Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

カダフィーの最後

2011年10月27日 | 社会学/社会批評
 カダフィーが捕えられ、殺された。あまりにも哀れな最後である。喜劇的でもある。
中東の狂犬と呼ばれ、世界を敵に回し、アフリカの多くの国々に影響を与えた人物にしては「みじめな死」と言えるだろう。反カダフィー派の自国民をドブネズミと蔑み、皆殺しにせよと命じた男が、最後は下水道管の中に逃げ込み、捕獲されたとは、ほとんど笑い話である。
 上半身を裸にされ、地面をころがされ、袋叩きにされている、黄色い自動車から突き落され、よろめくカダフィーの映像をメディアが執拗に映し出している。
 チュニジアのベンアリはサウジアラビアに逃げ込み、もはや忘れられた存在であり、エジプトのムバラクでさえ、屈辱的な姿をテレビに曝け出しただけである。
 袋だたきされ、損壊した死体が「さらし者」にされているのは、40年に及ぶ独裁の不満と恨みと憎しみが、リビヤ国民にとって、余りにも大きすぎたのか。
 意見の相違は議論を尽くし、お互いが納得する結論に導く事が大切なのに、自分と意見の違う人間を排除し、虐殺する。多数で少数者を抑圧する、恫喝行為でもって人の心を支配する。このような独断的な人間は周囲にいくらでも見られる。
 独裁者は概して、その風貌や言動と異なり、気が小さく臆病者である。権力者に迎合し、「長いものに巻かれろ」式の生き方は楽かもしれないが、そこからは何も生まれない。
権力の横暴には、正論を通して抵抗をするのが、人間の生き方として大切だと考える。

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