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とはずがたり

論文の紹介や日々感じたことをつづります

大学キャンパスで感染を拡大させないためには。。

2020-08-07 16:36:59 | 新型コロナウイルス(疫学他)
5000人の大学キャンパスに10名の無症状ウイルス陽性者がいた場合、どのくらいの頻度でウイルス検査をすればコスパよく感染拡大を抑えられるかというシミュレーションです。毎日新たに外部で感染が生じることになっており、陽性者(あるいは有症状者)は寄宿舎に隔離します。
Rt=2.5で毎週10人の感染者が新たに発生する(外部からの持ち込み)というシナリオの場合、検査の感度が70%、特異度が98%とすると毎日検査をすれば隔離者は116人/日、21人/日が真の陽性者というところでほぼ定常状態に達し、設定した80日間で真の感染者の総数は162人となります。検査を2日に1度とすると偽陽性者が減るので隔離は76人/日に減りますが、真の陽性者は28人/日に増加し、総数は243人になります。週に1度の検査にすると隔離者は121人/日、108人/日が真の陽性者となり、設定した80日の観察期間内に約半数が感染することになり、症状のみに依存して隔離を行った場合はほぼ全員が感染するという結果になります。このほかにもいろいろなシミュレーションを行っていますが、感染者の総数に影響するのは検査の頻度であり感度はほとんど関係しないそうです。そして結論としては2日に1度のスクリーニングが、コスパがよさそうとのことです。と書きますとPCR推進派の方々が大喜びしそうですが、実際問題として現在のPCR検査を2日に1度全員に行うというのは不可能です(中国でも)。とすると感度を落としてでももっと安価な検査法が必要だということになります。となるとやはり抗原検査だと思うんですが、それにしても2日に1度と言われてもねぇ。。 






今必要なこと

2020-08-07 10:33:51 | 新型コロナウイルス(疫学他)
時々頭の中を整理しないと現在の立ち位置が見えなくなるので、下記の文章は自分の覚書として記載しています。
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新型コロナウイルスパンデミックの現状は、インフォデミックとも呼ばれる情報の洪水の中で、きちんとした情報とそうではない情報が同様の強度で錯綜しながら発信されているために、よほど医学リテラシーの高い人でも何が正しいのかという判断に困難をきたしている状況です。このような中で、テレビやWebで目立つ人や声が大きい人の発言が社会に大きな影響を与えるというのはある意味やむを得ないことかもしれません(正しいとは言いませんが)。「イソジン液によるうがいが有効」と大阪府知事が発表した次の日には薬局からイソジンが無くなったというニュースなどは、福島原発事故の際に「イソジン液を飲むと癌が防げる」というトンデモ情報が飛び交い、やはりイソジンうがい液が薬局から消え去ったという黒歴史のデジャブであり、「困ったときにイソジン遺伝子が活性化される」のは、日本人DNAの特徴であるかのように思えて興味深いです。
日に日に膨らむ感染者(というより検査陽性者)数と、未曾有の社会・経済活動へのダメージの中で、社会・経済活動をどのように再開するのか、あるいはしないのか?視界がほとんどなく、ナビゲーションもない濃霧中での航海のような状況下での舵取りは本当に難しいことと思います。「政府の言うことがブレる」と批判する人も多いですが、そもそも最適解が誰にも分からない状況では、むしろ「ブレない(意見を変えない)」方が問題で、刻々と変わっていく状況や新たな情報を踏まえて臨機応変な対応を行うことが、政治に求められていると思います。
政策の成功・失敗は最終的には結果によって評価されるべきであり、政治家の好きな言葉でいえば「歴史が評価する」ということになるのでしょう。しかし何を目標にするかは初めに明確にすべきです。臨床研究のアナロジーでいえば、前向き研究をやるのであれば、スタート前にアウトカム(成果)目標を設定すべきです。初めに目標を明確にせず、後出しじゃんけんのように成果を自慢するような態度は、政治家としてしたたかと言えるかもしれませんが、都合のよい「歴史」を作り出しているだけで正しい態度ではありません。
たとえ将来的に修正が必要だとしても、今現在何を目指すのかというアウトカム(エンドポイント)を明確に示すことが政治に求められています。現状では国民の安全確保と経済活動とはある意味相反する目標となっているので、どちらかのみを取ることは難しい。そうだとすれば、例えばアウトカムとして「死亡率を**%以内、GDPの低下を**%以内に抑える」という数値目標をco-primary outcomesとして設定し、この目標を達成するためにどのような検査体制や医療体制を構築すべきか、どの程度社会活動のタガを緩めるべきかを逆算して設定してはどうでしょうか。
ここで重要なのは、定期的な達成状況の評価です。評価方法もあらかじめきちんと決めておき、例えば死亡率が上振れしているようなら引き締めを強くする、GDP低下が目標以上に悪ければ、ある程度社会活動を緩和するというような微修正が必要になります。あまりに現実とのギャップがあるようなら、アウトカムの数値を修正することもやむを得ないかもしれません。もちろん人によって様々な思惑があるので、アウトカム目標の決定に際しては十分な議論が必要ですが、時間的な猶予があまりない状況と考えれば、最終的にはトップの責任で決定するしかないと思います。そして一旦決定したら、定期的な評価・見直し以外には周囲の雑音に左右されて安易にアウトカムを変更しないことです。臨床研究でアウトカムをコロコロと変えるようでは信頼できる結果が得られないのと同様です。
「そのような事は現実の政治の世界では難しい」と言われれば「はいそうですか」と言うしかありませんが、毎日の数値に踊らされて右往左往している現状は、ある意味で日和見と言われても仕方ないように思えます。いずれにしてもトップには「結果の責任は自分が取る」という強い責任感とリーダーシップが是非とも必要で、それが現在のわが国のトップにできるかどうかは大いに疑問ではありますが。。