岩手県洋野町 人的被害0でも 大きな津波に襲われた(岩手日報より)
人的被害0の奇跡
岩手県最北端の、人口17,000余人の小さな町で奇跡が起きたことを、震災から843日も経ってからだが、改めてお知らせしたい。高さ16㍍の防潮堤に、大津波の勢いがそがれたこともあったろう。津波の高さ16㍍少々であったのも防潮堤に勢いをなくしたのだろう。だが海中にあった漁網も悉く被災した。海近くの家屋も数多く全壊した。漁業関係は壊滅的打撃であった。それでも、迫りくる大津波の中でも、この町の方々は皆冷静であった。この地区はかつて何度も大きな被害にあっている。従って津波に対する意識がもともと違っていたのだ。特に八木北地区は徹底していた。ここでは津波が来たら逃げろではない。地震が来たら逃げろが合言葉となっていた。八木北地区では10世帯を一班として、20班全員が高台避難して、一人の被害者も出さなかった。怪我人さえいなかったのだ。各班ごとに、どこへ避難するかを予め決め、その避難路の確保を常日頃から実施し訓練していたのだ。雪が降ったら、誰彼なく高台への道のすべてを雪かきをし、夏草が生い茂ったら、避難路と分かるように徹底的に除草し、四季折々避難道の確保を、当然のこととして実施していたのだ。私が実際に彼らから証言を聞いたら、津波到達時の12分前に避難が完了していたと言う証言であった。どうだろう、その意識の高さは、私たちが自分自身のこととして充分検証して然るべきだろう。(以上記事の一部の著作権は岩手日報社「洋野町の津波の証言」にあります)
何故なら東南海トラフなどの大地震や、首都直下型の大地震だって、いつ起きても可笑しな状況ではないからでありましょう。朝の連続テレビドラマ「あまちゃん」は大好評らしいが、この舞台・久慈市の直ぐ北に洋野町は位置し、岩手県最北端の場所である。だから被災したのが少なかったというなら、実際見たらどうだろう。「あまちゃん」の舞台になっている久慈市だって被害がなかったわけではないのである。クドカンの脚本の良さと面白さ、配役の素晴らしさ。脇役陣の充実など、褒めても褒めてもおっつかないほどで、高視聴率になるのは当然である。最初被災地に向かって、こういう明るいキャラのドラマはどうかなぁと思っていたが、何と現地岩手の方々に圧倒的に支持されているのだから驚きで、私の下の息子なんかはドラマ冒頭に出て来る大友良英のオリジナル曲に敏感に反応し、朝からクネクネと踊りまくっている。
岩手日報社 各種記事
洋野町・避難通路の一つ
今では美しい種市海岸の風景
未だ瓦礫残る海岸べりで 魚釣りをする親子の穏やかな風景
幾ら立派なコンクリート製の構築物を作っても、作ったその日から経年劣化が始まる。だが森の長城プロジェクトのような広葉樹で植栽された防潮堤は植樹したその日から成長が始まり、劣化することはない。無論鉄筋コンクリート作りの防潮堤を全面否定するものではないが、人は人、我は我とする現代の風潮に、果たして洋野町のような住民意識が持てるだろうか。震災予告が政府から発信され、私たちは今何が出来るだろうか。小さな単位から危機感を抱きつつ、新たに構築しなければならないはずで、決して遅くはないはずであろう。来年再来年の話ではなく、私たちは、今出来るところから地域地域で始めるべきだろう。
尚大飯原発の再稼働は反対である。野田政権時代、大飯原発を再稼働したのは、京都府綾部出身で、内閣府特命(原発関連)大臣であった細野豪志であったはずで、私の反対理由の大きな柱は大飯原発本体にではなく、原発に通じる道路の問題が最も酷く危惧している点である。片側一車線道路が多く、しかもトンネルが数多い。もしもの時に、様々な車両がどうやって大飯原発まで辿りつけるのかということだ。特に大型車両。現在細野氏の選挙区は静岡五区だが、出身母体の綾部から直ぐ傍の大飯町のことを全く知らないなんて絶対に言わせない。安倍総理も原発のトップセールスマンを自認しているらしいが、最終処分場が一つも決められない現状で、よく言うものである。もう帰れっこない帰宅困難地域の福島の方々に、改めてお見舞い申し上げるとともに、決して一人ぽっちにはさせないとお誓い申し上げる。
(尚、私は共産党でも社民党でも生活の党でもみどりの風でも民主党でもない。ましてみんなの党でも維新の党でもない。発送電分離を蔑にした参議院の、今回の党利党略は全く不快である。しかも民主党も一緒に同意しておきながら、このザマであり、民主党こそ亡国党であり、党内で決して纏まることのない政党であると言わざるを得ない。私は与党・自公民でもない。ただ、これだけは断っておきたい。私は断じて右翼ではなく、ただのニッポン教信者であると)
今日は半夏生の日。少しは物忌みをし、粗食にしたいものである。関西のように蛸を食べるべく、それだけは買ってあるが、どんな献立で夜を過ごすべきだろうか。一刻も早く、被災者の皆さまに、いつもの生活が戻りますようにと、家族揃って心からお祈りしながら。