7月1日の庭
あじさい、雨に濡れて… 梅雨寒の一日です
さて、山形旅行の続きです…
山寺から車で20分で、天童のお宿へ到着
夕食までの腹ごなしに天童駅前まで歩く
将棋の駒をモチーフにした駅舎
駅に隣接する 天童市将棋資料館
入館大人¥300
中には将棋に関するさまさまな展示があり
(古今東西の将棋の歴史、駒の製作過程、駒工の作品、天童将棋まつりの歴代ポスターなどなど)
ほお~!とおもうことばかり
とくに、鎌倉や室町時代の大将棋盤は駒の数が非常に多く(130とか192駒とか!)
猫又やら酔象、伏龍、麒麟など個性豊かな名の駒が登場して
(この盤面を一人で把握できるのかしら?一局何日で決着するのかしら?)と想像するだけで楽しい~
駒の数や素材、ルールも、時代に合わせて変化して今の形になったのでしょうね
駅中 おみやげコーナーのこま八氏
駅前~市内への通りを歩いていると、将棋デザインのモニュメントや案内板がいくつも現れる
お宿「滝の湯」にも エントランスに大きな将棋盤と駒!が置いてあって
“将棋の街”を感じました~
写真は路上のしか残っていなくてごめんなさいまし~
翌日は朝イチで 舞鶴山の 建勲(たけいさお)神社へ
祭神は織田信長命
将棋駒の生産量日本一として知られる天童ですが、特産の将棋駒の製造は
10代目信美(のぶかず)の時代に織田藩の下級武士の救済策として始められたそうです
その天童織田家の歴史は、信長の二男である信雄(のぶかつ)から始まるのですが、
天童に国替えされる前は、織田家は上野国小幡藩に在藩しておりまして(立藩は信雄の四男信良)
上州人として、ここはよしなに。とごあいさつ仕ったのでございます
「信長公は大義を奉じて中原に駒を進め、群雄割拠して乱逆極まりない乱世を鎮めて疲弊絶望の民衆を救い
新しい秩序をうちたてて日本に近代化の灯をともし、一大画期をもたらした傑出した武将であり偉大な経営者である(中略)。
また皇居の修理をはじめ、皇室の経済の援助、伊勢神宮、熱田神宮の修理、祭典の再興など、尊王敬神の念のあつい人物であった。
信長公は、民生の安定、社会開発、文化の交流と日本の独立に大きく貢献した世紀の英雄であり
国家安穏、生産増強、商工繁栄の神としてたたえられる。」 ~「建勲神社」リーフレットより
建勲神社の脇の道をのぼってゆくと 桜祭りで知られる舞鶴山があります
桜祭りの大行事「人間将棋」は太閤秀吉が桜花爛漫の伏見城で、関白秀次を相手に
小姓と腰元を将棋駒に仕立て野試合を楽しんだことに倣ったそうです
山頂にある将棋盤(人間将棋用)
お祭りのときは ここ↓ が観戦客でぎっしりになるのですね~
天童市のシンボル、将棋塔は、大山15世名人の書によるもの
桜まつりの時期に毎年、ここで将棋駒の供養祭が行われるそうです
舞鶴山は天童城址でもあります
ご城下の眺め~
大ケヤキの下の
黄色はコスモスでした 名産の紅花の時期はこれからのようです
群馬ナンバーを見た地元の方に「どこからきたの~? この間、舘林に行ってきたよ!」と声をかけていただきました
天童と舘林は姉妹都市で交流があるそうです、どちらも市の花が「ツツジ」なのですって
ここにもつながりがありましたね
この後は最上川づたいに酒田、そして鳥海山へ(注:登山はしていません)
(おまけ)
やまがたはお酒が美味しくて困りますね~ 地ワインも豊富だし…
あれもこれも飲みたくてついつい飲みすぎちゃいます
おみや用厳選2種(笑)
天童は出羽桜のお膝元ですので~
お宿の夕食では銘柄の違う出羽桜を4種 と天童ワインも(笑)…いただきました
ふだんは純米酒好みのわたくしですが、出羽桜は吟醸も飲みやすくて
とても悩んだ末…おみやげは「桜花」にしました~
(鳥海山は山の売店で購いました、こちらも美味しかった!)