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硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 半夏生(はんげしょう)

2007年07月02日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

半夏生

 

 

 

 夏至から11日目 黄経100度になる毎年7月2日頃に 
 
密やかに白い葉をつける植物がある 
 
半夏生(はんげしょう)である 
 
ドクダミ科ハンゲショウ属で 花の傍に白くなる葉  花ではない 
 
一番上の葉二枚だけ 白くなる これが三枚になると 梅雨が明けると言われている 
 
更に季節が進み 暑い盛りになると 白い葉はもとの緑色に変化して行く 
 
奈良県大和盆地では 小麦の収穫が終わり 田植も終わる頃 
 
農耕の神へ捧げ物をして 田の神と饗応をする 
 
農家の人も共に 田の神に感謝をし 供物を頂戴する 
 
農耕神事早苗饗の餅と言われる供物のことだ 
 
半夏生の頃の 地味な祭りである
 
 
 
今では少なくなったが 地方にはそれぞれの物忌みがあったようだ
 
毒気が出るので井戸に蓋をしたとか この日に採った野菜は食べないとか
 
更に関西では蛸を 讃岐では饂飩を 
 
福井では焼き鯖を食べるそれぞれの習慣があると言うが 
 
特にこの日でなくても普段から食べていよう
 
 
 
 この半夏生は 『半夏』で漢方の薬草カラスビシャクが取れる処から 
 
カラスビシャクにまれると付け足して半夏生になったと語源を言う方もいるが 
 
いわゆるここで言う半夏生とは やや意味が違うらしい 
 
何か怪しいのでもあるが ただ語源に関しては半化粧とも呼ぶようで 
 
素敵な命名であるかも知れない そしてその語源は花より 
 
遥かに派手に見えるからと言って付けられたと聞くと 
 
いよいよ混乱に拍車が掛かりそうで 面白い
 
 
 

 沙羅双樹の花の宴

2007年06月28日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

 

沙羅双樹の花の宴

 

 

 

大寺院の妙心寺の中の塔頭(たっちゅう)である東林院では

『 沙羅の花を愛でる会』が例年 今頃にある

妙心寺東林院は 沙羅双樹の寺と呼ばれ 方丈前庭には 

十数本の沙羅双樹からなる沙羅林があり 梅雨の時季に白い花を咲かせてくれる

期間中沙羅の白い花を愛でながら お抹茶や精進料理を頂くことが出来るが

私のお知らせが遅くなった観が否めない でも今月中は拝観可能である

 

初日六月十二日(火)の午前九時三十分からは「花供養とお香を聴く会」が行われ

志野流香道家元・蜂谷宗玄氏による献香が行われた

又 六月十六日(土)午後六時から 

「沙羅の夕べ~琵琶の演奏と精進料理を楽しむ宴~」が開かれ 

梵燈』による「沙羅の花」の夜間特別公開が行われた

 

期間:2007年6月12日(火)~6月30日(土)

時間:9:30~16:00

場所:妙心寺東林院

料金:抹茶付拝観券1,580円 抹茶と精進料理付5,570円

 連絡先 075-463-1334

 


東林院の沙羅双樹は 植物学的には本来は別なもので 

夏椿だが 日本の寺院では木肌が赤く褐色で光沢あるところが 

インドの沙羅の樹に似ているところからそう呼ばれている

更に特に双樹形をなしている樹を 沙羅双樹と言っているようだ

 

『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす……』平家物語の冒頭の名文である

朝方に花をつけ 夕方には花を落とす沙羅双樹は やはり儚い一日花であろう

 

 お釈迦様が亡くなられた時 その死を哀しんで沙羅双樹は

一斉に花を開いたという言い伝えもあり

 仏教に深い縁がある樹であるが この樹の植えられている御寺は意外に少なく

一般の御寺には そう簡単に見ることは出来ない

 東林院は「沙羅双樹の寺」として有名だけでなく この期間だけ一般公開され

その期間以外では 一月に「小豆粥の会」があるだけで

宿坊として利用が可能なようだが 通常は一般拝観は出来ない

 東林寺にある十数本の沙羅双樹の樹は 殆ど高さが約十五㍍もあり

その中でも樹齢約三百五十年と言われている古樹が 一際目立って美しい筈だが

残念ながら 最も古い樹は去年枯れてしまったようだ 淋しいかぎりだ

これも精舎必衰の理か 無念である  但し子樹の芽も出ている

それもこれも御仏さまの思し召しなのだろうか

 

