東京は昨日まで、ずっと雨だったのに、
完璧なほど気持ちのよい梅雨晴れ。
すっかり油断してしまい、たっぷりと日焼けしてしまった。
ここ1ヶ月ほど、応援団の練習に明け暮れ
朝早くから学校に出かけ、今までに見たことがないぐらい
気合が入っていた。
「最後の体育祭だから見に行く~!」と言っていたのだが
いつもそっけなく却下されていた。
「もう高校生なんだから、見に来る親なんかいないよ。
来なくていいから!」と。
仕方ないのでひとまず諦め(るフリをし)ていた。
それなのに、今週に入って急に
「やっぱり応援団を見に来てほしい、高校生活最後だから!」
という。
もちろん、友人のお母さんから数日前に
一緒に行かない?とお誘いのメールが来た時には
「行く行く~!」と速攻で返信した。
こっそり見に行くつもりでスケジュールを調整していたから、
本人からの要請に“待ってました!”というカンジである。
願っていれば、あるいは自分の中で決めてしまえば
こんなふうに最終的にあちらの方から
やってきたりするものである。
何事もメゲずに、明るく考えておくと
結果的にすべてがうまく納まったりするのだ。
****************************
思い返してみると、
一番最初に保育園の運動会に見に行ったのが
15年前だった。
雨の日、体育館での開催だったが、
心細そうにずっとベソをかいていた。
よほど不安だったのか、指しゃぶりを通り越し、
2つの手のひらを口の中に突っ込んで
ずっとたたずんでいた。
小さな口の中に、そんなに手を突っ込んだら
むせちゃうんじゃないの?というほど
両手がすっぽりと入っていた。
徒競走も、先生にだっこされて
泣きながらのゴールだった。
そんな姿がまるでついこの間だったのに、
いつの間にかあれから15年の歳月が流れていたのだと、
学校に向かう道すがら、懐かしく思い出していた。
校庭に到着すると、
いつものアップルパイのメンバーが
「あ!こんにちは!」と元気よく挨拶してくれたり、
遠くから手を振ってくれる。
「オレ、活躍するからバッチリ見ててくださいね!」と
言われると、やっぱりウレシイ
****************************
大声を出して、声援を送る。
リレーで抜かされて、チームが敗退し
泣き崩れる子には男女問わず近寄っていて慰める。
騎馬戦で最後まで勝ち残ったら、
みんなで駆け寄ってハイタッチで祝福する。
今どきの東京の高校生の風体だけれど
すごくピュアで、
喜んだり、泣いたり、跳ねたり、飛び上がったり
全身を使って表現をしている姿が輝いていた。
そして帰ってきてから
「どうだった?オレの舞。みんなカッコよかったでしょ!」と
満足げな笑顔は、達成感に満ち溢れていた。
****************************
私もそんな時代があったこと、
すっかり忘れていた。
妙に大人になろうと必死になっていた。
いい人間に、崇高な自分に、
弱点を克服しなきゃ、と
知らずのうちに
自分を高めようとしながら
どこかでムリをしている気がする。
いつまでも甘えてちゃいけない。
大人にならなきゃ、と自分を戒めてみたり。
だけど…。
あんまり、そんなに急がなくっていいか。
あんまり、理想の自分に近づけようとして
心に嘘をついたり、ごまかしてみたり
別の言い訳を考えたりして、
なんとか事態をうまく運ばせようと努力しなくてもいいか。
あせるとロクなコトないし。
無理強いもかえって遠回りだし。
****************************
それにしても、
楽しい一日だった
(平日でホントによかった。土日はずっと
予定が入ってるもん。感謝です。)
15回目の体育祭はすっかり精悍な勇者のような
青年へと変容しつつある手ごたえを感じることができた。
そして元気いっぱいな子ども達の姿に
またまたパワーをもらって、すごく幸せ
きっとこれで、
6月のスクランブルもたくましく渡りきれそうである。
完璧なほど気持ちのよい梅雨晴れ。
すっかり油断してしまい、たっぷりと日焼けしてしまった。
ここ1ヶ月ほど、応援団の練習に明け暮れ
朝早くから学校に出かけ、今までに見たことがないぐらい
気合が入っていた。
「最後の体育祭だから見に行く~!」と言っていたのだが
いつもそっけなく却下されていた。
「もう高校生なんだから、見に来る親なんかいないよ。
来なくていいから!」と。
仕方ないのでひとまず諦め(るフリをし)ていた。
それなのに、今週に入って急に
「やっぱり応援団を見に来てほしい、高校生活最後だから!」
という。
もちろん、友人のお母さんから数日前に
一緒に行かない?とお誘いのメールが来た時には
「行く行く~!」と速攻で返信した。
こっそり見に行くつもりでスケジュールを調整していたから、
本人からの要請に“待ってました!”というカンジである。
願っていれば、あるいは自分の中で決めてしまえば
こんなふうに最終的にあちらの方から
やってきたりするものである。
何事もメゲずに、明るく考えておくと
結果的にすべてがうまく納まったりするのだ。
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思い返してみると、
一番最初に保育園の運動会に見に行ったのが
15年前だった。
雨の日、体育館での開催だったが、
心細そうにずっとベソをかいていた。
よほど不安だったのか、指しゃぶりを通り越し、
2つの手のひらを口の中に突っ込んで
ずっとたたずんでいた。
小さな口の中に、そんなに手を突っ込んだら
むせちゃうんじゃないの?というほど
両手がすっぽりと入っていた。
徒競走も、先生にだっこされて
泣きながらのゴールだった。
そんな姿がまるでついこの間だったのに、
いつの間にかあれから15年の歳月が流れていたのだと、
学校に向かう道すがら、懐かしく思い出していた。
校庭に到着すると、
いつものアップルパイのメンバーが
「あ!こんにちは!」と元気よく挨拶してくれたり、
遠くから手を振ってくれる。
「オレ、活躍するからバッチリ見ててくださいね!」と
言われると、やっぱりウレシイ

****************************
大声を出して、声援を送る。
リレーで抜かされて、チームが敗退し
泣き崩れる子には男女問わず近寄っていて慰める。
騎馬戦で最後まで勝ち残ったら、
みんなで駆け寄ってハイタッチで祝福する。
今どきの東京の高校生の風体だけれど
すごくピュアで、
喜んだり、泣いたり、跳ねたり、飛び上がったり
全身を使って表現をしている姿が輝いていた。
そして帰ってきてから
「どうだった?オレの舞。みんなカッコよかったでしょ!」と
満足げな笑顔は、達成感に満ち溢れていた。
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私もそんな時代があったこと、
すっかり忘れていた。
妙に大人になろうと必死になっていた。
いい人間に、崇高な自分に、
弱点を克服しなきゃ、と
知らずのうちに
自分を高めようとしながら
どこかでムリをしている気がする。
いつまでも甘えてちゃいけない。
大人にならなきゃ、と自分を戒めてみたり。
だけど…。
あんまり、そんなに急がなくっていいか。
あんまり、理想の自分に近づけようとして
心に嘘をついたり、ごまかしてみたり
別の言い訳を考えたりして、
なんとか事態をうまく運ばせようと努力しなくてもいいか。
あせるとロクなコトないし。
無理強いもかえって遠回りだし。
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それにしても、
楽しい一日だった

(平日でホントによかった。土日はずっと
予定が入ってるもん。感謝です。)
15回目の体育祭はすっかり精悍な勇者のような
青年へと変容しつつある手ごたえを感じることができた。
そして元気いっぱいな子ども達の姿に
またまたパワーをもらって、すごく幸せ

きっとこれで、
6月のスクランブルもたくましく渡りきれそうである。