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認知症という「病」その2

2021-03-12 10:38:08 | 日々の雑感
真ん中の幹がないと松は松になれない・・・・
認知症は「頭の幹」が空洞化しはじめているのか?


「病」と「」をつけるのは、正しくは病気はなくて、加齢による妥当な現象だから。
もちろん、若年の認知症もあるようだし、それは当然「」は取るべきだろう。
・・・・・・・・・・・
母の症状が顕著になり始めたのは、昨年6月に父の17回忌をすませて以降だった。
心配の種・最愛の息子を送って、父の年忌もすませて一気に「来た!」。眼の先にぶら下がっていた課題が終わって、ほっとしたのか。
あの頃、私は友人や知人に「産卵を終わった鮭が生きてはいるけどぼろぼろになって漂っている・・そんな感じ」というたとえで母の様子を話していた。
血圧の薬を飲んでいない、とか受診に行こうというと、いかなくていいとか、風呂の介助をする日を決めようとすると入らないでいい、面倒だ・・あれあれということが続出で「ぼけたみたい」ということが発覚した。
できる限り自分のできることは自分でしてもらいます、というのが私の方針。
受診も日赤の癌手術後の後追い検査受診以外は送迎のみいうスタンスだったが、昨秋からは付き添うことにした。

10年前の実家のリビングは、ばあちゃんネットの集まりで盛況だった。
いついっても、同年代の誰かが来てお茶のみ話に花が咲いてにぎやかだった。
しかし、一人、二人と逝かれて、同世代はほぼあの世へ。
年の離れた数人が時たま見えるのだが、コロナ禍もあって、最近はいついっても一人でテレビを相手にボヤンとしている。(徘徊しないだけよし、ありがたいのだが)
コミュニケ-ションの減少は認知症を促進する。
これは確かだ。
打開策としてデイサービスをもう1回増やそうか、といってみたが、却下された。
「2回で十分だや、さんざらや」と。
そうですか・・・

昨夏は、野菜つくりに畑に出ることもほとんどなかった。
あれほどできたモノを人に分けるのが好きだったのに・・・
自分で作った野菜を料理したり漬け物にするのが好きだったのに。
これもしなくなった。
一方で
姪や義妹によると、同じことを何度も話すことが以前よりずっと多くなったようだ。

認知症とは、本来の、あるいはそれまで顕在化していた人格が消えて、別人格が出てくるという「病」のよう。
ということは、それまでの対応ではなくて対応自体をまったく変更、更新しないといけないのだ。
今までと同じと思っているからイライラMAXになるんだ。
分かってはいるんですが・・・難しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
認知症の進行=人格崩壊と書いている本を読んだことがあって「崩壊」という言葉に恐怖を感じたが、この言葉は正しい。
とりあえずは
イライラMAXは、私の身体にもとてもわるいはずだ。
別人格になった母親、という冷静な視線を持つことは難しいが、その努力はしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・
ところで
明日は我が身・・そんなときがやがて来る。
どうしたらいいんだろうか。
インドのサドゥ(出家者)は、修行によって旅立つのにいい日を選んでその命を終えるというが・・
その究極の技を研究したい。
まじめにそう思っている早春。

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本年(2021年4月より)の募集に関わる記事

2021年度募集要項

新年度の入塾希望者(話を聞きたい方も含めて)の面談日程(3/4月)と休止期間について

もへじは少し変わります、そして今後は?


リンクしておりますので、プチッとな、してご覧下さい。

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