 「一日花」とも言われる沙羅双樹の花は

「今日なすべきことを明日に延ばさず 確かにしていくことが

善き一日を生きる道である」という釈迦の御教えと

「一日だけの生命を精一杯咲き尽くす」という沙羅の花とは相通じている

 

 見学者には 樹の根元付近の苔の上に 白い斑点状に撒かれた散り花が見える

散り花は 通常百個程散らばって見えるが 人為的に撒いているのだろうか

 

 何故「双樹」と言うか それは根元のところで二つに分かれている為であり

 お釈迦様が亡くなられた時 臥床の四方に沙羅の樹が二本ずつあったことが

双樹の由来であるという説が有力なようであるが 異説もあるようだ

 


 夏至

2007年06月22日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

夏至

 

 

本日は カラ梅雨の中の夏至である

二十四節気の中で 最も日が長くなる日で 太陽黄経九十度になる日であり

夏至から小暑までの期間を言うが 七十二候からすると 三候に分けられる

初候は 乃東枯(ないとうかかる)で 夏枯草が枯れる

次候は 菖蒲華(しょうぶはなさく)で アヤメの花が咲く

末候は 半夏生(はんげしょう)で 烏柄杓が生えて来る

夏至の朝 伊勢・二見浦の興玉神社では 朝三時から禊の儀がある

 

 

ここまで 夏至の日の記事を書いていると 

お届け物ですと クール宅急便が来た

発泡スチロール入りのキング・サーモンで 

びっしり塩詰めしてあり 馬鹿でかい

亡き主人のアラスカの別荘に 

今年も大勢の友人知人の釣り客が出掛けている

今はキング・サーモン 来月はピンク・サーモンで 盛夏はシルバー・サーモンだ

星野道夫さんや植村直己さんも 泊まりに来たことがあった

主を亡くしたロッジは 現在アメリカ人のシェフ兼管理人夫婦が住んでいて

多くの日本から行く当社の関係者か 主人の友人達が行くと 接待してくれる

無論お給料は 日本から振り込みされている 飛行機の操縦も出来ていい人達だ

 

アンカレッジから車で二時間 ユーコン川の支流沿いにあり

水上飛行機を 主人は得意気に操縦することが多かった

水上飛行機上から 膨大な数の鮭の遡上に合わせ ルアーを飛ばす

なかなか釣れない ガイドにチップを払い イクラを餌にすると忽ち釣れる

鮭はイクラを隠す習性があるから 一発だ 随分遊んだものであった

夏至は白夜で 殆ど太陽が落ちることはない 但し大型の蚊がわんさかいる

そんな折にも遠くフェアバンクスまで出掛け 白夜のオーロラを見学したものだ

氷河の氷をかち割り 持ち帰っては ロックにしてスコッチを飲んだこともある

カランカランと乾いた音がして なかなか溶けなかった

 

私が出掛けないので その中の主人の友人が塩詰めにして送ってくれた

見るとシアトル経由になっていた 今では直行便がない 

従ってソウル経由か シアトル経由で出掛けるしかない

 

そこで出刃で小分けにして 冷凍庫いっぱいに入れたが 入れ切れなかった

銀座の行き着けの寿司屋に連絡すると 快く引き受けてくれた

生のキング・サーモンの握りを 幾つかパクついた 刺身も食べた

大トロより遥かに上品でいい味である 

ひと包み差し上げて 御蔭で今夜は無料

 

今 在りし日の主人の笑った顔を思い出しながら 

キング・サーモンの刺身を 再び食べながらこれを書いている

あの時と同じように ロックでスコッチを飲みながら

夏至と言うと 殆どアラスカの川の上にいたような記憶しか残っていない

 


 ズミの花咲く日光・戦場ヶ原

2007年06月14日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

ズミの花咲く日光・戦場ヶ原

 

 

愈々入梅らしい雨の降り方になって来ましたね

こんな鬱陶しい日には 奥日光に限ります 

山だったら 時々晴れ間があるからで

純白のズミの花が あれは霞かと紛うばかりに 

あっちにパッ こっちにパッと咲いている時季でしょう

月末に ズミが終わると 奥日光は愈々夏 

シラネアオイが咲き 峰櫻が可愛らしく咲くのでしょう

小田代ケ原の貴婦人(ここに立つ白樺の愛称)も 多分厚化粧をするでしょう

ワタスゲが咲き 吾亦紅も咲き 蛍袋が咲きだして 夏と秋とが一緒に来たよう 

でも今の旬はこあじさい 可愛い花が辺りを賑わせてくれることでしょう

 

