愛宕神社千日詣りと茅の輪くぐり
本日は 今月全国的に多かったお田植神事のトリが 伊勢・志摩地方の
伊雑宮で 『御田植祭り』があります 海の近くらしく 漁師さんも混じって
大混雑して大賑わいすることでしょう 別名『オミダ』と呼ばれていて
五穀豊穣の他に大漁祈願にもなるそうです
一方東京では 23,24日愛宕神社で千日詣りがあり 茅の輪くぐりがあります
昨日の午後 愛宕神社の薪能があって NHKのBSで放送がありました
その前ふりで 愛宕さまの急勾配の階段 男坂と申しますが 出ておりました
金春の能で 櫻間金記師の『一角仙人』も立派でしたし
野村萬斎師の狂言『彦市ばなし』も 非常に面白かったです
四国丸亀城主の家臣・曲垣平九郎盛澄が
将軍家光の御前で この愛宕神社の過激で急な男坂八十六段を
愛馬諸共一気に駆け上がり
国家安泰を祈願した後 将軍の愛でた梅花をひと折
梅花を将軍に差し出し 馬の名人と持て囃されたのでした
又 万延元年 安政の大獄で恨みを買った井伊直弼を討とうと
この神社に集結した水戸浪士の面々が
雪を蹴散らし 櫻田門へ飛び出して行きました
更に明治元年 旧江戸幕府の将・勝安房守海舟と 官軍参謀の西郷隆盛が
ここ愛宕神社から 江戸の巷を睥睨し 戦火に晒すのは惜しいと
二人で 戦乱を断念した場所でもあります
兎に角高い場所なので 昔は海は無論のこと 遠く房総なども一望出来たのでした
それが大きな要因で 渋谷ではなく 最初のNHKは この直ぐ傍にありました
23、24日は愛宕神社で千日詣りがあり
大祓いの儀でしょう 茅の輪くぐりもあり 晦日からすればひと足早い筈です
半年分の穢(昔は一年を二度に分けていた)を取って戴けることになっております
一日お参りすれば千日の功徳があると言われ 近郷近在から多くの人々が集まって
ごった返えしたのは つい最近まででして その時酸漿(ほおずき)が売られ
それを処方すると忽ち癪(シャク)が治ったり 子供のカンの虫が治まるとか
霊験あらたかであったと 浅草の酸漿市の原型になっております
そして正月から半年の晦日で 茅の輪をくぐって
大祓いをし 夏に備えたものです
様々な曰く因縁がある立派な神社なのですが
去年七月二十八日 気温38度の暑い中 我が主人は愛宕さまにお断りもなく
リハビリの為 何度かこの神社の男坂の石段昇りに挑戦を申し上げました
セキュリティの方々と三度上り下りされ 最後下りた後に突然の異変が
手術して一年も経っていない心臓が ピタリと止まったのでした
下で待機していた私が 直ぐ救急車を呼んで胸骨を折るような強い人工呼吸
だがその甲斐もなく再び鼓動が 一度も戻ることはありませんでした
焦るリハビリに 何かの要因があったのでしょうか 今では分かりませぬ
由緒ある御神前で 本当に済まないことを致しました
今月二十八日が 最後の月命日であります
来月の二十八日が 我が主人の一周忌です
返す返すも 口惜しく淋しい限りなのでありまして
今回偶然に テレビで観るのがやっとでして
残念ながらこの神社には 未だに近づけないのです
取り巻きの我々の責務が 甚だ重責になっておりまして
どんな非難をも受ける覚悟が御座いました
そんな愛宕さまのご報告で 愛宕さま!本当に御免なさい
眞に勝手で 恐縮につき
愛宕さまに依って来る多くの苦悶や苦悩や災厄を
独り背負って天に召されたと 是非お許し賜りとう御座ります
畏しこみ畏しこみて神の御前に 平身低頭させて戴き
ひたすら御願い申し上げる次第であります