兼業役者の猫とバイクとヴァナ・ディールな日常

舞台中心、TV.映画.CM等を少々。そんな無名役者の仕事とバイト。猫とゲームのぐうたらな日々と云いたい放題。

行儀作法

2008年03月26日 19時31分32秒 | よもやま話
日頃バイクに乗っているとは云え、都会暮らしではやはりどうしても電車に乗る機会も多いのですが、ちょっと気になったお話を。送別会シーズンのこの頃、終電間際の電車での話です。立つ人は足の置き場のない程に込み合って、釣り手や手すりに掴まってやっと躯を支えているような状態になっていると云うのに、お尻がずり落ちそうな程浅く座って足を投げ出している人や、自分は座っているのに鞄を抱えず足下に置いて、立つ場所がなくて斜めになっている人がいても知らん顔をしている人、メールやゲームに夢中になって自分が座席の真ん中で2人分のスペースを陣取っているのに気付かない人など、余りにも周りが見えていない人が多い事、そしてそれが若者に限った話ではない事に、少々苛ついてしまったのです。
もちろん、お酒を飲んで状況判断が出来ない状態にある人もいらっしゃるのでしょうが、そもそもそんな状態になるまで飲まなくてもいいのでは? と云う気持ちもありますし、ちゃんと周りが見える状態であるなら尚更、何故そんなはた迷惑な態度をとっている自分を「恥ずかしい」と感じないのか、が不思議でなりません。私自身、そんなに偉そうな事を云える程、道徳的な人間だと自惚れている訳ではありませんが、常識の範囲内で、最低限の「恥を知る」人間でありたい、と云う思いだけは持っています。
私は「行儀作法」とは決して難しい物ではなく、両親や祖父母との会話の端々、親戚付き合いやご近所付き合い、友達付き合い、つまりは、人と人との関わりの中で自然と身に付いて然るべき物である、と思っています。人間誰しも個々の価値判断であったり、基準となるべき一定のラインを持っていると思いますし、自分の基準において「恥を知らない」と判断される人とはいい人間関係を保てない、と思うのです。いい事と思う事も悪いと感じる事も、結局は似たような判断基準を持つ人達が集い、友達となりうるのだと...。
当然私より厳しい基準をお持ちの方もいて、その方々から見れば、私の行動も眉を潜める態度と写るのかもしれませんが、昭和生まれの人間としては、最低限の合格点は頂ける、と自負しているのです。そして「そんな人達をみて苛つく私」を作ってくれた両親や友達に感謝しなくては、と思った出来事だったのでした。