恵庭開拓記念公園 です。
二口大然「二宮尊徳幼時の像」
松園(しょうえん)小学校の跡地に、開拓記念公園が作られました。
元松園校遺跡保存事業期成会が施主になります。
小田原の酒匂川はたびたび氾濫し田畑を流すため村人は各戸から一人づつ出て
堤防工事をしていた
二宮金次郎先生は12歳から病父にかわりこの役についたがまだ幼少のため一人前の
仕事ができないことを嘆きほかの働きでこれを補うことを考えた。
そこで真夜中まで「わらじ」を作り朝まっさきに工事現場へ行き自分の力不足を
補ってくれる村の人たちにお礼として「わらじ」をわたし村人が休んでいても
休まずに働いた
人々はその心掛けに感心し力を貸したという
松園校跡地記念碑
天野先生之碑
松園小学校の二代目校長として人徳があった天野伊三郎を顕彰する記念碑です。
恵庭市開拓の祖を讃える
富山県下の農民は打ち続く大洪水に塗炭の苦しみに喘いだ。明治25,6年に来矢部市
藪波村村長兜谷徳平氏は、県民百戸近くを漁村に移住せしめた。
風雪は開拓小屋を吹き抜け、ひぐまの横行する原始林に、いばらを押し分けつつ
開拓の鍬を打ち下ろし飢餓に耐えながら言語に絶する苦難を克服し耕地の拡大に
励んだ、その後、縁故入植や北陸の人々で恵庭の開拓は進められた。
氾濫を繰り返す漁川を克く利用し、開田に努め大正の末期には田畑五千町歩余を
開墾し、実り豊かな恵庭村は出現した。
「噫々その偉業何にたとうべき哉」
これらの事を後世に語り継ぐべく杉森梅次郎氏は、融資を諮り恵庭富山県人会を
創立した。それから十年、和と親睦を深めつつ今日に至る。現在恵庭市は道央の
拠点都市に発展するも、百年前を想起し開拓に心血を注いだ先人の方々に深い感謝の
誠を捧げ、ここに記念碑を建立する。
謹白
恵庭市富山県人会
会長 杉森勝義
次の彫刻
拓望の像
竹中敏弘
ん?足しかない。しかも冬囲い中?
山口県和木町との姉妹都市締結調印記念で建立した。
恵庭市政施行50周年の記念事業として改修中。
2020年10月に完成予定とのこと。
残念。完成したころに出直してきます。
恵庭開拓記念公園
北海道恵庭市南島松157-2