縄文人の反乱 日本を大事に

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●童謡・唱歌

2014年03月01日 21時13分34秒 | 色んな情報

●童謡・唱歌
◆コメント
稔幸
戦前と戦後の唱歌を比べると、例えば「海」では、♪我は海の子白波の騒ぐ磯辺の松原に〜。と♪海は広いな大きいな月は昇るし日は沈む〜。。。他にもありますが、戦後の唱歌は驚く程平易になりました。戦後の曲が悪いという意味ではなく。これも当局の指導があったのか、漢字の数を制限するなどした日本人愚民化政策の一つなのかとかなり前に思ったことがあります。

 

世照
鎮守の森は殆ど無くなったから、村の鍛冶屋も見られないから・・・などの理由付けがされたとか。無くなって知らないから教えるのではないかと抗議したことがあります。

 

Fushimi
『われは海の子』
昭和43年教科書に掲載されます。
しかし、占領下でGHQにより、歌そのものが削除。
その後、歌は復活しますが、4節以降は、軍国主義的だとして日本人みずからの手で、削除されました。
その6番 7番の歌詞です。

浪にただよう氷山(ひょうざん)も
来(きた)らば来(きた)れ恐れんや。
海まき上(あ)ぐるたつまきも
起(おこ)らば起れ驚(おどろ)かじ。

いで大船(おおふね)に乗出して
我は拾わん海の富
いで軍艦(ぐんかん)に乗組みて
我は護(まも)らん海の国
======================================
【ほたるの光】

筑紫のきわみ、みちのおく、
海山とおく、へだつとも、
その真心は、へだてなく、
ひとつに尽くせ、国のため。

千島のおくも、沖縄も、
八洲のうちの、守りなり。
至らんくにに、いさおしく。
つとめよ わがせ、つつがなく。
 
 
 
 
◆われはうみのこ 【われは海の子】
文部省唱歌。作詞作曲者とも不明。1910年(明治43)刊の「尋常小学読本唱歌」に発表。「われは海の子白浪の…」
 
◆「われは海の子」(われはうみのこ)http://p.tl/_eqX
文部省唱歌のひとつ。2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されている。
初出である1910年発行の文部省『尋常小学読本唱歌』におけるオリジナルの曲名は「われは海の子」(p.3:目次)、または「我は海の子」(p.64-67:本文 )となっている。作詞者・作曲者ともに不詳。ただし宮原晃一郎(本名、宮原知久)(1882年 - 1945年)の娘と芳賀矢一(1867年 - 1927年)の義理の娘は、それぞれ自分の父あるいは義父が作詞者だと信ずると述べた。また宮原の原作を芳賀が改作したとする説もある。
・歌詞
『尋常小学読本唱歌』所収の歌詞は以下のとおり。
一、
我は海の子白浪の
さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家なれ。
二、
生まれてしほに浴して
浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の氣を
吸ひてわらべとなりにけり。
三、
高く鼻つくいその香に
不斷の花のかをりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき樂と我は聞く。
四、
丈餘のろかい操りて
行手定めぬ浪まくら
百尋千尋海の底
遊びなれたる庭廣し。
五、
幾年こゝにきたへたる
鐵より堅きかひなあり。
吹く鹽風にみたる
はだは赤銅さながらに。
六、
浪にたゞよふ氷山も
來らば來れ恐れんや。
海まき上ぐるたつまきも
起らば起れ驚かじ。
七、
いで大船を乘出して
我は拾はん海の富。
いで軍艦に乘組みて
我は護らん海の國。  
 
『尋常小学読本唱歌』(1910年)より
 

 
◆「蛍の光」(ほたるのひかり)http://p.tl/CsRu
日本の唱歌である。原曲はスコットランド民謡 「オールド・ラング・サイン」であり、作詞は稲垣千頴による。
・タイトル
作詞時の曲名は『螢』、後に『螢の光』となった。漢字制限(当用漢字、常用漢字)により、後の正書法では「蛍の光」となる。

・経緯
オールド・ラング・サインは、ヨーロッパ中に、さらには海を越えてアメリカ大陸へも普及していった。明治10年代初頭、日本で小学唱歌集を編纂するとき、稲垣千頴が作詞した今様形式の歌詞が採用され、「蛍の光」となった。

1881年(明治14年)に尋常小学校の唱歌として小学唱歌集初編(小學唱歌集初編)に載せられた。
・歌詞
・オリジナル[編集]以下の歌詞は、小学唱歌集初編(1881年(明治14年)11月24日付)に掲載された時のものである。

 ほたるのひかり 蛍の光
1.ほたるのひかり、まどのゆき、
  ふみよむつきひ、かさねつゝ、
  いつしかとしも、すぎのとを、
  あけてぞけさは、わかれゆく。 蛍の光、窓の雪、
  書読む月日、重ねつゝ、
  何時しか年も、すぎの戸を、
  開けてぞ今朝は、別れ行く。
2.とまるもゆくも、かぎりとて、
  かたみにおもふ、ちよろづの、
  こゝろのはしを、ひとことに、
  さきくとばかり、うとうなり。 止まるも行くも、限りとて、
  互に思ふ、千萬の、
  心の端を、一言に、
  幸くと許り、歌うなり。
3.つくしのきわみ、みちのおく、
  うみやまとほく、へだつとも、
  そのまごころは、へだてなく、
  ひとつにつくせ、くにのため。 筑紫の極み、陸の奥、
  海山遠く、隔つとも、
  その眞心は、隔て無く、
  一つに尽くせ、國の為。
4.ちしまのおくも、おきなはも、
  やしまのうちの、まもりなり。
  いたらんくにに、いさをしく、
  つとめよわがせ、つゝがなく。 千島の奥も、沖繩も、
  八洲の内の、護りなり、
  至らん國に、勲しく、
  努めよ我が背、恙無く。
 
