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硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 菊花御紋章入り袱紗

2007年05月16日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

菊花御紋章入り袱紗

 

 

少々早い帰宅だったので 自分で竹の子御飯を作って食べた

アサリ入りにしたこの炊き込み御飯は なかなかなもので 美味しかった

新玉葱と赤貝の酢味噌和えや蕗とミガキ鰊の煮物も グッ!

早く一緒に 自ら作った手料理を楽しんで頂ける日が来ることを想う

 

長い旅のあとに 珈琲とかお抹茶とか格別に頂きたくなることが多い

湯を沸かし 薄茶を点て 三度目を一気に音を立て頂く 

 

菊花御紋章入りの袱紗 茶巾 茶筅 茶杓

亡き主人の遺品として戴いた人間国宝・江里佐代子師の截金細工された小さな棗

唐津焼き・中里隆師の粉引き茶碗が 新茶の時季には取分け美しく引き立てくれる

すべての茶事一つ一つがいとおしい

 

新聞に目を通すと 相変わらずの親殺し・子殺し やり場のない哀しみが

そう言えば 今日から18日まで 大津・三井寺で『千団子祭り』があるはずだ

鬼子母神は 千人の自らの子供を食らう悪鬼だった お釈迦さまが

最後で最愛の子供を隠してしまう 鬼子母神は隠された最愛の子のショックのあまり 

驚愕し慟哭して泣き叫ぶ そこでお釈迦さまが説法すると 

鬼子母神は漸く懺悔し 仏法を守護する神となると誓うのだった

 

我が国では 鬼子母神を安産の女神・子供の守護の女神として信仰が篤く

祭礼では子供の成長の為に植木市や苗市があり 堂前の放生池では

放生会が行われ 生きとし生けるものに慈愛を示し 亀を放し

特に我が子の名前を 亀の甲羅に書いて放してあげる行事もある

 

可哀想な子供には千の団子を与え 鬼子母神には石榴を与えたと言う

『千団子祭り』の行われる三井寺・護法善神堂には

極色彩の護法善神立像が安置されているが この祭りの期間中は御開帳され

智証大師が子供の頃と入唐時に姿を現した詞梨帝母で 左手に石榴を持ち

その柔和な面影は 嘗て鬼神だった鬼子母神が改心した時のような優しい面立ち

今日のようなモラル無き時代を 優しく強く諌めているようにも思える

 

自分の母親を殺し その頭部を切り取って 警察に出頭したと言う事件

今夜はこの事件が何故起きたかではなく 少年のいきり立った神経を鎮める

深い祈りを心から捧げて 休みにつこう

 

 

 

 http://www.shiga-miidera.or.jp/index.htm 三井寺ホームページ

http://www.heian-bussho.com/ 江里佐代子ホームページ(平安佛所)

 


 遅ればせながら

2007年05月14日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

遅ればせながら

 

 

今年の春のお彼岸には 私の櫻行脚の所為で 

母の墓参が叶わなかった 海外では今日が母の日だから

夕刻遅く青山墓地に 今回は父と二人切りで行き 

謝罪し 報告し お願いもして来た

母が亡くなってから既に三十年近くなる 

母の享年39歳

私が16歳の時 櫻満開の春のことであった

 

私が一番多感な時に 母は自転車を乗っていて 車に轢かれて死んだ

当時商社勤めで 謹厳実直な父がどれほど哀しんだか 私にはよく分かる

二人だけ残された家庭は 口に出して言えないぐらい淋しかった

それから父は新しい母を一向に作ろうとせず ずっと独りを守った

 

恋の一つもすればいいのにと 私なりにしつこく思っていたのだが 

どっから見ても 不器用な父は一切しなかったようだ

ただ凡そ40年勤務した商社を辞した時から 急速に老け込んだが

新田次郎が好きな父は 唯一の楽しみの山歩きを せっせと頑張っているようだ

日本百名山を すべて踏破したいと

 

父は 母が大好きだったシャトゥー・ラトゥールを持って来て

私はいつもカーネーションではなく 薔薇を贈る習慣だったから

色とりどりの薔薇の花束を持って行った 

お墓の前で 三人で乾杯をして 今日の母の日をしんみりと過ごした

いつになっても淋しさに変わりはなかった 父の目には涙の一滴が残った

 