今日は主人が描いた日光・戦場ヶ原の絵を出してみました

夕ひばりさまの雲の写真が あんまり素敵だったから

このパステルで描かれた絵には『がらんどうな空へ』と題が付いています

大きなスケッチブックなのに 僅か10分で一気に描きあげた絵でしたね

今頃主人は千の風になって この大空を駆け巡っていることでしょうか

お元気にしていらっしゃるでしょうか

こんな絵を見ると  逢いたい・・・・・・・・

 


 花菖蒲 杜若 アヤメ

2007年06月13日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

花菖蒲 杜若 アヤメ

 

 

この美しい時季に 全国で数多く見られる菖蒲の花は

菖蒲(アヤメ)と花菖蒲(ハナショウブ)と杜若(カキツバタ)の

見分けに困る方が 非常に多いように思う

そこで その見分け方に重点を置いて書いてみたい

 

そもそもアヤメ科は千種類もある大きな科で 

特にアメリカや地中海沿岸に数多く見受けられ

中でもアヤメ属は180種類ほどあり 北半球温帯に多く存在し

日本では約10種類ほど自生している

 

 

【花菖蒲】

アヤメ属の基本種で 野生のノハナショウブを原種としている

江戸時代盛んに栽培され 現存の栽培種は殆どこの時期に確立された

江戸は堀切菖蒲園で開発された江戸系と それを熊本に持って行って

更に花弁が広く豪華に作られた肥後系と花弁が下に優美に下がる伊勢系と

主に三系統があり 大輪の花が咲き 中花被は斜めに咲き直ぐに分かる

適地は乾地又は湿地で 葉幅は中くらいで 主脈は太く逞しい

それぞれの名前がいい 江戸系では深窓佳人 神代の昔 弥生鏡 小青空など

肥後系では秋の錦 五色の湖 殊勝 白郁  伊勢系では色の司などがある

 

 

【杜若】

アヤメ属の中でも 最も古くから園芸化されるようになったもので

古くは衣服の染料として使われるよう その多くが植えられた

江戸時代前期から 殆どハナショウブに人気が移行したのに伴い

明治時代には ハナショウブは各地に分散し維持されている事情から言って

杜若は品種数も少なく 衰退の一途を辿っている

内花被は直立し 葉は幅広く 黄味を帯び 主脈は極小で 色は青紫

変り種で白い杜若もある 花容は中輪咲きで 適地は湿地又は浅水地

園芸品種では 伊達紫 鷲の尾 舞孔雀 御所紅 朱鷺などがある

 

 

【菖蒲/アヤメ】

広い意味ではハナショウブを指すように イリス属の総称として使われるが

狭い意味では イリス・シピリカ(シベリヤアヤメ)を指している

ハナショウブやカキツバタに比べれば 花は簡素にして小さく

但し花立ちが多いので 群生すると極めて美しくなる

適地は乾燥地で 葉は狭く濃い緑色で 内花被は小型で直立か斜め

花色は紫 稀に白 花容は小さく 外花被は基部に褐色の網状班がある

 

この他キショウブやシャガやイチハツなどがあるが 混乱するので

上記三つの花に絞って考えた

 

文学には早くから登場している 『枕草子』『徒然草』『伊勢物語』 

そして謡曲の『杜若』などがある 又水上勉に『片しぐれの記』などに書かれてある

らころも つつなれにし ましあれば るばる来ぬる をしぞ思ふ』

伊勢物語で「かきつはたといふ五文字を句の上にすゑて 旅の心をよめ」と言い

詠んだ歌が 最も有名であろうか

 

 

 

http://youpv.exblog.jp/ 友人のyoupv(ゆう)さんのブログから 口絵写真 上賀茂神社奥の

大田神社境内に見える特別天然記念物『杜若』の写真をお借りして御座います

 


 ターシャの近況と輝きの季節

2007年06月05日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

ターシャの近況と輝きの季節

 

 

ターシャは今年で満92歳 相変わらず独り暮らしで お元気です 

以前日本のNHKで 世界初のターシャの庭を録画された時から比べると

少々足が弱って来ていて 自由に自分で創ったお庭を散策することが出来ないの

でも愛するメギー(コーギー犬)や白鳩や 

働き者の雄鳥のチカホメニーも 皆元気です

ターシャが最も好きな季節は この6月 

Bright Season(輝きの季節)と 彼女が呼んでいます

花々が一斉に咲き揃い あのタチアオイや芍薬や先祖伝来のオールド・ローズも

厳しかったターシャの人生を 心から賛美しているようです

 

