葵祭り
斎王代・女人列御禊神事
今年五月四日 午前10時から御神事が行われた
奏楽の中 斎王代や女人列が一ノ鳥居より参進し
手水の儀
橋殿殿上に著座される
中臣祓詞宣読(のりとせんぞく)
斎王代や女人列の修祓が行われる
御手洗川にて御禊される
形代(かたしろ)にて解除(げじょ)される
本殿を遥拝する
全員 退下する
以上で斎王代と女人=采女達の禊の儀が終了し 本番を待つ
葵祭り (愈々明日15日が本番)
今では主に路頭の儀だけが有名になっていて あの1キロに亘る行列が
御祭りの本儀となっている印象を持たれる方が多いかも知れないが
そうではなく、天皇の名代として斎王代が 京都の町の守護を司る
下鴨神社・上賀茂神社の御祭神達へ祈りの儀式なのである
華麗なる路頭の儀はほんの一部分に過ぎないのである
大同2年(807)に始まったとされる下鴨・上賀茂神社の例祭のことで
かつては旧暦4月中の酉の日に行われていたが
明治17年から この日に行われるようになった
昔 祭りと言えば この葵祭りのことをさし 又岩清水八幡宮の祭りを
南祭りと言われたのに対し 葵祭りは 北祭りとも言われた
源氏物語には この行列を見るのに しばしば争いごとがあったと記述がある
葵祭りと呼ばれる所以は 社殿の御簾や祭員の衣冠 牛車などを葵で装う為で
賀茂の大神さまに対する行事であるから 賀茂祭りとも言われた
当時はクラベウマで勝ち得た馬を先達に
牛車などを中心に平安朝の絵巻物語風の 絢爛たる衣装調度の行列が
京の街を練り歩く 全行程8キロにも及び それぞれの神社で御神事があり
斎王代の大玉串が捧げられる 朝廷の威厳を示した官の行事とも言えそうだ
賀茂の家々でも 門ごとに葵を挿し
衣服や髪にも葵を結んで 祭りを彩り飾る
尚葵とは 『フタバアヲイ』のことで 今では上賀茂神社境内の神山(こうやま)から細々と採られている
尚口絵写真は今年の斎王代・女人列御禊神事の情景です (主に采女役)