母の日は アメリカで始まったようだ

ジアルブイス・アンナが 母親の恩愛を偲ぶしるしにカーネーションの一束を

捧げたのが キリスト教徒に共感を持たれ 1914年にアメリカでは

5月の第2日曜日に母の日を議決し それ以来世界各国に広まった

 

日本では大正12年(1923年)に始めて行われたようで

母親のある人は紅いカーネーションを いない人は白いカーネーションを

今ではその区別もないようで 私の家のように薔薇を贈る習慣もある

 

カーネーションとは別名を『詩人のナデシコと』呼んだらしい

ギリシャ神話によると 美しい娘ソクニスが 

画家や詩人達に贈る栄誉の冠を作っていた

その腕は非常に優れていて 同業者達は妬み半分で殺してしまう

その後アポロンは 彼女がいつも神殿を美しく飾ってくれたことに感謝し

彼女を紅色の美しい花に変えてしまった 

それがカーネーションだと言う

 

様々な母の日の所以はあるだろうが 

私には 母の日は 優しかった母を追慕する墓参の日である

墓参と言えば 正月・春秋のお彼岸・御盆・母の誕生日・忌日

合わせて20日近くもチャンスがあり 幸い近い場所なので

よく行くが 母の日も 私には大切な墓参の時なのである

母は 父にも私にも生き続けているのだから

 

 

 

口絵写真の薔薇はマサコ・エグランティーヌと名付けられた薔薇である

 


 京都からの便り

2007年05月12日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

京都から便り

 

 

このところ季節は急速に変化し 

特に気温がコロコロと変わる

そんな中 彼女から早速便りが届いた 

本人が通う大学の南東に吉田神社があり 本殿前の開運櫻の

周囲に たくさん御神籤がつけられている写真が来ていて 

私の開運を祈ってくれたようだ

でも開運と言っても そこそこの開運でいいんであって 

今が一番いいと思っている 

或いは厄除けの祈りでもしてくれたのかなぁ 

最早後厄もいいところな歳頃だが 

櫻の仕事への開運なら最高に嬉しい

 

昨日から分刻みの激しい勤務が再び始まった 

会議から会議へ・人の応対・決済等々と忙しない

今日土曜日 明日日曜日も勤務にしよう 

そうでないと 二ヶ月のブランクでは 今の状況はトンと分からない

夕べ少数の役員で食事会を開いてくれたが さっさと帰って来てしまった

早く引継ぎやずっと気になっていた仕事を もう一度見直してみよう

 

COOと言う立場は如何にも重い 

責任が伴うからだが 小社は45歳定年制であるから

私も後2年もしたら ここは定年である 

グループの財団へ 我が天職として 本格的に異動するのは

それからだが 既にその仕事も始めているから 

二足の草鞋もいいところだ その間に結婚もする

  

彼女は今までが町屋で苦労して来たから 広めのマンションがいいと言う

私は 何とか彼女を説き伏せて町屋住まいをしたいと念願しているのだが

どうも彼女の意見に従わざるを得ないのかも知れない

 

彼女は大好きな学問を全うするだろう

私は彼女を支えながら 櫻への夢の努力をし続けるだろう

 

 

 

http://www.geocities.jp/kyoto_yosidajinjya/  吉田神社サイト

 


 利休忌 

2007年03月28日 | 季節の移ろいの中で

 

 

利休忌

 

 

桃山時代の天正十九年仲春 二月二十八日に 

茶聖と言われた男が 時の権力者秀吉の命によって 自害して果てた

従って旧暦の二月二十八日が利休の命日であり

今では月遅れにして 茶道の家元で利休忌が行われている

表千家では二十七日に 裏千家では二十八日に実施される

 

今朝お遍路の疲労と足の怪我で 今日いっぱいは出ないことにしたので

自分なりに茶を点て 利休翁の遺徳を偲び 今日も又主人の霊前に参った

質素にして心豊かに 佛道を原とすること 亡き主人も事の他質素であった

利休翁の遺言の数々を思い出しながら 佛間でひと時静かな時の流れ

今日は八回目の月命日で 圧倒的に晴れ渡る櫻日和の朝である 

 

 

以下利休翁の茶の湯のあり方を説いた現代語訳を掲載しよう

 