◆●赤とんぼ(童謡)http://p.tl/eKEQ
 
◆●「ずいずいずっころばし」   童謡と口承伝播   http://p.tl/DVXD
 
◆●皇紀0年●神武紀元●童謡(わざうた)(日本) http://p.tl/NT2l
 
◆●●●●●「文部省唱歌」●●●●●  http://p.tl/YkbX
 
◆●蛍の光の歌詞  http://p.tl/o9RK


【戦前の唱歌を消すのではなく、しっかり歌い継いで日本人として原点に戻るべきである。】

2014年03月01日 19時54分12秒 | 色んな情報

【戦前の唱歌を消すのではなく、しっかり歌い継いで日本人として原点に戻るべきである。】
・・・・・・・・・・・・
今の音楽の教科書を見ると戦前に教えられていた唱歌がずいぶん消されてなくなっています。それに代わって、最近の歌を教科書に掲載しています。「銀河鉄道の歌」や「翼をください」などで、中には「アリラン」という朝鮮民謡まで教えて歌っています。学校の音楽の授業というのは何でも歌えばいいものではないと思います。

戦前歌われていた唱歌を消すのは惜しいと思います。なぜならそこには日本人の魂と血があるからです。それは国を愛し、国を守り、郷土愛や情感、四季折々の季節があり、じいさんばあさん、とうさんかあさん、兄妹や友人、つまり昔の人間性豊かで、芯のある凛とした日本人がそこにあるのです。これを消すのは惜しいではないか。

戦前生まれの母さんがよく歌っていた歌、或いは、昔、ばあちゃんがよく歌っていたあの歌。これを今の日本に合わない古いものだから消すというのはおかしいのです。日本は戦後占領政策でおかしくなり、その後も今の今まで、それを受け継いだ日本人の手によって日本の形はどんどん変えられてきました。

「村祭り」という唱歌がありました。“村の鎮守の神様の~”。この歌は3番まであります。



これは昭和30年くらいには1番と2番までが教えられて、3番は消されていました。その後、「村」のない地域が出てきて、市・郡・町の単位で呼ばれるようになり、教科書では時代に合わないということで消されました。しかし、本来の教育とは昔の日本はこうであった、といって永く歌われてきた日本の歌こそ教えるのが教育であるはずです。

そこで上の「村祭り」を聞いて、あれっ、と思った方はいらっしゃいますか?
これは3番の歌詞が戦前と変わっているのです。

上にある3番の歌詞はこうです。
みのりの秋に神様の めぐみかかえる村祭り 
どんどんひゃららどんひゃらら・・
聞いても心が勇み立つ

しかし、戦前はこうです。
治まる御代に神様の めぐみあおぐや村祭り
どんどんひゃららどんひゃらら・・
聞いても心が勇み立つ

「治まる御代」というのが天皇陛下の御代というので、歌詞を変えられてしまいました。しかし、この歌はこの部分の歌詞があってはじめて日本の国柄の意味を成し、村祭りの意義が理解できるのです。天皇陛下は国民のために五穀豊穣をお祈りされています。これが日本の伝統です。日本から天皇陛下をなくしてしまえば日本ではなくなるのです。

現状の日本も歴史認識を言うと排除されるのは、戦前の日本を否定しているからであり、それを卑屈にも歌詞を変えて歌われてきた、あるいはその後消してしまう、その姿勢にこそ問題があるのです。

京免 史朗さんの写真
京免 史朗さんの写真

【戦前の唱歌を消すのではなく、しっかり歌い継いで日本人として原点に戻るべきである。】

2014年03月01日 19時49分26秒 | 色んな情報
【戦前の唱歌を消すのではなく、しっかり歌い継いで日本人として原点に戻るべきである。】
・・・・・・・・・・・・
今の音楽の教科書を見ると戦前に教えられていた唱歌がずいぶん消されてなくなっています。それに代わって、最近の歌を教科書に掲載しています。「銀河鉄道の歌」や「翼をください」などで、中には「アリラン」という朝鮮民謡まで教えて歌っています。学校の音楽の授業というのは何でも歌えばいいものではないと思います。

戦前歌われていた唱歌を消すのは惜しいと思います。なぜならそこには日本人の魂と血があるからです。それは国を愛し、国を守り、郷土愛や情感、四季折々の季節があり、じいさんばあさん、とうさんかあさん、兄妹や友人、つまり昔の人間性豊かで、芯のある凛とした日本人がそこにあるのです。これを消すのは惜しいではないか。

戦前生まれの母さんがよく歌っていた歌、或いは、昔、ばあちゃんがよく歌っていたあの歌。これを今の日本に合わない古いものだから消すというのはおかしいのです。日本は戦後占領政策でおかしくなり、その後も今の今まで、それを受け継いだ日本人の手によって日本の形はどんどん変えられてきました。

「村祭り」という唱歌がありました。“村の鎮守の神様の~”。この歌は3番まであります。



これは昭和30年くらいには1番と2番までが教えられて、3番は消されていました。その後、「村」のない地域が出てきて、市・郡・町の単位で呼ばれるようになり、教科書では時代に合わないということで消されました。しかし、本来の教育とは昔の日本はこうであった、といって永く歌われてきた日本の歌こそ教えるのが教育であるはずです。

そこで上の「村祭り」を聞いて、あれっ、と思った方はいらっしゃいますか?
これは3番の歌詞が戦前と変わっているのです。

上にある3番の歌詞はこうです。
みのりの秋に神様の めぐみかかえる村祭り 
どんどんひゃららどんひゃらら・・
聞いても心が勇み立つ

しかし、戦前はこうです。
治まる御代に神様の めぐみあおぐや村祭り
どんどんひゃららどんひゃらら・・
聞いても心が勇み立つ

「治まる御代」というのが天皇陛下の御代というので、歌詞を変えられてしまいました。しかし、この歌はこの部分の歌詞があってはじめて日本の国柄の意味を成し、村祭りの意義が理解できるのです。天皇陛下は国民のために五穀豊穣をお祈りされています。これが日本の伝統です。日本から天皇陛下をなくしてしまえば日本ではなくなるのです。

現状の日本も歴史認識を言うと排除されるのは、戦前の日本を否定しているからであり、それを卑屈にも歌詞を変えて歌われてきた、あるいはその後消してしまう、その姿勢にこそ問題があるのです。
京免 史朗さんの写真
京免 史朗さんの写真

「アンネの日記」事件は何か裏があるかも知れませんね。

2014年03月01日 19時49分26秒 | 色んな情報
「アンネの日記」事件は何か裏があるかも知れませんね。
遠藤 富貴子さん(より コピーでシェアします)

あのフィクション『杉原千畝の命のビザ問題』が教科書にまで載り
日本人に「日本政府悪玉」のイメージを浸透させた時も...

