有馬温泉は関西でも有数の桜の名所です。
善福寺や有馬川沿いの桜並木のほかにも、寺町界隈などでも桜を楽しむことができます。
龍泉閣の展望台から有馬温泉街を撮影しました。街が淡いピンク色で包まれています。
今日は、有馬温泉街を歩いて、寺町界隈の桜を撮影してきました。
林渓寺の山門の桜です。
林渓寺の境内の枝垂桜です。
【林溪寺】
温泉寺の東200mほどの所にある林渓寺には有馬保育園が併設されています。温泉寺や湯泉神社とともに子授けの寺として有名です。1601年、落葉山の麓に池の坊法順が開基したと伝えられる浄土真宗大谷派の古刹で、江戸時代には東本願寺別院として「有馬御坊」と呼ばれていました。1695年、火災により焼失し、再建されましたが、1753年に再び類焼しました。その翌年に落葉山の麓から現在地に移され、本堂が上棟されて、今に至っています。仏師春日による阿弥陀如来像(1651年の作)を本尊とし、中国より渡来した約300年前の作である慈母観音(子授観音)、親鸞上人絵像(1608年の作)を寺宝としています。
境内に「未開紅」という樹齢200年以上の紅梅の古木があります。この名称の起こりは、1781年、本山19世乗如上人(本願寺の門主)が有馬入湯の折に、梅の蕾の紅色が殊に深く、美しいのを見て名付けたものと言われています。毎年3月下句になると、紅色の美しい八重の花が咲きます。古くから、この梅の実を食べると子宝に恵まれるという言い伝えがあり、別名「はらみの梅」、「にむしんの梅」とも呼ばれています。
念仏寺の枝垂桜です。
【念仏寺】
温泉寺の北東に隣接している念仏寺は、岌誉上人の開基で1532年に創建されました。当初は谷之町にありましたが、約400年前に現在地に移っており、太閤秀吉・北政所の別邸跡と言われる見晴らしの良い、有馬でも一等地の高台にあります。徳川家康の檀那寺である大樹寺が浄土宗であったので、同じ宗派の念仏寺に特別な配慮があったものと言われています。現存の本堂は1712年の建立で、有馬温泉では最古の建造物です。この寺の石垣も有馬一古いと言われており、見事な石材が使われています。
この寺は、沙羅双樹の木、蛤(はまぐり)石、雀石のある美しい庭園でも有名です。樹齢250年という沙羅双樹の大樹があり、「沙羅樹園」と呼ばれています。ここでは、毎年6月下旬、沙羅の花の見頃になると、「沙羅の花と一弦琴の鑑賞会」が開催されます。ご本尊は快慶作と伝えられる阿弥陀仏立像で、法然上人画像「月輪御影(つきわのみえい)」も寺宝として所蔵されています。また、神戸七福神巡りの一つ“寿老人”も祀られており、参詣人が絶えません。
極楽寺の桜です。
【極楽寺】
温泉寺・念仏寺に隣接している極楽寺は、593年に聖徳太子によって創建された浄土宗の寺です。1773年、大火で焼失しましたが、9年後に再建されたのが現在の建物です。古い歴史のある寺で、かつては念仏の大道場として栄えたと言われています。寺宝の厨子は、徳川五代将軍綱吉の母である桂昌院の寄進とされており、火除観世音菩薩や法然上人ゆかりの橋杭地蔵尊なども宝物とされています。
1995年の阪神淡路大震災で損壊した庫裏(くり:寺の調理場)の修理中に、安土桃山時代の遺跡が発掘され、秀吉が造らせたと伝えられていた「湯山御殿」 の浴室や庭園の跡であると確認されました。湯殿の存在は昔から言い伝えられていたようですが、古文書や絵図面などの文献資料はありませんでした。庫裏の下から400年の時を経て、数々の遺構や出土品が出てきたため、言い伝えが正しかったことが判明し、1997年に神戸市指定文化財の史跡に指定されました。
