むかし、行基上人(ぎょうき・しょうにん)があちこちと旅をしながら、病に苦しむ人たちを見かけると治していました。
摂津の国の有馬に名湯があるとの話を聞いて、やってきた時のことです。
険しい山を越えて、ちょうど船坂あたりにさしかかると、上人は一歩も歩くことができなくなってしまいました。山仕事を終えた村人たちが通りかかり、松の木にもたれ、ぐったりとしている上人を見つけ、急いで村へ連れて帰りました。
村人たちは、「何か元気の出る食物を」と考えるのですが、貧しくて其の日暮しがやっとで、そまつな食物しかありませんでした。「そうだ、鯉を食べると元気が出ると聞いたぞ!」
「よし、わしがひとっ走りして山を越えて、奥の池の鯉を捕まえて来よう!」威勢のいい若者が大きなカゴを抱えて、かけ出していきました。
やがて、帰ってきた若者のカゴには、池の主かと思われるような見事な大鯉が入っていました。さっそく村人たちがその鯉を料理し、食べさせると、上人はみるみる元気になっていきました。
しかし、体はすっかり元気になった上人ですが、なぜか心は晴れません。庭に捨てられた鯉の骨を見て、考えるのでした。「わたしの命は助かったが、その代わりに命あるものが一つ消えてしまった。」上人は念仏を唱えながら、ていねいに鯉の骨を拾い集めて、塚をつくり、鯉の供養をしました。
西宮北有料道路(盤滝トンネル)の北側に船坂(ふなさか)交差点がありますが、その近くのゴルフ場になっている辺りに「鯉塚(こいづか)」という地名が残っています。