アメリカが日本に無理な要求を突きつけたい為に起こしたであろう情報戦の可能性が…。

〔再掲〕●国難の正体はグローバリズム(馬渕睦夫 渡部昇一会談)
http://www.youtube.com/watch?v=Rl7oyG4ebwk
〔後半〕28:07~

渡部昇一:(ユダヤ問題がタブー視されている)そんな中で日本人はユダヤ問題については一番胸を張って語れる国民じゃないかと思うんです。
というのはヒトラーの政権から
「(こちら)に調子を合わせたようなユダヤ人対策をやれ」と日本の当時の政府に要求があった訳です。
その時あれは昭和13年だったと思いますが五相会議で板垣誠四郎陸軍大臣が、
「日本は神武天皇の即位以来、「八紘を掩[お]ふて一宇となす(全ての民族を一家のようにやろうという精神である)」と。
即ち、「日本政府としては特定の民族を差別するわけにはいかん」と
こういう決定をしている訳ですよね。
これはね、当時としてはアメリカもイギリスもやらなかった事なのですよ。
だから船で逃げてロンドンに上陸しようとしたユダヤ人が追い返されて、アメリカに言ったら
それも追い返されて、戻ってきてアウシュビッツに。
日本では全部入れました(入国させた)からね。
満洲国境に来た二万人くらいの(ユダヤ)人は樋口季一郎が入れましたね。
入れただけではなくて、それは上(日本政府)が許可しなければダメなんで
当時の関東軍参謀長の東条英機がOKして、それから上海に送るには松岡洋右が応援して
向う(現地)でサインをした人も、
日本政府が駄目だったら入れない訳ですからね。

馬渕睦夫:そうです。そうですね。

渡部昇一:全部日本に入れた訳ですよ。

馬渕睦夫:だからああいう事はもっと、日本政府はね、本気で宣伝しなきゃいかんのじゃないかと。

渡部昇一:そうですね。

馬渕睦夫:僕一番不思議なのはね、東京裁判がねニュルンベルク裁判と対になっている訳ですよ。

渡部昇一:ニュルンベルク裁判はユダヤ人を殺した事だけが問題となっているんですがね、
日本はユダヤ人を助けた人たちがね、東条英機にしろ板垣誠四郎にしろね、死刑になっている。

馬渕睦夫:そうですよね。
(略)
渡部昇一:そういう事をむしろ知っている人は例外でしょう。
世界中にね、それを英文でドンドンドンドン
「日本人こそがユダヤ人に偏見のない唯一の民族だった」と言うべきではないかなと思うんですよ。

馬渕睦夫:おっしゃる通りです。ところが本来そうであるべきなのにむしろ逆の事がつい数十年前に起こったりしていましてね。
『杉原千畝の命のビザ問題』ですね。
杉原さん個人は一生懸命ビザを書いて救って…それは非常に頑張られたと思うのですが
その時の彼を英雄に仕立てた構図が、敢えて悪意を持って為されたものだと
それは、「日本政府はビザを出すなと言った、その命令に逆らって杉原さんは出したのだ」と。

こういうあれですね、当時流行った(流行らせた?)のは
それが<命のビザ戦法>で

私当時イスラエルにおりましてね、そんなのはオカシイと

渡部昇一:それは嘘ですよね。

馬渕睦夫:嘘なんです。
それはもう、ビザというのは、私は実務をやっていたから解かりますけど
本国政府がOKしなきゃ出せないんです。

渡部昇一:第一、日本国に入れないじゃないですか。

馬渕睦夫:入れないんですよ。
例えもしね、その様に日本が「NO」と言ったのを杉原さんが書いてビザを出したら
日本政府は当然「NO」と言いますよね。
だから杉原さんはもうそんな事は解かっているので(日本政府が)「NO」と言ってきたら出す筈がない。
(日本政府が)「YES」と言ってきたから出したのです

渡部昇一:そうです!

馬渕睦夫:ただ若干の条件があって、通過ビザでしたから最終の行先がハッキリしている事と、
それから所持品はちゃんと持っているかという事ですね。ところが所持品というのは、中々チェックがし辛いので
不十分なチェックのまま出したという事。
しかも、所持品のあまり持っていない人も日本は全部入れたんですよ。

渡部昇一:入れたんですよね。

馬渕睦夫:そうなんです。
そこは、誤解ではなくて、
『敢えて日本政府は反ユダヤだったという濡れ衣を着せる
そういう…

渡部昇一:どういう人たちですかね、あれは。。。!?

馬渕睦夫:その時に起こったのが『日米構造協議』でね。
どうも、それと関連があるんではないかと疑っています、これはもう明確な証拠は出てこないので
ただ時期的にはそうですよね。
だから何か、私は今後も注意をしなければならないのは、

何か日本に(アメリカの都合の良い条件を無理やり)呑ませる時に
そういう日本の政府の悪事(?)ですね、彼等から言わせれば悪事が出てくると。
そういう宣伝戦が、また(今後も)行われるのではないかと。

渡部昇一:確かにね、
杉原さんを盛り立てるのは人道的にいい話みたいだけれど
それがソックリ<日本政府の批判>になるんですね。

馬渕睦夫:そうなんです!
そこが、問題なんですね。

渡部昇一:問題ですね。
非常に悪辣な。

馬渕睦夫:悪辣です、ええ。だと思います。
先生がおっしゃる様に他にもビザを出した人はいる訳ですね、
それは当たり前なのです。
日本政府が「OK」と言って全世界に訓令を打っている訳ですからね。

渡部昇一:そうですね。

馬渕睦夫:だから、何故彼だけが取り上げられて、
しかも嘘で “日本政府が出すなと言った” のに命を懸けてやったという、
そういうフィクションを造らななければならなかったのか?!