スープの冷めない距離にいる長男ネスも 

白髪が増えて お爺ちゃんになりつつありますが

随分と 彼に面倒を掛けることが多くなりました

孫のウィンズローの可愛い奥さんエイミーは せっせとターシャの庭に通い

ターシャのお庭を 自然に返すとターシャ自身が言ったことを 

まるでウソにしたいかのように 

ターシャ直伝の草取りや花々の面倒や

動物達の面倒や 小まめに丁寧に庭仕事をしています

 

相変わらずのお楽しみは 午後遅め4時のTea time

今日は何をして お茶しようか メギーと相談です

メギーったら 吼えるけど 歩く時のあの後姿が可愛いの

歳を取るって楽しいわ 今が一番いい時よ

 

19世紀アーリーアメリカンの生活に憧れ 自給自足の生活三昧

今日は偶々『世界環境デー』ですが ターシャは何も発言しなくても

ターシャの生き方そのものが 私達の見事なお手本

日本には休耕田がいっぱいあるなんて 何て勿体無いのと言うかもね

人は私の庭を羨ましがるかも知れないけど 昨日今日では出来ないの

 

 

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!2445.entry?_c=BlogPart 

上記は『櫻灯路』掲載 亡くなる十ヶ月前の主人のターシャの記事です

 

この写真は『ターシャ・テューダーのフォトポストカード』(メディアファクトリー社刊)から
 
同社にお断りの上お借り致しました 謹んで御礼申し上げます
 
写真の著作権者 © リチャード・ブラウン氏
 
http://www.mediafactory.co.jp/ メディアファクトリー社 公式ホームページ
 

  ドクダミの花

2007年05月31日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

 

蕺(ドクダミ)の花

 

 

  

          「どくだみ」

                星野富弘 詩

         おまえを大切に
         摘んでいく人がいた
         臭いといわれ
         きらわれ者のおまえだったけれど
         道の隅で
         歩く人の足許を見上げ
         ひっそりと生きていた
         いつかおまえを必要とする人が
         現れるのを待っていたかのように

         おまえの花
         白い十字架に似ていた

 

  私が生まれ育った広尾の実家には、今頃多くの蕺の花が咲いていることだろう。小さい頃胃腸が弱かった私に、母は僅かばかりの庭の片隅に生える蕺の花を、丹念に摘んでから、吊るして乾燥させ、蕺茶を煎じて飲ませてくれた。子供ながらにも、大嫌いな味だった。更に大っ嫌いだったのは、生の蕺を切り刻んで朝粥の中に入れ、卵をとじたものを食べさせられたが、嫌いで嫌いで、蕺の花を見る度に蕁麻疹が出る恐れすらあった。御蔭で以来胃腸は甚だしく丈夫になっているが。

 それが何時の頃からだったろうか。徐々にこの花が好きになったのは。多分星野富弘さんの詩の影響ではなかっただろうか。『蕺(ドクダミ)』と言う字を、毛筆で何度も書いた事があったからだろうか。母が突然亡くなって、途方もなく哀しみに沈んでいた頃だったろうか。蕺の花が咲く頃は、梔子や泰山木や枳殻や朴の木や卯の花や鈴蘭や水芭蕉などの真白い花々が、目立って咲きそろい、白い花を毛嫌いする理由は何一つなかったからだろうか。 

 蕺は、蕺薬(ジュウヤク)と言って、腫れ物の吸出しにも効果があり、多く方言名があるのは、それなりのいい根拠と愛着があるからだろう。人に嫌われることを予め知っていたかのように、地下茎で抵抗力をつけ、自らの意思を隠して家々を包囲し、そんな蕺を私は征伐する気にはなれない。心臓の形をした葉の縁に淡く紅をさし、四枚の総苞片は花弁のように純白で、主役を競い合うような白ではなく、一定の気品を保ちながら、現実の深みに沈殿して行くようである。ふとこの白い十字架の花を見る。仕事で忙しく、何処か無為に生きているような一日が終わろうとする時、この花から過ぎ去りし遠き記憶が覚醒され、苛立ちや溜息までもが、深く鎮まって行くような気さえおぼえる 。  

 

 

 http://www.tomihiro.jp/ みどり市東町にある富弘美術館 優しさに満ちています

 


