マジカルミステリー・インスタントコーヒー☆

自転車ライフと 里山のくらし、花や自然などなど

忍びの里から新治へ

2016-09-27 | CYCLE

再び雨模様の月曜日 

群馬県の天気予報をみていたら、この9月は 昨年比10%程度の晴天率だそうでー

あと10日ほど、このすっきりしない天気が続くとのこと

 

さて、今日は先日(9/25)のライドから、秋空以外の場所も ご紹介したいとおもいます~

 

脚の向くまま、中之条からを嵩山にむかって走っていたら、この案内を目にし

わ、なんてタイムリーなんでしょう   これは行かねば

 

まずは 手前の割田下総(わりたしもうさ)のほうから  案内板の通りに走ってゆきます

畦道を抜けた

こんにゃく畑の広がる地に

割田下総のお墓がありました

 

割田下総、といわれてもご存じない方も多いとおもいますがー

戦国時代の吾妻七騎(地侍)の一人で、真田昌幸・信之の家臣だった忍びです

ちなみに(最後の方に名前のある)出浦対馬守、というのは『真田丸』で寺島進さんが演じてらっしゃる役です

昌幸との別れのシーンで「すっぱ(透破)を使って家康を暗殺しろ」と言っていたように、甲州透破のドン

割田重勝はその部下だったわけですが、知勇に優れた武将も、大阪の陣の後、盗みを働いた罪で

出浦対馬守に討たれてしまったそうです

 

割田という苗字は 走っていると この一帯でたくさん見ます

このお墓も 子孫と思しき方が最近新しく建て直したもののようです

お墓の前のミゾソバ

 

 一方、唐沢玄蕃(からさわげんば 同、真田配下の忍者)の墓はここからほど近く

遠くに榛名の山々を望む 小さな丘の上にありました

両脇に ご親族のものと思しき墓碑が ずらりと並んでいます

  

こちらにも敵の馬鎧を盗んだという逸話が伝わります

(ちょうど先月『加沢記』の文書で読んだところでした)

この時代、敵方の鎧を盗むのが強さのステータスだったのでしょうか(笑)

 

非常に身軽で、助走無しで 高く飛ぶこと6尺(1.8m)、前跳び12尺(3.9m)、

左右へ9尺(2.77m)、後ろへも9尺(2.77m)

飛び降りては40尺(12m)跳べた、といいます

今オリンピックに出たら金メダル間違いなし!?

墓守のきのこさん

 

 

☆ちなみにこの二人は、別冊歴史読本『忍びの者132人データファイル』

   にも名前が載っていました~

吾妻の忍びは、出浦対馬守昌相、横谷左近、角田新右衛門、祢津潜竜斎

のちに信之に仕えた金子泰清、鈴木右近

 

忍びのテータファイルには、意外なところ?では、安倍晴明をはじめ、鴨長明

楠木正成、源九郎義経、山本勘助、滝川一益、石川五右衛門、間宮林蔵、松尾芭蕉…なども名を連ね

諜報を目的とする特殊能力に優れた人物=忍び なのでした

 

 

そういえば、ワタシこの日、スゴイ忍びの方に会いました!

忍者バッタり君

 

この後、嵩山(たけやま)をぬけて 新治(にいはる)のたくみの里に向かったのですが、

わたしが大道峠を越えている間じゅう、ずっと

      自転車のこの辺に潜んでいたんですよ

回転するペダルの軸とともに クルクル回っており~

登坂の途中で気が付いたのですが…

遠心力で落ちないのかしら、それとも もう目が廻って下りられないのかも…と思いながらも

観察を続けつつ走ってしまいました(🙇)

バッタ君と二人乗りしたのは初めてです

途中で飛び乗ったとは考えにくいので 前回着地した地点から換算すると約10kmほどクルクル…

さすがに気の毒になって自転車からおりてみると

すぐさま、逃げるように飛び跳ねてゆきました

元気そうで良かった(笑)!