渡部昇一:そうです、そうして帰ってきたらクビになったとかね。

馬渕睦夫:あれも嘘ですよ。

渡部昇一:嘘ですね。

馬渕睦夫:辞められたのはその通りですが、
別にビザを出したが故にクビになったのではなくて
人員整理の一環として

渡部昇一:大使館が要らなくなったのですからね。

馬渕睦夫:はい、外務省がほとんどいらなくなったんです

渡部昇一:そうなんです。外地の高官が何も要らなくなった訳ですからね(笑)

馬渕睦夫:(笑)ですから、その一環で、人員整理の一環でお辞めになったので
それは退職金も支払われ、年金も貰っておられるんですね
だから、
どう考えてもあれは、フィクションなんです。
日本政府を悪者にしなければならない何かの理由が…

渡部昇一:勢力ですよね。

馬渕睦夫:勢力です、
だからそれを私はこの『国難の正体』でハッキリしたかったのですね。
それが日本のメディア等を使って巧妙に圧力がかかる。

渡部昇一:なるほどね

馬渕睦夫:という事ですね。
要するにマインドコントロールされてしまう。
だから多くの人が杉原さんというのは本国政府の命令に逆らってビザを発給したと信じているんですよ。
学校の教科書にもなりましたからね。

渡部昇一:うん

(つづきは日本をミスリードし続けるマスコミの実体について動画をご覧ください。

●シノ

2014年03月01日 19時32分30秒 | 色んな情報

●シノ
◆シノ   土木用語辞典  http://p.tl/ZnDF
長さ35cm程度のワイヤー通しの道具、とび職専用具。
http://p.tl/VTcg
 
◆志野   陶芸用語大辞典
読み方:シノ
美濃(岐阜県土岐市・多治見市・可児市付近)で焼かれる、白い半透明の長石釉を厚く施した陶器の総称。特徴は、白色の粗い素地に、白色の粗い素地に、白い長石釉がたっぷりと掛かり、釉調がしっとりして、きわめて日本的なやきもの。焼成温度や雰囲気により黒色、赤色、鼠色、褐色などに発色する。志野のやきものには多く大平や大萱で、採れた「もぐさ土」が使われた。もぐさ土は成形は難しいが、焼き上がるとざっくりしたヴォリューム感がある柔らかく軽い志野焼となる。
 
◆篠   植物名辞典
読み方:シノ
イネ科タケササ類の小形の竹の総称
----------
・篠
読み方:シノ
メダケの別称。
イネ科の常緑竹、園芸植物
学名 Pleioblastus simoni
 
◆シノ   隠語大辞典
読み方:しの
忍ヒ入ルコトヲ云フ。〔第一類 言語及ヒ動作之部・島根県〕
分類 島根県
 

 
◆シノワゼ お菓子の辞典
・シノワで漉して、不純物を取り除くこと。
 
◆シノワ 1 2 [(フランス) chinois]
西洋料理で使う漉し器の一。逆円錐形をしており、スープ・ソースなどを漉す。


●人形辞典

2014年03月01日 18時39分29秒 | 色んな情報

●人形辞典
◆きぬえはごいた〔絹絵羽子板〕  人形辞典
布張りの羽子板に絵を描いたもの。
羽子板形の絹などの布地に絵を描いて貼り付けた羽子板の総称。
 
◆羽子板の由来  人形辞典
正月の羽根つき遊びは室町時代から行われた。単なる遊びではなく正月を祝う心もあったからだろう。当時、羽子板を胡鬼板ともいい、羽根を胡鬼子ともいった。昔の羽根も今日の羽根とだいたい変わらない。
羽子板には初めは絵具で左義長(正月が終って門松などを焼く宮中の行事)を描いたが、江戸時代から歌舞伎の俳優を押絵で作って板にはったものが流行し、年の暮の羽子板市は大変な賑わいだった。羽子板も、雛人形、五月人形などと同様、年末に市内のあちこちに立つ市で売られていたが、明治の終りごろからデパートでも年末商品として取り扱うようになった。大正の頃から、焼ゴテで板に線を描いて彩色した焼き絵羽子板や、絹を張ってそれに絵を描く絹絵羽子板など新しい形のものも生まれた。
 

 
◆ちりめん  【縮】
(1)一面に細かなしぼを出した絹織物。たて・よこともに生糸を用い、よこに右撚(よ)りと左撚りの強撚糸(きようねんし)を交互に織り込んで平織にした後、ソーダをまぜた石鹸(せつけん)液で煮沸して縮ませたもの。
(2)「ちりめんじわ」の略。
「縮緬」に似た言葉» 類語の一覧を見るクレープ
 
◆縮緬   歴史民俗用語辞典
読み方:チリメン
縮織の一。
 
◆ちりめん〔縮緬〕  人形辞典
よりの弱い経糸とよりの強いヨコ糸を使用して織ったあと、さらに加工したちぢれた感じの織物のこと。
 
◆縮緬   伝統的工芸品用語集
読み方:ちりめん
布地一面にしぼのある絹織物。しぼの大きさにより、一越縮緬、二越縮緬、三越縮緬、鬼縮緬などがあります。一越より二越の方がしぼが大きく、鬼縮緬は三越より大きなしぼのものです。着尺地、羽尺地、コート地、帯地、衿地、帯揚げ地、襦袢地など幅広く使われています。
 
