縄文人の反乱 日本を大事に

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●今日は何の日 3月1日 満州国建国宣言(1932年)

2014年03月01日 13時45分45秒 | 色んな情報

●今日は何の日 3月1日 満州国建国宣言(1932年)
◆満州国 http://p.tl/QQxH(まんしゅうこく、旧字体: 滿洲國、英語: Manchukuo、拼音: Mǎnzhōu Guó)
1932年から1945年の間、満州(現在の中国東北部)に存在した国家。
帝政移行後は「大満州帝国(大滿洲帝國)」あるいは「満州帝国」などとも呼ばれていた。

日本(朝鮮、関東州)および中華民国、ソビエト連邦、モンゴル人民共和国、蒙古聯合自治政府(後に蒙古自治邦政府と改称)と国境を接していた。
 
◆まんしゅう-こく 【満州国】
日本が満州事変によって占領した中国東北部(現在の黒竜江省・吉林省・遼寧省・内モンゴル自治区北東部)につくりあげた傀儡(かいらい)国家。1932年(昭和7)、もと清朝の宣統帝溥儀(ふぎ)を執政に迎え(34年には皇帝)、中華民国から分離させて建国。首都は新京(長春)。翌年熱河省も加えた。政府の要職には満州人を起用したが、事実上は日本人官吏および関東軍の指導下にあった。45年8月、日本の第二次世界大戦敗北とともに消滅。
 
◆まんしゅう-じへん【満州事変】
1931年(昭和6)9月18日、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で満鉄線路の爆破事件を契機として始まった日本軍の中国東北への侵略戦争。若槻内閣は不拡大方針をとったが、関東軍は東北三省を占領。翌年、「満州国」を樹立し、以後15年に及ぶ日中戦争の発端となった。
 
◆満州事変 http://p.tl/mAaY(まんしゅうじへん、旧字体: 滿洲事變、英:Mukden Incident, Manchurian Incident)
1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍(満洲駐留の大日本帝国陸軍の軍)が南満州鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件[注釈 1])に端を発し、関東軍による満州(現中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。通常「満州事変」と表記されることが多いが、元もと「満州」は「満洲」と表記されていた。「州」と「洲」は新旧漢字の関係ではなく別文字なので、「満洲」が正しいとして、研究者を中心に「満洲」と表記する人も増えている。中国側の呼称は九一八事変。
関東軍はわずか5ヶ月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。

この軍事衝突を境に、中国東北部を占領する関東軍と現地の抗日運動との衝突が徐々に激化した。満洲国の建国により中国市場に関心を持つアメリカら他の列強との対立も深刻化した。
 
◆柳条湖事件 http://p.tl/YFuz(りゅうじょうこじけん、英語: Liutiaohu Incident)
関東軍の謀略によって起こった、満州事変の発端となる鉄道爆破事件[1]。

1931年(昭和6年、民国20年)9月18日、満州(現在の中国東北部)の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である[2]。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用した。

事件名は発生地の「柳条湖」に由来するが、長いあいだ「柳条溝事件」(りゅうじょうこうじけん、Liutiaogou Incident)とも称されてきた(詳細は「事件名称について」節を参照)。なお、発生段階の事件名称としては「柳条湖(溝)事件」のほか「奉天事件」「9・18事件」があるが、その後の展開も含めた戦争全体の名称としては「満州事変」が広く用いられている。


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