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硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 斎王代・女人列御禊神事と葵祭り

2007年05月14日 | 祭り・民俗芸能・民間信仰

 

 

 

葵祭り

 

 

斎王代・女人列御禊神事

 

   今年五月四日 午前10時から御神事が行われた

   奏楽の中  斎王代や女人列が一ノ鳥居より参進し


   手水の儀
   橋殿殿上に著座される
   中臣祓詞宣読(のりとせんぞく)
   斎王代や女人列の修祓が行われる
   御手洗川にて御禊される
   形代(かたしろ)にて解除(げじょ)される
   本殿を遥拝する
   全員 退下する

      以上で斎王代と女人=采女達の禊の儀が終了し 本番を待つ

 

 

葵祭り (愈々明日15日が本番)

 

    今では主に路頭の儀だけが有名になっていて あの1キロに亘る行列が

御祭りの本儀となっている印象を持たれる方が多いかも知れないが

そうではなく、天皇の名代として斎王代が 京都の町の守護を司る

下鴨神社・上賀茂神社の御祭神達へ祈りの儀式なのである 

華麗なる路頭の儀はほんの一部分に過ぎないのである

 

大同2年(807)に始まったとされる下鴨・上賀茂神社の例祭のことで

かつては旧暦4月中の酉の日に行われていたが

明治17年から この日に行われるようになった

昔 祭りと言えば この葵祭りのことをさし 又岩清水八幡宮の祭りを

南祭りと言われたのに対し 葵祭りは 北祭りとも言われた

源氏物語には この行列を見るのに しばしば争いごとがあったと記述がある

葵祭りと呼ばれる所以は 社殿の御簾や祭員の衣冠 牛車などを葵で装う為で

賀茂の大神さまに対する行事であるから 賀茂祭りとも言われた

当時はクラベウマで勝ち得た馬を先達に 

牛車などを中心に平安朝の絵巻物語風の 絢爛たる衣装調度の行列が

京の街を練り歩く 全行程8キロにも及び それぞれの神社で御神事があり

斎王代の大玉串が捧げられる 朝廷の威厳を示した官の行事とも言えそうだ

 

賀茂の家々でも 門ごとに葵を挿し

衣服や髪にも葵を結んで 祭りを彩り飾る

 

 

尚葵とは 『フタバアヲイ』のことで 今では上賀茂神社境内の神山(こうやま)から細々と採られている

尚口絵写真は今年の斎王代・女人列御禊神事の情景です (主に采女役)

 


 道成寺 鐘供養

2007年04月27日 | 祭り・民俗芸能・民間信仰

 

 

 

道成寺 鐘供養

 

 

 

和歌山県川辺町で 紀州一の古刹・道成寺がある

『今昔物語』(巻11)を下地にして 

日本の芸能に多大な影響を与えた道成寺の物語があって

本日は 道成寺において鐘供養の日で 厳かに厳修されている

 

安珍・清姫の恋物語であるが 様々な異説があったり

実に面白いことに 各種の芸能に存在していること

古くは山伏神楽の座舞の中に 『鐘巻(かねまき)』と言う古曲があって

そこに 既に安珍・清姫の伝説が演じられている

 

更に下って 能楽にも『道成寺』があり 蛇(=清姫)の鐘入りがあり

申楽(さるがく)や田楽(でんがく)や風流(ふりゅう)の題材にもなって 

男女の普遍のテーマとなっているのであろう

 

歌舞伎の世界になってからは凄惨さより 一層煌びやかな舞台となり

藤本斗文作の『京鹿子娘道成寺』が出現して 

粗今日の娘道成寺のイメージが定着したように思う

 

実は川辺町にある御寺は 実在ではあるが 

鐘は有為翩々し 現在では京都の妙満寺にある

近年その鐘は里帰りもしたようだが 蛇になった清姫を追って 安珍も蛇になり

ここ道成寺の御坊さまの功徳ある読経によって 二人が結ばれ

兜卒天(とそつてん)で 人間となってハッピーエンドと終わるものである

 

男性がちょいと軽く 熊野詣の帰りには 添い遂げようと言ったひと言は

女性にとっては計り知れない重い言葉であって サラリと忘れ去ることは出来ない

清姫が恋から怨念へ凄惨を極める 安珍のひと言が魑魅魍魎の世界へ

今にでも通じることなのかも知れない

連休前の今頃 道成寺では住職が面白おかしく

法話の一環として爽やかな弁舌を振るっていることであろう

 

更に比較演劇学として 各分野の道成寺を 詳細に検証することも面白かろう

その時代時代が鮮明に見えて来るかも知れぬ

 

さて現在の道成寺にある鐘は 近年歌舞伎の舞台で使われた鐘であるが

古来から 安珍・清姫の供養をして 佛徳を説いた御寺として存在し続けている

 

 

 

口絵の写真は 山伏神楽『鐘巻』の稽古風景である

刀で立てられた紋付は 鐘に見立てられ 女面のものは そこへ鐘入りする

 