◆縮緬
読み方:ちりめん
1.老人のこと。顔に細かき縮緬皺あれば之に喩へていふ。品位ある四十才前後の夫人などに用ゐらる。
2.老人の事を云ふ。
3.老婆のこと。皺のよつてゐるところより、これと反対に縮緬のことを「ばあちやん」といふ。
4.老婆のこと。皺のよっていることより。これと反対に「縮緬」のことを「ばあちゃん」という。
分類   学生、東京
----------
・縮緬
読み方:ちりめん
1.年増女のことをいふ。額面に縮緬皺が出来て居るから名づけたのである。〔情事語〕
2.顔に縮緬皺の出来てる年増女。〔花柳界〕
3.年増女のことをいふ。顔面に縮緬皺が出来て居るから名づけたのである。
4.〔隠〕年増女の事。顔にちりめん皺が出来てくるから。
5.年増女のことをいふ。顔にちりめん皺が出来てゐるのでいふ。
6.隠語。年増女のことをいふ。顔面に縮緬皺が出来てゐるから名づけたものである。
7.年増女のこと、顔にちりめんのような皺ができてくるの意。
8.年増女。皺の多いところから。〔盗〕
分類   情事語、盗/犯罪、花柳界
 
◆ちりめん(縮緬、クレープ織り、仏: crêpe)は、絹を平織りにして作った織物。
縦糸にはほとんど撚りのない糸を使い、横糸に強い撚りをかけた右より(右回りにねじる)と左より(左回りにねじる)の糸を交互に織ったものである。そのため精練すると布が縮み生地の表面にしぼ(凹凸)が現れる。主に高級な呉服や風呂敷に使われる。主なものに、京都府丹後地方の丹後ちりめん、滋賀県長浜市の浜ちりめんがある。現在、京都府丹後地方では原料の糸を絹から綿・化合繊に変えた丹後ちりめんも織られている。

絹・レーヨンで織られたちりめんは、水に付けると縮むので水分を避けること。ポリエステルで織られたちりめんは、水に付けても縮まない。

テレビドラマ『水戸黄門』にて、主人公水戸光圀は「越後の縮緬問屋の隠居で光右衛門」と名乗っている。 しかしながら越後にちりめん問屋は存在せず、麻で作られるちぢみと間違えたのではないかと思われる。
 

 
◆せいれん  【精練】
(名)スル
(1)十分に練習すること。よく鍛えること。
「―された選手」
(2)天然繊維を酸やアルカリの水溶液・熱水・石鹸(せつけん)液などで処理し、繊維に含まれる脂肪などの夾雑物を除去すること。
 

 
◆せっさ-たくま  【切磋琢磨】
(名)スル
〔「琢磨」は玉や石を細工しみがく、の意〕「切磋」に同じ。
「たがいに―して学問に励む」


●しかん

2014年03月01日 17時57分49秒 | 色んな情報

●しかん
◆しかん  【子癇】
妊娠中毒症の最重症型。全身の痙攣(けいれん)発作と意識消失が主な症状で、多くは分娩時に起こる。高度のタンパク尿・浮腫(ふしゆ)・高血圧の症状のみられる高年初産婦に多い。
 
◆子癇 (しかん) 妊娠・子育て用語辞典
妊娠高血圧症候群によって起こった妊産婦の意識消失やけいれん発作をいいます。そのほとんどは妊娠末期に起こり、この場合、死亡することも少なくありません。妊娠高血圧症候群を予防すること、また悪化させないことが何より重要になります。
 
◆子癇(しかん、ラテン語: Eclampsia)http://p.tl/eSoP
周産期に妊婦または褥婦が異常な高血圧と共に痙攣または意識喪失、視野障害を起こした状態である。分娩前にも分娩中にも産褥期にも起こりうる。
子癇の本質は高血圧にともなう脳組織の循環障害と機能障害であり、非妊娠個体においても痙攣や意識障害などの中枢神経症状として発症する高血圧脳症(高血圧クリーゼ)の類縁疾患である。妊娠に伴って発症した高血圧疾患を妊娠高血圧症候群といい、単に高血圧を伴う場合(妊娠高血圧)と、高血圧蛋白尿が合併した状態(妊娠高血圧腎症)に分類されるが、子癇発生のリスクは妊娠高血圧腎症の方が高い。なお、妊娠高血圧腎症は英語ではpreeclampsiaとされ、その直訳は「子癇前症」になり、ときおりその訳語が内科領域などで使用されることがある。しかし、2005年に日本産科婦人科学会で正式に採択された妊娠高血圧症候群の定義分類では、「子癇前症」の呼称は「子癇の切迫した症状」と混同される可能性があるとの理由から敢えて用いず、「妊娠高血圧腎症」との病名が選択された。なお、もともと高血圧を持っていた妊婦が妊娠中に蛋白尿を伴った場合や、腎疾患にて蛋白尿を持っていた妊婦が妊娠中に高血圧を伴う場合を合わせて「加重型妊娠高血圧腎症(preeclampsia superimposed chronic hypertension and/or renal diseases)」と言い、やはり子癇発生リスクが高い状態と考えられる。
 

 
◆しかん  【仕官】
(名)スル
(1)官に仕えること。役人になること。
「太政官(だじようかん)に―する」
(2)浪人中の武士が召し抱えられて大名などに仕えること。
----------
・しかん  【士官】
(1)軍隊で、佐官・尉官の総称。
(2)高級船員の通称。
----------
・しかん  【子癇】
妊娠中毒症の最重症型。全身の痙攣(けいれん)発作と意識消失が主な症状で、多くは分娩時に起こる。高度のタンパク尿・浮腫(ふしゆ)・高血圧の症状のみられる高年初産婦に多い。
----------
・しかん  【支干】
十二支と十干(じつかん)。干支(かんし)。
----------
・しかん  【支間】
橋脚と橋台、また橋脚と橋脚の距離。スパン。
----------
・しかん 【支管】
ガス管・水道管などの、本管から分かれた細い管。
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・しかん  【止観】
〔仏〕
(1)天台宗の根本的な修行である瞑想法。心を静め、智慧のはたらきによって宗教的イメージや真理を心の中に出現させ、感得すること。
(2)「摩訶止観(まかしかん)」の略。
(3)天台宗の別名。止観宗。
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・しかん 【史官】
歴史を記録し、編纂(へんさん)する官。特に、古代中国で、世襲的にその職にあった人。また、その家。
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・しかん  【史観】
歴史を解釈する基本となる考えや態度。歴史観。
「唯物―」
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・しかん  【弛緩】
(名)スル
ゆるむこと。たるむこと。
「筋肉が―する」「精神が―した気味に見えた/門(漱石)」
〔「ちかん」は慣用読み〕
 
