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大江山いくのの道の遠ければ・・・掛詞(かけことば)

2021-01-27 16:51:36 | 国語的随想
大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立   小式部内侍

おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず あまのはしだて
                              こしきぶのないし

とても有名な和歌ですし、聞いたことある、と言う人も多いと思います。
これは、掛詞(かけことば)の技法を説明するのに好適な歌です。

言葉を補って現代文にすると以下になります。

母のいる丹後国(今の兵庫県の日本海側)へ行くには、大江山を越えて、生野の道を通っていく、しかしその道は遠いので、まだあの有名な天橋立へ足を踏み入れたことはないし、見たこともありません。したがって、母(和泉式部)からの手紙(文)も見てはいません。



小式部内侍は、恋愛歌人として有名な和泉式部(いずみしきぶ)の娘でした。和泉式部は、夫が国司となったので、丹後国に下っていました。
しかし、小式部内侍は都に残って、一条天皇の中宮(妃)である彰子(道長の娘)に女房としてつかえていました。
歌合わせの歌人の1人として選ばれてたのですが、中納言藤原定頼に「お母さんから、歌は届いた?」「添削してもらった?」と軽くからかわれたのです。
そこで、キっとして即座に詠んで返したのがこの歌。
彼女の才気や勝ち気さが分かる歌ですね。
中納言は、とっさのことで返歌せず(できず)に逃げていった、というオチ。

なぜ返歌ができなかったのか?

それは、即座ですが、巧みに掛詞が遣われているからです。

いくの生野(地名・銀山として栄えた町)と行くの(行く道程)
ふみ(踏む)と文(ふみ・手紙)
掛詞とは、1つの言葉に2つ以上の意味を持たせた和歌の表現技法です。
もう一度、現代文解釈をみていただくと分かります。



実は、兵庫県の瀬戸内海側より歩いて、生野から大江山も通り越して丹後半島まで歩いたことがあります。
天橋立も行きました。
遠かった!
生野は、かつては栄えた町の風情がなかなかよい感じの町でした。
それにしても遠かった。
リアルにこの歌の「文も見ず」と「踏みも見ず」の感覚は分かります。

からかった藤原定頼中納言も歌の名手です。
小倉百人一首などにも出てくる人。
その人をへこました小式部の内侍、すばらしい!!

道を歩きながら、この歌を思い出していたことが懐かしや。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もうひとつ掛詞でちょー有名な和歌

花の色は うつりにけりな いたづらに  わが身世にふる ながめせしまに 

小野小町
はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに
              おののこまち
★掛詞
世にふる・・・この世界に(雨が)降る /時間が過ぎて私の美しさも恋の関係も色あせて変化した
ながめ・・・長雨/物思いにふける・悩む
【訳】
桜は散ってしまった、春の長雨が降っている間に。
同じように
私の美しさも時間が過ぎて衰えた、恋に悩んでいる間に。
・・
確かに小野小町さんは美人として時を超えて名をはせていますが・・・
桜の花と自分の美貌を重ねる小町様の自信、あっぱれ、あっぱれ!脱帽!!
小式部内侍も小野小町も、何かいいですよね。
私は好きです。


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