嵯峨野・釈迦堂のお松明

2007年03月16日 | 祭り・民俗芸能・民間信仰

 

 

嵯峨野・釈迦堂のお松明

 

嵯峨野・釈迦堂に 涅槃会の日 お松明があり 天も焦げよと燃え盛る

お松明は三本 早生(わせ)が鯨尺で21尺(6m98cm)と

中生(なかて)は20尺(6m60cm) 晩生(おくて)は19尺(6m27cm)で三本

それぞれ赤松を影乾しにした材料で お呪いに藤の蔓の輪が12個が付いていた

V字型の大きなお松明で 如何にもよく燃えそうなお松明だ

 

境内に到着した頃は 近在の善男善女 子供達 夜店のおっちゃん達

底冷えのする中を 大勢の人々が 今や遅しと着火を待っていた

夜8時過ぎに点火される 一気に勢いよく燃え盛る業火 凄い

この火は 釈迦の荼毘の様子を模したものだとも言い 

思わず本堂のお釈迦様に向かって 合掌す

合わせて日頃お世話になっている西行にも 早めに合掌す

西行は 翌16日が西行忌で 73歳で没しているが 

夜半には お釈迦様と西行の 両者の菩提を弔うことになるだろう

 

三本のお松明は 最後に火が残ったモノが今年の出来だと言う

吉凶を占うようだ 佛教と民間の習俗とが 巧く合致したようなお祭りであろう

 

この御寺は 源氏物語・光源氏のモデルとされた源融が別荘跡

鎌倉時代には法然上人が若き日に お籠りをして修行した由緒ある御寺でもある

一般的に名は清涼寺と言い 嵯峨野散策の重要な起点になっていよう

春 如月の晦日には 古い形式の狂言が催される

 

帰り タクシーを呼んで宿へ帰る途中 佐野籐右衛門氏宅の萱葺き屋根に添って

円山公園の三代目として大事に育てられている江戸彼岸の枝垂れがあり

まるでこれ見よがしに 暗闇の中に 不思議なシルエットで堂々と見えていた

又 お邪魔しますからと 遠巻きに 無言でご挨拶をする

 

 

ただ今は多度津 朝早く京都から ずっと鈍行でやって来た

丸一日掛かったような気がする でも今日からは修行であろう

ちょうどいい寝場所の阿弥陀堂があったから その軒先が今晩の寝所 

お接待には預からず 食事として入ったつもりの居酒屋で これを書いている

昨日とは大違いで 頬被りをして寝袋の中で 独り寝るつもりでいる

ちょうど ヨウヨウと酔って来た 明日は新居浜まで歩こう

辿り着けないかも知れないが 寅さんの映画(寅次郎の縁談)に出て来た

志々島を右手に観て お遍路さんとは逆のコースを辿り 

観音寺を経由し 途中途中お参りをしながら 新居浜の明正寺櫻を目指す予定

さぁぼちぼち引き上げるとするか でも如何にも田舎らしい居酒屋で美味しかった

今日も一日 有難う 感謝感謝の合掌で終わろうと思う

 

 

 

http://www2.dokidoki.ne.jp/tomura/myousyouzi.htm  明正寺櫻

 


 ’07 東山・花灯路

2007年03月14日 | 祭り・民俗芸能・民間信仰

 

’07 東山・花灯路 

 

京の夜は艶やかである 宿で早めの食事を戴き夜の街へ

祇園・花見小路に寄り 菱岩さんに明日のお弁当を頼み

青蓮院へ直行 そこからダラダラと今年の花灯路沿いに歩く

満開の櫻の時のような人出で もうそれだけでウンザリ

せめて八坂の塔に行きたいものだと思って行ったら 大正解

そこだけは森閑としていて異空間 塔には登らず 幾人かの写真撮影を見たり

そそくさと退散し 祇園・甲部の或る店に行く

昔芸妓だった人のクラブで 馴染みのお店である まだ早いかなぁ

久し振りであった 女将は相変わらずでも 近頃の祇園は騒々しくて

適わないとこぼすこぼす 何故ってどうやら林立する風俗店にあるようだ

何故こんな業種が許可になるのか それを考えただけでも虫唾が走る

「まだ早いさかい 誰も来ぃはらへんのどすえ」と言う女将の仕草

女性は年を取っても美しい 年を取るから一層綺麗になる部分もあるのだろうか

そんな風に思いながら 彼女を横目で見て 軽くワイン一本をあけ 早めに退散

お水取りで 徹夜で見学させて戴いた疲れからか 宿に帰って直ぐ寝込む

床の間に置かれたお香の匂いがそこはかとなく漂っていた

 


 若水取りから韃靼へ

2007年03月13日 | 祭り・民俗芸能・民間信仰

 

若水取りから韃靼へ

 

