桜の名所になっている弘前城は、弘前駅からバスで10分ほどのところにある。この時期を選んでやって来た観光客でバスは満員状態だった。
弘前城を中心に広がる弘前は、津軽氏が270年にわたって統治した、かつての城下町である。今も城を中心に藩政時代の面影を伝える武家屋敷が残っていて、いかにも城下町といった雰囲気が立ち込める。それに、古い町並みの中にいくつか明治の洋館が残っていて、それらが町並みと溶け合って不思議な魅力を醸し出している。
城に向かう前に、私は津軽藩主の菩提寺である長勝寺をはじめとする寺々が集まる禅林街を訪れた。
高麗門を潜ると、長い参道が連なり、その左右にいくつもの寺の堂宇が立ち並んでいた。領内の寺院33カ寺をここに集めてつくられた禅林街は、この城下町の防衛のためにつくられたものと言われるだけに、いずれの寺も質実剛健の気風がみなぎっているように思われた。禅林と呼ばれる所以は、ここに集められた寺院がみな禅宗であるところから、そう呼ばれているものである。
長勝寺の三門は入母屋造りで寛永6(1629)年建立というから古い。飾り気のない剛毅な気風のみなぎる建造物だ。
門をくぐり境内に入ると、目の前に入母屋造りの本堂、右手に切妻屋根が美しい庫裡、それに鐘楼、御影堂などが立ち並ぶ。全体の雰囲気は、いかにも北国の風土に見合った、質実剛健さを漂わせている。代々の藩主の御霊を祀る霊廟は境内左手奥にあった。
ついでながら、この長勝寺とは別に、市内を南北に流れる土淵川のほとりの高台に立つ最勝院の五重の塔はぜひ訪ねたいところだ。この寺は、津軽藩統一後の戦さで戦死した、敵味方双方の将兵を慰霊するために江戸初期につくられた寺で、五重の塔は国の重要文化財になっている。
その塔は、三間五層で高さ31・2メートルあり、均整のとれた美しい姿で知られている。高台にあるだけに、ひときわ大きく見える。五重の塔の少ない東北地方でも珍しい遺構で、本州最北にある寺として一見の値がある。
弘前城を中心に広がる弘前は、津軽氏が270年にわたって統治した、かつての城下町である。今も城を中心に藩政時代の面影を伝える武家屋敷が残っていて、いかにも城下町といった雰囲気が立ち込める。それに、古い町並みの中にいくつか明治の洋館が残っていて、それらが町並みと溶け合って不思議な魅力を醸し出している。
城に向かう前に、私は津軽藩主の菩提寺である長勝寺をはじめとする寺々が集まる禅林街を訪れた。
高麗門を潜ると、長い参道が連なり、その左右にいくつもの寺の堂宇が立ち並んでいた。領内の寺院33カ寺をここに集めてつくられた禅林街は、この城下町の防衛のためにつくられたものと言われるだけに、いずれの寺も質実剛健の気風がみなぎっているように思われた。禅林と呼ばれる所以は、ここに集められた寺院がみな禅宗であるところから、そう呼ばれているものである。
長勝寺の三門は入母屋造りで寛永6(1629)年建立というから古い。飾り気のない剛毅な気風のみなぎる建造物だ。
門をくぐり境内に入ると、目の前に入母屋造りの本堂、右手に切妻屋根が美しい庫裡、それに鐘楼、御影堂などが立ち並ぶ。全体の雰囲気は、いかにも北国の風土に見合った、質実剛健さを漂わせている。代々の藩主の御霊を祀る霊廟は境内左手奥にあった。
ついでながら、この長勝寺とは別に、市内を南北に流れる土淵川のほとりの高台に立つ最勝院の五重の塔はぜひ訪ねたいところだ。この寺は、津軽藩統一後の戦さで戦死した、敵味方双方の将兵を慰霊するために江戸初期につくられた寺で、五重の塔は国の重要文化財になっている。
その塔は、三間五層で高さ31・2メートルあり、均整のとれた美しい姿で知られている。高台にあるだけに、ひときわ大きく見える。五重の塔の少ない東北地方でも珍しい遺構で、本州最北にある寺として一見の値がある。
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