茨城行の続きです
2日目は常陸国一之宮、鹿島神宮へ
「揺らぐとも よもや抜けじの 要石 鹿島の神のあらん限りは」
では足跡をたどりつつ、ご案内いたしましょう
大鳥居から入ります
以前の石の鳥居は、東日本大震災で倒壊したため 平成26年6月に境内の杉を使って再建したもの
笠木(上部の横木)は樹齢600年だそうです
柱の大きさとともに木の存在感と力強さに圧倒されました
こちらで「かしまふるさとガイド」をお願いして
1時間30分も!境内の端から端までおつきあいしていただきました
その盛りだくさんなレクチャーの内容も(記憶に残っている限り)記してみます
手水をしてお清めしたのち
摂社の沼尾神社と坂戸神社にお詣り(遥拝)をします
✩沼尾神社は香取神宮の祭神である「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」を祀る
✩坂戸神社は中臣氏の氏神である「天児屋命(あめのこやねのみこと)」を祀る
どちらも鹿島神宮と縁がふかく尊い存在であるので、最初に挨拶をしてから本殿に赴くのがよい
寛永11年(1634)、徳川頼房公が奉納した楼門 「日本三大楼門」の一つ(あと2つは熊本の阿蘇神社、福岡の筥崎宮)
楼は《たかどの=2階建ての建物の意》なので、楼門は2階建ての門をさす
楼門はかつての神仏習合のなごり、神宮寺や修験系の修験道場であった神社に多い
本殿からみて左に(より位の高い)左大臣、右に右大臣 ⇒随身がおわすので随身門ともいう
つい、門の脇にも視線が…(笑)
両脇にずらりと並んで壮観~
門をくぐると右手に社殿、というめずらしい配置
現在の社殿は、元和5年(1619)に 2代徳川秀忠公の奉納による
鹿の彫り物が多い
本殿(重要文化財)
三間社流造の建物で、御祭神の武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祀る
ここでも鰹木の数(奇数なら男神、偶数なら女神を祀る)や、千木(外削ぎは男神、内削ぎは女神を祀る)の説明
奥に見えるのが樹齢1,300年のご神木杉(鹿島神宮の森で最も古く、最も大きい木=高さ40m)
参道を挟み向かいに社務所があり、(この参道も微妙な角度で曲がっています)
先に御朱印をいただきます
本殿の御朱印の霊符(右上の印)は江戸時代に鹿島神宮のお札に記されていた社紋
上の三角が稲光を、田の字はゴロゴロなる雷の音、4つの点は東西南北、下の波線は神が立つ波を表す
オリジナル朱印帳、素敵でしょ 他にもいろいろなデザインあり
ついでに、この石灯篭の透かしもごらんあれ
月、星、(裏側に丸で)日、の文様には意味がある
日は天照大御神、月は月読命、星は須佐之男命 ⇒三貴子(みはしらのうずのみこ)をあらわすそうな~
奥参道 “神の森”
毎日地元の方も参加して掃き清めているそうです
現在でもここを流鏑馬神事で馬が走ります
また、現在の奥宮はかつて今の本殿の場所に座していたため、そこからこの参道を牽いて移動させたということです
奥宮 荒魂を祀る
慶長10年(1605)、徳川家康公が本殿として奉納した
奥宮裏のご神木
奥参道脇の鹿園
鹿島神宮周辺の森にはかつて多くの鹿が生息しており
奈良の春日大社の鹿は、もとは鹿島の鹿なのだそうです
鹿島神宮の武甕鎚命を春日大社に勧請したとき、武甕鎚命は白鹿に乗って三笠山に行かれたそうな~
そして要石(かなめいし)
鹿島七不思議の一
世俗に地震を起こす鯰の頭を押さえている鎮め石
頭頂部だけが露出しており
「この石、地を掘るにしたがって大きさを変え、その極まるところ知らず」
「徳川光圀公が、要石の根元を見極めようと家来に7日7夜掘らせたが掘り切れず断念した」など
さまざまな伝説が残っています
さいごに御手洗池(みたらしいけ)
古来、神職ならびに参拝者の潔斎の池
その水は美しく澄み、絶えず滔滔と流れる霊泉なり
大昔は参道がこの御手洗を起点としてこの池で身を清めてから参拝した
龍のように枝をひろげるサイカチの木も江戸時代から変わらずあったようです
ふるさとガイドの方は鹿島市で数回にわたり研修を受けられるそうです
その豊富な知識もさることながら
案内の端々に 神社愛、地元愛を感じられたのが何よりもうれしく楽しい時間でした
良き出会いをありがとうございました
北浦の一の鳥居を眺めつつ帰路
(おまけ)ガイドさんに教えていただいた💗
「神社といえば猪目(ハート形の魔除け)ですが、懸魚のほかにも
いろいろな猪目がありますので探してみてください」
むふふ、たくさんあるものですね~