癒やされるかもしれない研究所日誌

人生とか人間関係とかお金とか、そんなことを考えて思ったまま綴っています。スピリチュアルなことも多いです。

「成長」と「逃げ」をやめて気づいたこと3--存在してもいいということ

2019-03-15 11:20:16 | 気付いたこと

前回からの続き

 

そもそも安心て何だろう?

 

一連の流れから出てきたこの問い。

 

 

 

ふっと出てきたのは

 

 

「存在してもいい」

 

 

という、根源的なものでした。

 

 

 

私は

 

成長しても

成長しなくても

何かを生み出しても

何も生み出さなくても

いろんなことに挑戦しても

いろんなことから逃げていても

 

 

それでも、そのまま、存在していい。

 

 

 

安心 = この世に存在していい

 

 

この世に存在していいよって、自分が自分に言えるかどうかが、自分の安心感の根底にあるようでした。

 

 

 

さて、あなたは、自分がこの世に存在していいと心から思えますか?

 

 

 

そう聞かれちゃうと、私も

 

「え、いないほうがいい?」

 

とか思っちゃいます。

 

 

 

でも、昔、誰に聞いたのか、何で読んだのか、もう覚えてないのですが、

 

 

 

人間は、神様の許可をもらわないと、この世で生きることができない。

 

のだそうです。

 

 

 

神様の許可がなかったら、この地球上で命を持って存在できないのです。

 

 

今、どんな状態だろうと、命を持っている限り、存在を許可されているのだそうです。

 

 

少なくとも、今このブログを読んでいるあなたは、確実に、神様からOKが出ています。

 

生きてないとブログ読めないですもんね(笑)

 

 

 

この話を思い出して、急に、

 

 

とにかく私は、この私ただ一人を幸せにしていこうと思いました。