◆弛緩   実用日本語表現辞典
読み方:しかん
たるんだようになって緩むこと。緊張していたものの緊張がゆるむこと、緊張がほぐれるさまなどを指す表現。
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・趾間
読み方:しかん
足の指と指の間。指の付け根の部分。水虫のタイプに「趾間型」というのがあり、水虫の中ではポピュラーな部位。
 
◆しかん 【史官】世界宗教用語大事典
中国で文書・記録を扱った官吏。単に史とも。うち祝・宗・巫は宗教職、卜・筮は占い職だった。
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・しかん 【祠官】
神職(神主)のこと。明治初年、府県郷社の神職を祠官、村社のそれを祠掌とも呼んだ。→ 神主
 
◆歯冠(しかん)   歯科用語
歯ぐきから出ている歯の部分。
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・歯間(しかん)
歯と歯のすきまのこと。
 
◆しかん   隠語大辞典
1.看守。〔第二類 人物風俗〕
2.看守。〔掏摸〕
分類    掏摸
 
◆紙管   紙器関係専門用語辞典
紙器の一種。
薄手のボール紙を巻き付ける形で形成される筒状のパッケージ。 解りやすい例を挙げると、卒業証書を入れる紙製の筒も紙管である。
リサイクルが容易な紙管パッケージは、近年クッキーなどの洋菓子の包装容器としても利用されることが多くなってきている。
 
◆紙管(しかん)http://p.tl/tDtz
紙でできた管。主に紙、繊維、フィルム等を巻く為の軸として使用される。
また、容器として用いられることもある。
再生紙で作られるものが多い。家具や建築の材料として使用されるものもある。紙筒ともいう。
・用途
・巻芯
ラップフィルム、粘着テープ、壁紙、障子紙、繊維などの巻芯として用いられる。巻芯として用いられるものの中には、紙管の表面に緩衝材で加工を施しているものもある。

・容器
ポスター、設計図、カレンダーなどの紙製品を丸め、紙管の内部に収めて容器としても用いられる。底が塞がった蓋付きのものもあり、卒業証書用の丸筒などとして用いられているほか、大型のものは菓子などを詰める容器としても用いられている。


◆ゆんたく   沖縄大百科

2014年03月01日 17時16分03秒 | 色んな情報

◆ゆんたく   沖縄大百科
方言で、「おしゃべり」の意味。おしゃべりな人は、「ゆんたー」とか「ゆんたくー」という。
 

 
◆しゃべり  【喋り】
しゃべること。また、口数の多いこと。おしゃべり。しゃべくり。
「しゃべり手」
 

 
●おしゃべり  【御喋り】
(名)スル
人と気軽な話をすること。雑談。
「道端で―する」
(名・形動)
口数の多いこと。口が軽いさま。また、そのような人をもいう。
「あの―にも困ったものだ」「―な娘」
 
◆ほうげん 【方言】
(1)一国語が地域によって異なる発達をし、音韻・語彙(ごい)・語法の上でいくつかの言語集団に分かれる時、それぞれの集団の言語体系をさす。
(2)ある限られた地域に使われる、共通語とは異なる語彙・発音・語法。なまり。俚言(りげん)。
→共通語
(3)ある階級・社会・仲間に用いられる言葉。隠語。
(4)「揚子(ようし)方言」の略。
「方言」に似た言葉»    訛音  訛り
 
◆方言   人口統計学辞書
人口は、日常話されている言語 1または方言 2によって分類できる。個人の幼年時代にその家庭で話されていた言葉の母国語 3と、その個人が日常的に用いる言語である慣用語 4とは区別される。二言語併用の 5または多言語併用の 5国の人々の間では、この区別はつけがたい。これらの問題についての情報を提供する統計を、言語統計 6という。
1. 言語language(名);言語(学)のlinguistic(形)。
言語学linguistics(名):言語と人間の話し言葉の特性、構造、起源、意味を研究する学問。
2. 方言dialect(名);方言のdialectal(形):方言は、その発音、文法または語彙のパターンが標準語とは特徴的に異なる言語である。
5. 二言語併用のbilingual(形);二言語併用bilingualism(名)。
 
◆方言(ほうげん)http://p.tl/dNls
ある一定の地域で使われる口頭言語(音声言語)のこと。
文字言語がほぼ共通している地域内で、文法は同じであっても単語や発音・アクセント・イントネーションが異なる地方の言語を言う。
地域人口の集中程度により同一方言が形成されるが、隣接地域に人の交流が多い場合は方言に明確な区分はない。
また、離れた地域間ではほとんど会話が通じないことがある。その場合は共通語が使用されることがある。
 

 
◆なまり  【訛り】
標準語・共通語とは異なる、ある地方に特有の発音。
「お国―」
» (成句)訛りは国の手形
 
◆かいん 【訛音】
⇒かおん(訛音)
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・かおん 【訛音】
なまった発音。かいん。


●ろっかん

2014年03月01日 16時37分12秒 | 色んな情報

●ろっかん
◆ろっかん 【六感】
「第六感(だいろつかん)」に同じ。
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・ろっかん 【六官】
⇒りくかん(六官)
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・ろっかん 【肋間】
あばら骨の間。肋骨と肋骨の間。
「六感」に似た言葉»   霊感  発想  インスピレーション  神来  直感
 

 
◆ちょっかん 【直感】
(名)スル
推理・考察などによらず、感覚的に物事を瞬時に感じとること。
「―で答える」「父の身に何か起こったことを―した」
 
◆直観(ちょっかん、Intuition)http://p.tl/KjSS
知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式である。
推理などによらず物事を感じ捉えること。
また直観は、合理的かつ分析的な思考の結果に概念化された知識の実体が論理的に介在する(すなわち思考や、概念という仲介物が知識の持ち主と対象の間に論理的に置かれる)ようなすべての知識の形式、とは異なっている。