『小座敷の茶事の心得』

「小座敷の茶の湯は 佛法をもととして 修行し 得道することである

結構な家に住み 珍しいものを食べ それを楽しみとすることは

俗世のことである 家は雨が漏らない程度

食事は飢えない程度で事足りる これが佛の教えであり

茶の湯の本旨である 水を運び 薪を取り 湯を沸かし 茶を点てて

佛に供え 人にも施し 我も飲み 花を立て 香をたく

それは佛祖の行いの跡を学ぶ僧侶の日常の行事である

小座敷で茶の湯を催す人々も やはりこうした僧侶と同様な

心持で 佛祖の行跡を学ぶべきである この道理を忘れたのでは

草庵の茶事は成り立たないのである」

 

言うは易く 行うは難いのだろうが それが日常の所作になっていれば

理屈より大切なものは 実行あるのみと言うことであろう

侘び寂びとは 削ぎ落とすものはすべて削ぎ落とし 

人の心に大切な要素だけの世界であるべきだとした茶聖の教え

改めて凄い教訓であると思われ 亡き主人は裏千家であったから

本来は昨日であったが 今日二十八日

彼の月命日の法要を併せてさせて戴きながら

茶聖のことを 佛壇の奥に光る大日如来さまとともに祈りを深く捧げた

 

 

 

 

 http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!4845.entry?_c=BlogPart

主人自筆の『茶の湯のこころ』(櫻灯路より)

尚写真口絵は 主人が茶花として愛してやまなかった台湾山茶花

 


 藪椿

2007年03月15日 | 季節の移ろいの中で

 

藪椿

  

今朝友人のブログに行ったら 今日は木曜日 毎週木曜日にアップするブログだ

予想通りきちんとこの日にアップしてあったが 藪椿の花の思い出話で

複雑で何をコメントしたらいいか そのまま河原町三条のオフィスに出掛け

当面の打ち合わせをした 皆それぞれの分担のうちに頑張ってくれていた

 

夕べの『なかひがし』の春の味 殆ど春の野原になる春草の出し物で

草々のアクにすっかり魅了され 未だその魔力が解けていない

独活の皮だけのキンピラが美味しかったこと まぁ全部素晴らしかった

 

どうも藪椿が離れない 昨日府立植物園で観た藪椿も素敵であったが

千葉県大原では強い海風対策に 藪椿の垣根が普通であり

伊豆大島の藪椿は 国内最大の棲息地なのだろう

京都では霊鑑寺 岩手県大船渡では樹齢1400年を超える藪椿もある

あの方とお逢いした日から 藪椿を注意して見ていたのが かの君

だから今日の写真は敢えて白い藪椿を掲載しようと思う

 

そして思わずAki_Funky555さんの詩を思い出し ほろりと涙を零してしまった

 

『藪椿』の歌

帰りたいと思っていたのに
帰れなかった
気づいた時には あなたはもう
そこには いなかった

だけど 
あなたの傍で咲いてた 藪椿の花が
今でも色鮮やかに 風に揺れてる

道端に落ちた花びらを
両の手の平で包み込み
あなたと過ごした歳月を
思い出して 泣きました

涙がいくつも あふれ出て
乾いた大地の深くに 
染み込んでいきました


声かけようと思っていたのに
かけれなかった
振り返った時には あなたはもう
そこには いなかった

だけど
あなたのその面影を 藪椿の花が
今でも色鮮やかに 胸に映してる

黒く小さな 熟れたその実を
ガラスの小瓶に集めて
あなたと重ねた歳月を
忘れぬよに 封(と)じました

涙がいくつも こぼれ出て
乾いた大地の深くに 
染み込んでいきました

あんなに 長く一緒にいたのに
一度さえも あなたに言えずに
藪椿の花に今頃 「ありがとう」って
くり返し言ってる


涙がいくつも あふれ出て
乾いた大地の深くに 
染み込んでいきました

涙がこんなに 流れ出て
乾いた大地の深くに 
染み込んでいきました

大地の深くに眠る
あなたに 届くように

 

 

藪椿は実から椿油が取れる 

椿油を丹念につけている日本女性の風雅を思う

日本に千種もある椿は すべてこの藪椿を原種としていると言う

ポルトガルにもウィーンにも 樹齢300年を超える日本の大きな藪椿があった

ウィーンの植物園にある藪椿は 大きなドームの中で

藪椿の一木のみが囲われ それはそれは大事にされていた

花言葉のように 純粋な愛であろうと頻りに偲ばれる

 