 

 

 

たくみの里に着いて

 

お昼ごはんは お蕎麦屋さん

    

セットのそばがきが美味しくて、追加注文してしまいました

 

その後は新治広域農道をバビューンと走り

  

 

ガガイモの芋を見たり

  

 

ヌルデ?のたわわな実に驚く

 

 

 

県道36号線 名胡桃の御城下に入り

りんご園の連なる道をゆく

  だんだん色づいてきました

 

必殺赤根峠を越えて中山まわりで帰りました

走行距離104km(総上昇量1679m)

坂では脚が重くて~ 運動不足がこたえました

でもこれ以上ないサイクリング日和、ご褒美をもらった気分です

 

 秋の空と アキカラマツ

     

     長らくお付き合いいただき ありがとうございました

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秋空青空

2016-09-25 | CYCLE

何週間ぶりでしょう! 青空です

岩櫃山が見られて嬉しいなあ

 

今日はお休みでしたのです♪ 久方ぶりのライドが叶いました

なじみのコースでしたが  大気澄み渡り  明るく清々しい気分で一日中 

 

天高く 秋の空

 

羽ばたくような雲とか

 

ぼん、と飛び出ちゃった雲とか

 

移動するたび変わる形

雲の大展覧会を愉しみました

忘れられない空見日和~

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雨の休日

2016-09-22 | 日記

心待ちにしていた休日ですが、どしゃぶりの雨で自転車にも乗れません~

下の集落は黄金色の稲穂  雨続きでほとんど稲刈りは済んでいないようです

 

今日は古文書講座の日だったので、お弁当持参で 午後は図書館にお籠りです

最近ポップなお弁当箱を手に入れたので、お昼が愉しみに~

もう何年も お弁当とは無縁の生活なので、作るのも食べるのもなんだか楽しいのです

ちょっと学生時代を思い出して気分だけでも若返ろうかと(笑)

 

 

『加沢記』(全五巻)も、巻の🉂まで きました  今日は「沼田大乱之事」を読みました

今やってるのは、永禄から元亀、天正のあたりです、

沼田領は次第に上杉から武田に移ろうとしているところ、

 

信玄が身罷ったという知らせが届いて、上杉方の気もそぞろになっている、とか

猿が京の名前の由来(⇒庚申の年、庚申の日に、申年生まれの謙信が初めて関東(宮野城=猿が京)に出陣した、

その時に見た夢にちなんで謙信が名付けた)とか

猿が京は(越後の謙信から見て)関東八州の大手(正面口)だとか 書かれていて

 ますます面白くなってきました

 

 

余談ですが、先日の『真田丸』、とうとう関ケ原後まで きてしまいましたね

すっかり石田治部の味方だったわたしは、(万事休す、嗚呼)の思いでございます

そしてそれ以上に、ダンディ草刈昌幸の虜になっていたので 来週なんて来てほしくないわ~

 

 

帰りの林道では 白い花が目を惹きました

サラシナショウマ

 

シラネセンキュウ

 

 

 

ヤマゼリ

 

 

タニソバ?は つぼみばかりでした

 

傘差し片手撮りでよく写せませんでした  飽きるほどに雨降りな この9月

長月 ならぬ 長雨 です…

秋晴れが待ち遠しいですね

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バスツアーで松代へ

2016-09-14 | 日記

9月13日、地元の郷土文化研究会主催の バスツアーに参加してきました

長野市松代(まつしろ)は、関ケ原戦から22年後の元和8年、上田から転封となった真田信之が初代藩主となり

以来、代々の真田氏が治めた城下町

 というわけで「真田丸」効果でにぎわっておりました

 はばかりながら 参上仕った場所をご紹介もうす~

 

 

☆松代城址

松代城南門

城門壁  いずれも復元されたもの

 

松代城はもとは海津城と称し、武田信玄が上杉謙信と戦うための備えとして築かせた平城

(築城は山本勘助による)

信玄に従って幸隆・昌幸らが戦ったことがあり、父祖の代から真田家にゆかりがあった

 

海津城は川中島平の南に位置し、石垣の下(=堀)を千曲川が流れる要害

当時はこの右手に千曲川が在ったそうです

  

城址の櫓からの眺め(川中島方面)

川中島地方での真田領は10万石であったが、他に幕府領・社寺領合わせて約2万3千石を管轄

北信濃ににらみをきかせ、のちに信濃を代表する雄藩となってゆく

信之は松代に入ると、さっそく領内の村々や城下町の整備を進め、松代藩の基礎を築いた

以後、真田氏は代々明治維新までこの地を領している

 