パースの言うアブダクションという仮説形成の操作にも直観作業が用いられている、と考えられている。この場合、経験や知識と前提への理解が無意識に落とし込められるほど強い場合、意識せずとも正しい認識に至ること。

アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説において説明される、内臓感覚としての情報の展開・操作・認識も直観の一部と言える。

直観は本能とは異なっている。本能は必ずしも経験的な要素を必要としない。直観的な基礎による見解を持つ人間は、その見解に至った理由を即座に完全には説明できないかもしれない。しかしながら、人間は時間をかければ、その直観が有効である理由をより組織化して説明するべく論理の繋がりを構築することで、直観を合理的に説明できることもある。

なお、日本語の直観(ちょっかん)は、仏教用語のप्रज्ञा(プラジュニャー、般若)の訳語の一つである直観智に由来する。直観智は分析的な理解である分別智に対する直接的かつ本質的な理解を指し、無分別智とも呼ばれる。

また、整理整頓などでも洞察力や判断力よりも直観を必要とされることが多い。
 

 
◆ちょっかく 【直覚】
(名)スル
推理などによらず、直接に感じて知ること。直観的にわかること。
「幻のやうに浮かんだ幸福の影を、無意識に―しつつも/雁(鴎外)」


●ざとう

2014年03月01日 15時59分53秒 | 色んな情報

●ざとう
◆ざとう  【座頭】
(1)中世・近世、僧形の盲人で、琵琶(びわ)・琴などを弾いたり、また按摩(あんま)・鍼(はり)などを職業とした者の総称。
(2)盲官の一。当道所属の盲人の最下位の位階。検校・勾当の下。
→当道(2)
(3)盲人。
(4)一座の長。商工業・芸能などの長。
 
◆ざとう 【座頭】世界宗教用語大事典
当道座(盲人を保護管理する組織)に属する剃髪の盲人で、中世には琵琶法師の通称。→ 琵琶法師
 
◆ザトウ   隠語大辞典
読み方:ざとう
密室ヘ入タコトヲ云フ。〔第一類 言語及ヒ動作之部・宮城県〕
分類 宮城県
 

 
◆とうどう たうだう  【当道】
(1)この道。自分の学ぶ道。
「夫れ―の郢曲は、幼童の口にすさみ/撰要目録」
(2)中世以降、平曲・三弦・箏曲・鍼灸(しんきゆう)・按摩などに携わる盲人(男性)により組織された職能団体。光孝天皇の皇子、雨夜尊(あまよのみこと)を祖神とする。所属する盲人に検校・勾当などの盲官位階を授与した。1871年(明治4)廃止。当道座。
 
◆当道   歴史民俗用語辞典
読み方:トウドウ(toudou)
(1)盲人の官位をつかさどり、その職業などを保護する制度。
(2)自分の歩み学ぶ道。
 
◆(当道 から転送) http://p.tl/jSG7
  当道座(とうどうざ)とは、中世から近世にかけて存在した男性盲人の自治的互助組織
 

 
◆●おてんとさん● http://p.tl/TOGN
☆『◇おてんとさん 勝 新太郎 座頭市の挿入歌』 http://amba.to/OZwaGM
 
◆●凍り豆腐   ●高野聖    http://p.tl/R5X4
隠れ座頭の語源は隠れ里ともいわれるが、これは隠れ座頭が広く奥羽・関東に渡って巌窟の奥に住む妖怪と信じられ、常人の目に見えない巌窟などの住民と考えられたこと
 
◆座頭市 知っているかな    http://p.tl/bgpX
 
◆『座頭市と用心棒』~ホントのスターって凄い! 2009/10/12(月)    http://p.tl/FHTw
 
◆座頭 - Wikipedia  http://p.tl/hVXP
江戸期における盲人の階級の一つ。またこれより転じて按摩、鍼灸、 琵琶法師などへの呼びかけとしても用いられた。今日のような社会保障制度が整備され ていなかった江戸時代、幕府は障害者保護政策として職能組合「座」(一種のギルド)を 基
 
◆座頭市 - Wikipedia http://p.tl/FHTO
兇状持ちで盲目の侠客である座頭の市が、諸国を旅しながら 驚異的な抜刀術で悪人と対峙する、アクション時代劇。 1962年に勝新太郎主演で大映 によって映画化されて以来、26作品というシリーズが公開されている。


●しるべ

2014年03月01日 15時32分21秒 | 色んな情報

●しるべ
◆しるべ  【導/標】
〔「知る辺」の意〕
(1)道の案内をすること。また、その人。
「道―」「歌妓(ねこ)は箱持(はこや)の―に属(つき)/安愚楽鍋(魯文)」
(2)助け導くこと。手引き。案内。
「―する物の音につけてなむ、思ひ出でらるべかりける/源氏(橋姫)」
・しるべ  【知る辺】
知り合い。縁のある人。
「―を頼って上京する」
「導」に似た言葉»    道案内
 
◆知る辺   実用日本語表現辞典
読み方:しるべ
別表記:知辺
知り合いを意味する表現。なお、梅の品種には「道知辺」(みしちるべ)という名の種がある。
 
◆知辺   隠語大辞典
読み方:しるべ
1.犯罪ノ教唆、又ハ犯罪適当ノ場所ニ誘導案内スルヲ云フ。〔第三類 犯罪行為〕
2.犯罪の教唆。又は犯罪をなすに適当なる場所へ案内する事を云ふ。
 
◆姓   読み方
 標   しるべ
 

 
◆みちあんない  【道案内】
(名)スル
(1)道順などを教えるために先に立って歩くこと。また、その人。
(2)道順を示す、簡略な地図・貼り紙・看板など。道標。みちしるべ。
「道案内」に似た言葉»    オリエンテーション  引回し  操舵  舵取り  引き回し
 