今夜は京都三大火祭り(大文字・鞍馬)の一つ 嵯峨野・釈迦堂のお松明

7mに及ぶ竹の束三個が 人間の業よ燃えよとばかり焔立つ それを観て祈ろう

今宵 涅槃会の意味もあるだろう 荼毘にふされる釈迦だと言う

 

釈迦堂は 源氏物語の光源氏のモデルになったとされる源融の別荘跡

今はその面影はないが 法然上人が若くして修行した古刹でもある 

二月の末には古い形式の狂言も行われ 清涼寺として一般に知られていよう

 

愈々明日から 四国の遍路旅で 半ば緊張を隠せない

 


京都府立植物園にて

2007年03月14日 | 季節の移ろいの中で

 

府立植物園にて

 

午後 『菱岩』さんで 二段重ねのお重を戴いてから

真っ直ぐ府立植物園にTAXYで出掛けた 賀茂川の北大路橋を渡って直ぐ降りて

正面からたった200円を払って中に入った 腹ペコでお弁当を食べたかったからだ

櫻の芽は未だ硬く 大きなドームの温室に入ると 様々な花々が咲いていた

だが如何に暖かいいい場所であっても そこでお弁当を広げる訳には行かず

再び温室を出て その建物の周囲にある櫻の樹林の中に入って

比叡颪の寒い中をベンチに座って お弁当を広げた 凄い

一段と豪華になったような気がするお弁当で ひと足早く春の香りがする

伊右衛門さんのお茶を片手に食べた 美味しい限りである

何故観光客の皆さんは 『菱岩』さんのお弁当を頼まないのか不思議

たった5500円で 豪華な花街の雰囲気と味が堪能出来ると言うのに残念だ

震えながら食べ終わり 辺りを散策する クロッカスの花が美しい

ここの植物園の特徴である真紅のチューリップには少々早いようだ

 

北山門から出て 北山通りを散策する 随分変わっていた

先ずお洒落で パリで言うなら3区のマレ地区に似ているような雰囲気である

そこから賀茂川へ行き 北山大橋から半木の道を望むと 櫻はまだまだである

半木(ながらき)の道とは 北山大橋から北大路橋の間 

約800mの賀茂川沿いの川沿いの道で 枝垂れ櫻のトンネルが出来る

斎王櫻(紅枝垂れ櫻)や侘助のように半開きで満開の枝垂れ櫻もある

又来よう こここそゆらゆらと歩いていたい京都の春なのだから

 

各家に禊の井戸がある神官の住む社家の道を通り 明神川沿いを遡る

やがて明神川は ならの小川となって 上賀茂神社の三の鳥居に至る

二の鳥居の細殿前に 二つの立砂 左が男性で 天辺に松葉が三本

右の立砂は女性で 松葉は二本 陰陽道から来ている神の憑り代である

古代樟の樹の化石で出来た樟橋を渡って桜門へ そして本殿へ 参拝す

ならの小川は 神社の両側を流れる御物忌川と御手洗川の合流である

片岡山もさわさわとして 神坐ます崇高な感じがして いつ観てもいい

その奥には大田の小径があって 天然記念物の杜若で有名な大田神社がある

 

競馬(くらべうま)をする視界の広がる芝の広場に出ると 御所櫻と斎王櫻

それは一の鳥居に向かって左手だが 右手には競馬の際使われる櫻が

手前がむち打ち櫻で 鳥居近くが馬出しの櫻 いずれも蕾は硬かった

 

一の鳥居を出て 葵家やきもち総本舗に立ち寄り やきもちを購入

するとうまい具合にバスが来た それにしても短時間でよく歩いたものだ

でもこの先幾らでも歩かなければならない いい訓練になったかも知れない

 

今夜は俵屋さんに食事を頼んでいない

銀閣寺近くの『草食なかひがし』に行くつもりだ

久し振りに 中東さんの駄洒落でも聞きながら 春を探そう

仕上げの酒は 予め頼んであるグジと鰆を肴に 旅館で独りで飲ろうと思う 

独り旅では何処に行くにも 独りが絶対条件なのであろう