 

☆長国寺

もとは上田にあった「真田山長谷寺(ちょくこくじ)」を信之の松代転封とともに 松代に移し

寺号を同じ読みの「長国寺」と改めた

お堂の鯱はかつて松代城にあったもの

 

当時は幕府方の宗教行政を担い、信州一国の曹洞宗寺院 八百ヶ寺を管理統括した

上禅僧の修行道場としての役目もあり、現在も道場は続いているそうです

長国寺にある松代真田代々の墓(幸隆・昌幸・幸村は石碑のみ) 初代から12代までずらりとならぶ

真田人気で、この日もお寺には私たちを入れて520人の来訪者があったそうです

(そのためこの墓地と御霊屋の部分は、しばらく一般の方は入場を制限をしているとのこと) 

 

長国寺には 初代信之、4代信弘の御霊屋(おたまや)が残っており

 

この屋根の真ん中の三角部分にいる鶴二体は、左甚五郎作といわれ、

当時、夜な夜なこの鶴が里に下りて畑を荒らすというので、後世に改築されるまでの間

この鶴は鉄の鎖でつながれていたという

なぜに左甚五郎の手がけることになったかというと、

信之後の時代、松代藩は日光東照宮や江戸城下の建設に駆り出されていた そのツテだそうです

(※ちなみに私、左甚五郎モノの落語「ねずみ」「竹の水仙」「三井の大黒」とも お気に入りデス

 

こちらの木鼻は後世のものと思われますが 蹄のある龍?(右)を初めてみました

 

 

真田宝物館(「真田丸」特別企画展開催中!)

写真が無いのですが、例年はレプリカのみである甲冑や刀類、

今回の展示ではすべて本物を展示し、期間によって入れ替えもあるそうです

戦国時代から400予年、真田家に継承されてきた宝物館というだけあって、

刀や甲冑などの武具類はもちろん、嫁入り道具、室内の遊具などもあり見ごたえたっぷり

古文書の数もハンパなく 信玄、秀吉、家康の書状の数々に興味をそそられました

でも、石田三成の書状は達筆すぎて? 全く読めませんでした~

 

 

☆文武学校

松代藩が藩士の子弟に文武両道の教育を施すために設けた藩校

八代藩主真田幸貫によって、水戸藩の弘道館をモデルに構想されたもの

8歳から14歳までは学問を学び、15歳からは武芸を学んだそうな

弓術所   右手にある畳の間からお殿様が見物される

そのため、すべて矢は右手でつがえるそうです(左手でつがえるとお殿様に背を向けることになるため)

他に学び舎、剣術所、柔術所、槍術所、文庫蔵など、当時のままに残っています

 

旧真田邸

一番最初に行ったのに、写真を撮り忘れました 9代藩主真田幸教の御殿

明治維新以降は真田家の私邸として使われていた 現在は松代城とともに国の史跡となっている

大小53部屋、建面積408坪、畳の枚数384枚

財政難の時代に建てられ質素だと言われますが、お庭も美しく細部まで配慮が行き届いた印象の館でした

お仕事の部屋とプライベートの部屋が、ふすまの模様で区切られて一目瞭然でした

 

 

☆西楽寺(さいらくじ)

関谷山西楽寺は浄土宗の古刹  開基は西條隼人正尚昭

永禄年間に建立されたが正保年間に火事で焼失、真田信之が再建した

 

信之の三男、信重公の御霊屋《国重要文化財》

(真田隼人正)信重は沼田に生まれ、母は大蓮院(小松姫)

5尺を超す大男で、叔父信繁(幸村)と同様に武勇に優れていたという

華々しい逸話も残しているが、父信之より早く50歳で没す

 

御霊屋の中には藤原時代のものと伝わる阿弥陀如来、信重夫妻のご位牌が祀られています

ふだん一般公開されていないそうですが、真田ゆかりの岩櫃からきた一行ということで

ご住職のお話を伺いながらゆっくりと案内していただきました

来迎壁に描かれた 迦陵頻伽(かりょうびんが)、狩野派の松鷹図、飛天女図、どれもすばらしかったです

 

