら、次のハードルがやってきました。
 
それでは、実際の生活はどうするの?
 
 
 
 
 
例えば、いい年をしたニートの子供のために、親が働いて食べさせていくわけですが、それってどうなの?
 
 
 
一生そうしていくの?
 
 
 
本当だったら子供にかかっているお金は、自分のことに使えるのに・・・。
 
 
 
 
 
もちろん、それがしたくてしている人はいいんですけど、私は、それは無理って思っちゃう。
 
 
 
 
 
 
 
冷たい親と思われてもいいから、それとこれとは別だといいたい。
 
 
 
 
 
 
 
自分が犠牲にならなくてよくない?
 
 
 
 
 
 
 
ただいるだけを許しながら、自分を犠牲にしてまで子供にお金をかけなくてもいいって、相反するようですが、
 
 
 
 
 
優しい人が陥りがちな罠が結局ここなんだと思います。
 
 
 
 
 
自分を犠牲にしちゃう。
 
だれも犠牲にならなくていい。
 
 
 
 
 
優しくまじめな人は、許したのだからどこまでも許容すべきと思ってその子をお世話してしまうのかもしれませんが、
 
 
 
 
 
自分が犠牲にならないような生活の仕方を考えてもいいのではないかな?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子供時代からの疑問、子育て時代での体験と思い、それらがここへきて一つの回答が見えてきた気がします。
 
 
 
一気に色々破壊された気分です。
 
 
 
でも、こんなに長いことかかってしまった・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こんなに長くかかったものが解決してしまうのがまた怖くもあります。
 
 
 
 
 
人生の課題クリアしたら、後は死ぬだけなのかなって思うから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そういえば、
 
 
 
優花さんにセッションしてもらったとき、
 
 
 
 
 
私が「子供が学校にいきたくないって言うと、私の育て方が悪かったのかなって思ってしまいます」という話をしたんですけど、
 
 
 
「そういうところに、自分自身が越えていかないといけない心の問題があります」的なことを言われたような・・・。
 
 
 
 
 
 
 
私はこれで一つは課題を乗り越えられたのでしょうか・・・。