夕刻若水取りから お松明へ 次第に膨れ上がる観客の方々

今や遅しとお松明の火の粉を待ちわびている

勢いよくお松明がふられ 火の粉はこの世の因業を焼き尽くすよう燃えさかる

お松明が終わり 午後九時を過ぎる頃になると ぐっと観客の姿がなくなり

お松明の火の粉を浴びれば 皆それで満足されたようにお帰りになられる

 

だが二月堂内では 翌朝五時半までの日程はまだまだ錬行衆によって続いていた

全国の神社・仏閣の名前を読み上げ すべての信仰の場所に栄えあれと祈る

更に東大寺の関係した過去の僧侶や人々の過去帖が読み上げられる

中には青衣の女人(しょうえのにょにん)と言う一節が出て来るが

鎌倉時代 集慶(じゅうけい)と言う僧侶が過去帖を読んでいると

何故私が読み上げられないのかと 青い衣の女の亡霊が現れた

慌てて僧侶は青衣の女人と 名もそこそこに呼んだら すっと消えていなくなった

まるで能を観ているような話であるが 永い修二会の歴史にはさもありなんと

様々な感慨が湧き 感動がじわじわと湧き上がって来る

いつしか私自身もスピリテュアルな世界の真っ只中にいた

 

夜半二時過ぎであった 異形の面をつけたものが堂内に雪崩れ込んで来て

韃靼(だったん)と呼ばれる足拍子が行われる 所謂大地踏みとでも言うのだろう

ピンと張り詰めた雰囲気が 一気に緊迫し 厳粛になる瞬間だ

錬行衆の方々がする決死の別火精進の意味は この一瞬の厳粛さにあったのか

錬行衆が内陣を駆け巡る 荘厳な音を身近に聞く ああ何と幽妙だろうか

 

聖武天皇が その威信に掛けて造った東大寺 そして二月堂・修二会

国家安泰を願い 今も威風堂々として 脈々とこの伝統が続いている

 

折角取った料亭旅館も この夜ばかりは帰ることもなく

一睡もしないで観た甲斐があったと言うものだ

かく言う私も手を合わせ もっともっと日本のデモクラシーが成熟し 世界で

その特異な文化を鉾にして 大いに頑張って戴き 指導力が発揮されるよう

深々と祈った 堂内に朝までいた見学の方々は僅か五十人に満たなかったが

清廉で神々しい錬行衆とともにあったことの歓びに満ち溢れていた

良弁椿の作り物が鮮やかで 本物の良弁椿も見事に咲いて祝福している

愈々この行事が終わると 古都・奈良も春本番へ

 

今日は春日大社の大祭で 十五日までの三日間 行事が行われる

おんだ祭りの系統の 豊年予祝のお祭りで 深い祈りがあるのだろう

殆ど寝ることもなく 春日大社に向い 本殿にて奉幣の儀を厳かに観る

辺りには既に 早咲きの大寒櫻が観頃を迎えている

私の精神は 心なしか躍動しているように思え

何事も始めなければ 何事も始まらないのであると

櫻山の成功を祈願したのは個人的なことばかりではないと自負しているが

 


 お松明の日に

2007年03月12日 | 祭り・民俗芸能・民間信仰

 

お松明の日に 

 

愈々今夜がハイライト

とは言うものの 錬行衆の難行苦行の結界詣でには頭が下がる

夜を待って 萬々堂に行き 糊(のり)こぼし椿に似せた和菓子を購入

可愛らしい和菓子で 食べるのが勿体無いぐらいである

詳細は又後ほど述べることにして 和菓子でお抹茶を頂戴しながら

夜を待つ 今夜も寒くなるような気がする

燃えよお松明!

 

 


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2007年03月09日 | 祭り・民俗芸能・民間信仰

 

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 本日このブログを開設にあたり 鹿島神宮では祭頭祭があり 

明日塩竈神社では帆手祭がある 

そして12日には東大寺二月堂のお水取り!

ハイライトとなるあの炎の祭典が行われるのである 

翌日には春日大社で大祭が行われ 

春先のお祭りの情念が一気に燃え盛る 

いいチャンスに開設したものである  

 

日本には嘗て多くの祭りがあった 

社会情勢の変遷とともに、あっと言う間に数が少なくなって行き 

まるで明治の御世にあったあの廃佛棄却のようでもある 

有職故実とまではいかないけれど 

古きを知ることは 更に新しきを知る上で何と大切なことであろうか 

 

安倍内閣が「美しい日本」の再生を声高に叫んだ 

聞くと戦前アインシュタインが来日された時

「何て美しい日本なのだろう 世界にはない秩序と礼儀があって見事な国である」と

賛美された言葉を引用し そうした国造りをしたいものだと総理は語っていた 

精神文化だけなのであろうか 凡そ具体性に乏しく 

何一つ分かったようで分からないのである   

 

だが本当に美しい日本を顕現することは

果たして政治家レベルで可能なのであろうか 

先ずこの命題から 古き善き伝統や伝承を伝えながら 

我々一般レベルでの『美しい日本』を模索してみたいのである  

さてぼちぼち歩き始めましょうか 春のお彼岸を前に