 ある運動会にて

2007年05月27日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

 

 

   ある運動会にて

 

 

 

 朝暗いうちに、疲れた身体に残る余分なエネルギーを使い切りたいと願って品川の自宅を出た。高輪~白金~広尾~麻布~。 そうして夜が白々と明けて行く頃西麻布に着き、青山墓地まで走った。雨上がりの爽やかな朝。デイジーや紫陽花や皐月の花に水滴がキラキラと光って、梅雨の予兆か、生命のときめきか。葉櫻の中に小さく色づき始めた実がかわいらしい。母のお墓参り。息を切らせて何も持たず、ただお参りするだけ。声を出して般若心経を唱える。はっきりと蘇る母の面影。しばらく母と二人だけで茫然として過ごす。時折私の近況や父の様子や叔母ちゃんのことや、フィアンセのことなどを話しかける。母はいつまでも黙って優しく聞き入っているように思えてならなかった。

 

 然し何かを振り切るように更に走りたくなり、赤坂の御用邸脇を。そして四谷へと出る。四谷から新宿区の中に入ると、昔ながらの古い地名が多く、その時とある小学校に出た。何やら今日は運動会らしい。門のところにいると、こちらがトレーニング・スーツだったので、父兄と間違えられたらしく、すんなりと校庭に入れて下さって、中には昨日の雨の始末をする先生方が忙しい。次第に数を増す生徒や父兄。私は校舎の窓際に凭れて、ただぼんやりと様子を見ていた。

 

 ひとクラスは僅かな人数で、学年全体と言っても、どう見ても複数のクラスがある学年はないようだ。統廃合が進む大都会の中の小学校。開会式が始まる。選手宣誓、何ともかわいい。続いて徒競走。一年生から走る。それを応援する父兄達の手にはビデオ、ビデオの列が。肉眼で見ないのか。幼稚園から来たばかりの子供達は何ともかわいい限りで、必死な形相。転倒し泣く子供、真っ直ぐ走らない子供、引きずり込まれながら見ていると、何だかジンワリと涙が出て来て仕方がなかった。入学式からホンの僅かの時間で、よく先生方も頑張られたものであり、私の子供の頃を思い出し、正直に胸が熱くなった。

 

 紅白の玉転がし・棒奪い合戦・球入れ・綱引き・父兄参加で児童との二人三脚・ダンス・そして高学年生の鮮やかな組み体操など、次々に運営され順調に進む運動会。児童による要領を得た司会が素晴らしい。将来女子アナにでもなれそうか。そして最後は低学年と高学年の子供達のリレー。一周200メートルにも満たない運動場を駆け抜ける。低学年は半周ずつ、高学年は一周ずつで、思わず声を出して応援したくなってしまう。スムーズな運営の所為か、それだけで目いっぱいなのか、午前中で終わってしまうらしい。後は昼食で、どうやら体育館で父兄と一緒に食べ、その後応援合戦と閉会式で終わる。全体的に小規模な都会の小学校は、山間部の分校と何も変わらないのではないだろうか。

 

 久し振りに子供達の歓声を聞く。あどけない子供達。この子供達の世代には是非日本も、今より遥かにいい時代でありますようにと、心底から祈りたくなる。更にここ一箇所だけ平和であってはならないのだろう。耳を欹(そばだ)てると、世界には銃声・怒号・テロが蔓延し横行し、何時日本に飛び火するとも限らないわけで、国内にだって多くの不条理が。何が何でも子供達を断固守って行く責務もある。強い心と道徳心の持った子供を育てあげなければならず、私も近々には子供を持つことになるのだろうかと、どこか恥ずかしいような嬉しいような・・・・・。 

 

 帰り、すっかりリセットされたような爽快な気分のまま電車に乗って帰って、半田の手延べ素麺を冷たくして戴く。何だか強い光線の所為で顔面がヒリヒリするようだったが、微温湯に長く浸かった後、せっせと夕方過ぎまで掛かって衣更(ころもがえ)をする。本麻のスーツや単の絽の和服、夏用の信玄袋や雪駄などのグッズひと揃え。彼女はどうやら学会提出用の論文作成で忙しいようだ。元気でありさえすればいい。

 

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!6194.entry 櫻灯路『衣更(ころもがえ)』

 


 牡丹のある風景

2007年05月23日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

牡丹のある風景

 

 

 牡丹の花は豪華でどこか妖艶で 朝霧を帯びて 一斉にほころび始める 

その美しい花の命は短いけれど そこが堪らない魅力である

 