 

 ☆象山(ぞうざん)地下壕

舞鶴山(現気象庁松代地震観測所)を中心として皆神山、象山に碁盤のように掘り抜かれた

大本営地下壕

軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに、大本営・政府各省等をこの地に移すという計画のもとに

昭和19年11月11日から翌20年8月15日(終戦の日)まで、およそ9か月の間に建設されたもの

ヘルメットを着用して入ります  見学できる500mでさえ遠く長く感じました 

全く光のささないトンネルがいくつも連なっています(見学用の灯りはあります)

とても人の手で掘ったとは思えませんでした

ダイナマイトで爆破しながら素掘りしたそうですが、固い岩肌がそのままに残っています

 

一日雨予報でしたが、着いてみたら雨も上がり、時には晴れ間も見えました

 

松代までは、吾妻から真田道を通って岩櫃や長野原を経て鳥居峠、地蔵峠を越えてゆきました

歴史の流れを感じつつの移動でした

真田氏のおかげで、松代との距離が近づいたようにおもいます

 

(おまけ)

松代の民家には、柿の木と同じくらいザクロが植わっていました ザクロを愛するお土地柄なのかしらん

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きのこ・きのこ・きのこ~

2016-09-10 | 日記

9月に入っても雨続きの毎日でした  台風の影響で大変に蒸し暑く

昨日今日と からっとした晴れ間は貴重でしたね  

きがつけば ツリフネソウが満開 というか もう終盤?

 

黄色はキバナアキギリにかわり ツルキケマン

 

キラキラと光るチヂミザサの花

 

 

雨と湿度といえば きのこには絶好の環境と見えて この秋は豊作のようです

♪きのこの山~は食べ盛り

 

でも きのこには詳しくないので あくまで観賞用なのですが

このひょうひょうとしたかんじ とか

 

一本でも存在感のある佇まいとか

 

グッと大地から突き抜けたような力強い姿

 

 

 

歩けばきのこが現れるこの時期

 

作りモノではないのか? と触ってみたり

 

はっぱまみれの姿を いとおしく感じて

 

自然の美

 

複雑な造作

 

足元にひっそりと でもそれぞれに個性的な きのこたちに

 

ついつい頬を緩めて 観察してしまうのでした

 

なにか語りかけているような気もする

 

 

わさわさわさ              

 

ちょっぴり肩の力がぬけたひとときでした♪

 

 

(おまけ)

ギンリョウソウの果実(液果)  

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MTB初体験

2016-09-07 | CYCLE

またまたひさびさの更新になってしまいました

お仕事の波が再びやってきて、曜日と時間の感覚がまひしているうちに、ついつい更新をさぼっていたら

複数の方から(またケガでは?)などとご心配いただきましてどうもすみません

元気にしております~

 

自転車も台風続きでしばらく乗れずだったのですが、

ちょうどロードをメンテに出していた(ハンドルベアリング部の交換)こともあって

先日のお休みはダートな世界にいってきました

MTB初体験!   

以前からロードの鍛錬にもなるといわれて興味があったものの、難しそう…と尻込みしていたのです

 

 

このたびエイヤっと一念発起

初心者OK!のツアーに参加して レッスンを受けつつの実践でした

基本はスタンディングで

ペダル水平で(漕がずに)重心移動のみで進ませる練習とか

一本橋シーソーとか

カーブでのルートの選び方とか

 

道幅は人一人分 片側は崖 の急こう配を下りたり

ゴツゴツの石の道やズブズブの山道を冷や汗かきつつ

登りの難所は押します キツ~

ロードではありえない

ひとりでは絶対下りられないようなコースをゆく面白さ

初対面の方たちでしたが和気あいあいと楽しめました

乗ってみてよかったです  すごく勉強になりました

バランスと判断力 もっと磨かなくては! 

 

 

(おまけ)

カメラを持っていたけれど道中は撮るよゆうはなくて

自分で撮ったのはこれだけ(しかも慌てて撮ってボケボケ)

右にうさぎの姿     (左はねずみ?にしては大きさのバランスが??)

 

 この庚申塔の横にあった塔⇒ の下部

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