2/13 高崎市街地の長野堰(円筒分水堰)を見に行ってきました
長野堰は箕輪城主・長野業政が開削したというので(真田幸隆とのエピソードを知り)興味がわきましてござります
堰に沿ってサイクリングロード(CR)があるので、たどってゆけばよいのでござる
上流の烏川(室田地点)から南下することにしました
1.滑川(烏川支流)をスタート
2.烏川(榛名高周辺)
気温6℃まであがってぽかぽか
3.高浜川(烏川支流)
このさき県道29号を少しゆくとCRの案内が出ていたので行ってみる
いったん川を外れ本郷塚のあたり 見晴らし最高~
どこを走ってるか確認しないで サイクリングロード(赤いライン)の導くままに
ほたる橋(昨日の記事)もこの辺り 実は少々道を失っていた(笑) この後方角をたよりに進む
4.榛名白川沿い
この桜並木の枝の垂れっぷり 前傾を深くしてやり過ごさないと頭がぶつかりそうなくらいでした
桜の時期に通ってみたい
新波橋上から (沖町東付近) 正面は榛名連山
案内発見!
5.長野堰CRに入りました
市街地を抜けてゆきます このゆったりと流れる感がなんとも良ろし
生活用水であるとともに 生きものの憩も
田舎暮らしのわたしにはこういうところを自転車でゆくのはとても新鮮なのでした
見慣れた景色に出てびっくり 文化会館前 こんな中心地を通っていたとは
さらに進んでゆくと 高崎駅近く 線路を跨ぐ歩道橋に出ました
この先はところどころ水辺がが道に隠れている、堰を探せ!気分で追跡~
伊勢崎街道にクロス ここまでくればあとわずか
(「第一協和」という薬局の様な名前の)和菓子屋さんに寄り道→大当たり
円筒分水堰に着きました
サイフォン式の原理で水が湧き上がるしくみ
周辺の4つの堰に平等に水を分配し、土地の水をめぐる争いを回避するためにつくられた配水施設
先ほどのお店の桜もちをいただきつつ、しばし観覧♪ 美味美味♪
お団子は店内でいだだいてきました(笑) こちらもおいしゅうございました
伝説によるとすでに平安時代に長政の先祖、上野国主・長野康業が開いた用水で、千年の歴史を持つとも謂われております
後に井伊直政が箕輪城から城下町を高崎城に移した後は、お城や城下町の用水にも使われ、
ひいては紺屋の町ともいわれた高崎の染物産業の発展につながったということです
水が脈々と生活と文化をささえ
今も人々の暮らしの中に
さらに下流にと水の流れは続きますが わたしは此れより次なる目的地へと向かいました (つづく)
(おまけ)
ちかくの高崎競馬場跡地
時間内見学可能となっております
中に入ってみると スタンドがまだ残っていました
2005年のNHKの朝ドラ「ファイト」の舞台にも使われたところです
季節も規模も違いますが 「夏草や~」の句が浮かびました
裏側は工事と 遺跡の発掘が進んでいました 3年後、高崎コンベンションセンターとして開業予定