 牡丹から遅れること一ヶ月後に芍薬の花が咲き出す 

ターシャの庭にもあって ターシャが好んで栽培している花の一つだ 

芍薬は 不幸にして牡丹に続いて咲く花なので一見目立たない 

牡丹も芍薬も日本や中国では両方を区別して扱うが 

欧米では両者一緒にしてピオニーと呼んでいる 

牡丹は木性ピオニーで 芍薬は草性ピオニーと言うことだろう 

巻頭の写真はパリ在住のMiyokoさんから戴いた写真で 

島根県からパリに贈られた牡丹だと言う 

彼女の写真の腕も相当なものだが 何とも美しい牡丹であろうか

 

 中国や日本では古くから品種改良されて来た 品種は実に数百にも及ぶ 

更に欧米では現在盛んに品種改良が進んでいると伝え聞く 

そしてそれぞれの品種にはそれぞれに素敵な名前がつけられていて 

その代表格の名前として 雪月花・乙女の舞・扶桑司・司獅子・

玉芙蓉・群芳殿・緋の扉・金晃・花競・櫻獅子・花王・伝芳などがある 

すべて雅な絢爛豪華な名になっている

 

 ギリシャ神話にはピオニー伝説があるので ここで少々御紹介しておきたい 

ゼウスの愛人レトがお産で苦しんでいる時に 

神々の医師ペオンは 芍薬の根を陣痛抑制剤として使い 

無事アルテミスとアポロンの双生児を誕生させた 

皆が祝福している最中 よくギリシャ神話にある話だが 

その成功を妬んだ医神アスクレピオスが ペオンを殺そうと企んだ 

それを知ったレトは ゼウスに頼んで 

ペオンを芍薬に変えて命を助けたと言う 

以後芍薬(牡丹も含めて)はピオニーと呼ばれるようになったと

 

 薬効があるのは確からしい 

牡丹の場合 太い根を水洗いし根皮を適当な長さに切って乾燥させる 

煎じて飲むと 月経不順や月経困難などの婦人病・便秘・

消炎・止血・鎮痛などの作用があり 

芍薬の場合 根茎の外皮を取り除き 日干しにし 煎じて飲むと 

やはり月経不順や冷え性や子宮出血などの婦人病によく効くそうである

 

 牡丹は百花の王とも呼ばれ 百獣の王獅子と共に 

昔から取り合わせのよいものとして 牡丹に唐獅子を配した図柄がよく見られるが 

鈴木春信の牡丹図や狩野山楽が描いた大覚寺の襖絵など 優美なものが数多い

 永青文庫堂所蔵に 仁清作の『色絵獅子牡丹文銚子』が美しく残っている

 

 長谷寺の牡丹は有名だが 最早終わった時季であろう 

『大和の牡丹』の中で増田れい子が絶賛して描かれていたことを思い出す 

北国ではこれからが本番であるのだろうが

先日北海道で雪が降り 芝櫻や蝦夷山櫻に

白い雪が降っている状況の映像が流されたばかりだ 

だがこうしてあれこれしているうちに 

急速に季節は 夏へと変わって行くのだろう

時の流れとは かくも早いものだろうか

 

 

 

http://france94.spaces.live.com/ パリ在住のMiyokoさんのブログ

 


 夏の髪飾り

2007年05月17日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

夏の髪飾り

 

 

私には 文学的才は殆どない

だからいつもどのように表現したらいいか よく分からない

特に愛の表現は 不得手中の不得手であり 手紙ではまだしも

直接逢って告げることなどには 全く不慣れで 下手糞である

ただ以前から較べると 随分物事への感じ方が違っているように思われ

あらゆるもの どんなささいなことでも 何かいとおしいような気がしている

 

新緑の皇居一周する散歩でも 路辺の草花に目が行くし

風も雲も 愛する人への思いに満ちているような気がしてならない

 

初夏 今はまだ 夏の着物を着るにしても袷であるのだろう

単の着物になるには 鱧も終わる梅雨の終焉を待たなければならない

単の和服は 絽の小紋か付け下げか どちらでも似合うだろうな

 

愛する人を 夕焼けが見えそうな今 激しく思う

ひと雨降った後のひんやりと 迫り来る夕刻の風 

ふと夏の髪飾りをつけるとしたら どんな髪飾りがいいだろう

お揃いの絽を着て 送り大文字の法光を観るのだろうか

 

さぁもうひと仕事が待っている 頑張ろう