さらに、1999年、これらの遺跡と出土した瓦や茶器などを保存・公開するとともに、 秀吉が愛した有馬温泉の歴史と文化を紹介するため、この御殿跡に「太閤の湯殿館」がオープンしました。館内には、蒸し風呂と岩風呂の遺構を展示してある他、焼き物や瓦などの出土品、復元した龍の飾り瓦、さらには秀吉と有馬温泉の深い関わりを示す資料などが展示されています。内装には、安土桃山時代の「ふすま絵」や「飾り欄間(らんま)」のレプリカが取り入れられ、太閤秀吉の “夢の跡” を現代に再現しています。
温泉寺鐘楼の桜です。
温泉寺の桜です。
【温泉寺 (薬師堂)】
湯泉神社前の坂道を少し下ると、愛宕山の麓に温泉寺 (薬師堂) があります。奈良時代の初め、行基上人が有馬温泉を開かれた折に、薬師如来の像を刻み、堂を建てられて、724年に温泉寺を建立されたと言われています。その後、鎌倉時代の初めに有馬温泉を再興された仁西上人を中興の祖と仰いでいる古刹です。元来は、真言宗の寺でしたが、後に黄檗宗となりました。1576年に火災に遭いましたが、秀吉の正室、北政所によって再建されました。その後、再び火災に遭い、1782年に現在の薬師堂が建てられました。明治初めの廃仏毀釈によって、温泉寺は廃寺となり、薬師堂だけが残されました。現在は、奥の院の清涼院を移し、合わせて祀られています。地元では、「薬師さん」と親しみを込めて呼んでいます。
湯泉神社と同様、毎年1月2日には行基菩薩像、仁西上人像に初湯で沐浴していただく入初式が行われます。大晦日には鐘楼から除夜の鐘が温泉街に静かに響きますが、この鐘は、観光客の方も撞くことが出来ます。なお、天皇や皇后、高僧などによって書かれた経文、および、国の重要文化財に指定されている黒漆厨子と波夷羅大将立像が宝物として収蔵されています。薬師堂の両脇に鎌倉時代末の作と言われる五輪塔が二基ありますが、平清盛と慈心坊尊恵の塔と伝えられています。
湯泉神社の桜です。
【湯泉神社】
有馬温泉中心街の直ぐ南側に愛宕山公園がありますが、この山の中腹に有馬の氏神・温泉守護神として崇められている湯泉神社があります。草創期の祭神は、有馬温泉を発見したと伝えられる大己貴命 (大黒さま) と少彦名命 (医薬の神) でした。鎌倉時代に入って、熊野信仰の影響を受け、熊野久須美命も併せて三柱の神を祀るようになり、以後、有馬温泉鎮護三神と呼ばれています。
歴史は古く、日本書記 (720年)に舒明天皇・孝徳天皇などの参拝が記されており、また、「延喜式神名帳」(927年) にも有馬郡の大社として数えられています。その後、皇室や武将などから敬われ、有馬の温泉や町を守る神社として栄えてきました。元来は、山麓にある温泉寺の境内にありましたが、100年ほど前に現在地に移されました。なお、この神社にある熊野曼荼羅図は、国の重要文化財に指定されています。
毎年1月2日に「入初式」が行われ、湯泉大神様と有馬の開祖である行基・仁西両上人に感謝するとともに、その年の初湯を神前に奉り、有馬温泉の繁栄と安全を祈願します。これは、江戸時代から続いている神仏合同の古式豊かな祭典です。また、子授けの神としても有名で、有馬の湯に入り、湯泉神社で祈願すれば子宝に恵まれると伝えられています。
中でも、玉鉾さま、阿福さまと呼ばれている子授けの御守りは全国各地より求められています。これは、平安時代末期の伊呂波字類抄という日本最古の辞書にも記載されていますが、子宝に恵まれない人々が男形・女形それぞれの形を作り、夜陰ひそかに神前に献じて、子授けを祈願していたことから始まっています。
今年の桜は、花付きも良くて、とてもきれいです。
有馬温泉では、もうしばらくの間、桜を楽しめそうです。
春の有馬温泉へ、ぜひお越しください。