◆ひきまわし  【引(き)回し】
(1)引き回すこと。
(2)あれこれ人を指導し、世話をすること。
「よろしくお―の程お願いいたします」
(3)江戸時代、打ち首以上の重罪に付加した刑。処刑前に、罪人を馬に乗せ、罪状を書いて、府内・犯罪地、その住所などを引き回して見せしめとしたこと。
(4)木綿製の丸合羽(ガツパ)。また、インバネス。
(5)のこぎりの一。板を曲線状に切るときに使う。肉厚で幅が狭く、先が細くなっているもの。


●抜け駆け

2014年03月01日 15時00分12秒 | 色んな情報

●抜け駆け
◆ぬけがけ  【抜け駆け】
(名)スル
(1)〔(2)の意から〕他の人を出し抜いて自分だけ先に物事をすること。
「一人だけ―する」
(2)戦功を上げようと、陣を抜け出して他の者より先に敵陣へ攻め入ること。
「功をあせって―する」
≫ (成句)抜け駆けの功名
「抜け駆け」に似た言葉≫    先制  先回り  出し抜く  先んじる  先んずる
 
◆さきまわり  【先回り】
(名)スル
(1)(近道などをとって)他人よりも先に目的地に到着すること。
「―して駅で待つ」
(2)他人をだしぬいて先に事をなすこと。
 
◆だしぬ・く  【出し抜く】
(動カ五[四])
他人の油断につけこんだり、相手をだましたりして、人より先に物事をする。
「同業者に―・かれる」
[可能] だしぬける
 
◆さきん・じる  【先んじる】
(動ザ上一)
〔サ変動詞「先んずる」の上一段化〕「先んずる」に同じ。
「人に―・じる」
 
◆さきん・ずる  【先んずる】
(動サ変)[文]サ変 さきん・ず
〔「先にする」の転〕他人よりも先に事を行う。さきんじる。
「人より一歩―・ずる」
≫ (成句)先んずれば人を制す
 
◆さいだ・つ 【先立つ】
〔「さきだつ」の転〕
1.(動タ四)
先に行く。先行する。
「これが送りせよとて、―・ちていでにければ/蜻蛉(中)」
2.(動タ下二)
先に行かせる。先行させる。
「人はみなおくらかし、―・てなどして/蜻蛉(中)」
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・さきだ・つ  【先立つ】
1.(動タ五[四])
(1)人の前に立って進む。先頭に立つ。先に行く。
「衆に―・つ」「―・ちし人々、いとよくやすみ涼みて/蜻蛉(中)」
(2)ある事より前に起こる、または行われる。
「試合に―・って開会式が行われた」
(3)親や配偶者などより先に死ぬ。
「親に―・つ不孝」「夫に―・たれる」
(4)ある事をするのに、まず最初に必要である。最も重要である。
「―・つ物は金(かね)だ」
2.(動タ下二)
⇒さきだてる


●今日は何の日 3月1日 満州国建国宣言(1932年)

2014年03月01日 13時45分45秒 | 色んな情報

●今日は何の日 3月1日 満州国建国宣言(1932年)
◆満州国 http://p.tl/QQxH(まんしゅうこく、旧字体: 滿洲國、英語: Manchukuo、拼音: Mǎnzhōu Guó)
1932年から1945年の間、満州(現在の中国東北部)に存在した国家。
帝政移行後は「大満州帝国(大滿洲帝國)」あるいは「満州帝国」などとも呼ばれていた。

日本(朝鮮、関東州)および中華民国、ソビエト連邦、モンゴル人民共和国、蒙古聯合自治政府(後に蒙古自治邦政府と改称)と国境を接していた。
 
◆まんしゅう-こく 【満州国】
日本が満州事変によって占領した中国東北部(現在の黒竜江省・吉林省・遼寧省・内モンゴル自治区北東部)につくりあげた傀儡(かいらい)国家。1932年(昭和7)、もと清朝の宣統帝溥儀(ふぎ)を執政に迎え(34年には皇帝)、中華民国から分離させて建国。首都は新京(長春)。翌年熱河省も加えた。政府の要職には満州人を起用したが、事実上は日本人官吏および関東軍の指導下にあった。45年8月、日本の第二次世界大戦敗北とともに消滅。
 
◆まんしゅう-じへん【満州事変】
1931年(昭和6)9月18日、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で満鉄線路の爆破事件を契機として始まった日本軍の中国東北への侵略戦争。若槻内閣は不拡大方針をとったが、関東軍は東北三省を占領。翌年、「満州国」を樹立し、以後15年に及ぶ日中戦争の発端となった。
 
◆満州事変 http://p.tl/mAaY(まんしゅうじへん、旧字体: 滿洲事變、英:Mukden Incident, Manchurian Incident)
1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍(満洲駐留の大日本帝国陸軍の軍)が南満州鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件[注釈 1])に端を発し、関東軍による満州(現中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。通常「満州事変」と表記されることが多いが、元もと「満州」は「満洲」と表記されていた。「州」と「洲」は新旧漢字の関係ではなく別文字なので、「満洲」が正しいとして、研究者を中心に「満洲」と表記する人も増えている。中国側の呼称は九一八事変。
関東軍はわずか5ヶ月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。

この軍事衝突を境に、中国東北部を占領する関東軍と現地の抗日運動との衝突が徐々に激化した。満洲国の建国により中国市場に関心を持つアメリカら他の列強との対立も深刻化した。
 
◆柳条湖事件 http://p.tl/YFuz(りゅうじょうこじけん、英語: Liutiaohu Incident)
関東軍の謀略によって起こった、満州事変の発端となる鉄道爆破事件[1]。

1931年(昭和6年、民国20年)9月18日、満州(現在の中国東北部)の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である[2]。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用した。

事件名は発生地の「柳条湖」に由来するが、長いあいだ「柳条溝事件」(りゅうじょうこうじけん、Liutiaogou Incident)とも称されてきた(詳細は「事件名称について」節を参照)。なお、発生段階の事件名称としては「柳条湖(溝)事件」のほか「奉天事件」「9・18事件」があるが、その後の展開も含めた戦争全体の名称としては「満州事変」が広く用いられている。