ヒロヒコの "My Treasure Box"

宅録、DAW、ギター、プログレ、ビートルズ、映画音楽など趣味の四方山話

「7年ぶりの首都圏大雪」の思い出:その2

2015年01月16日 | 
 翌日、旅行会社の担当者に電話を入れ、会社でも手配するが、混み合っているので直接空港カウンターでの手続きも行ってほしいと言われ、空港へ移動を開始する。この日は雪は降っていなかったが、気温が低く路面は凍結状態。北海道人でも極めて歩きづらい。こちらでは、ニュース番組で雪道の歩き方のアドバイスを放映していた。首都高などはすべて閉鎖されていたが、電車の方は一部以外ほぼ動いており、混んではいたが割とスムーズに移動ができた。その途中に連絡が入り、午後の便の予約が取れたとのこと。ほっとした。それでも、手続きのためカウンターには並ばなくてはならず、空港で自分が長い列の最後尾についた。比較的早く前に進んだが、手続きするまで2時間はかかってしまった。さらに荷物を預けるのに数十分。おかげで妻と息子は空港内の探検を堪能できたようだ。
 搭乗予定の飛行機も遅延が続き、結局1時間半遅れで出発。離陸直前には、滑走路前でしばらく止まり、何かなと思っていると、本機に不具合が発生しており、現在確認中です、とのアナウンス。この期に及んでまたか、と思ったが、数分後解消したとのことで、無事離陸(ただし、不安を抱えながら)。
 新千歳に到着し、前日乗るはずだったJRの特急指定券を買い直す。そのJR特急も10分ほど遅延しており、どんどん帰宅予定時間が遅くなる。結局最寄り駅には15分ほど遅れて到着。4日間雪中に放置していた車のエンジンもスムーズにかかり、最終的に予定より30時間遅れで我が家に到着。水道も特に凍結しておらず、これでようやく旅が終了。初めての東京スカイツリー訪問(写真:この時は雪の気配全くなし)や三浦春馬の「五右衛門ロック」鑑賞などすこぶる順調だったのに、帰る直前のまさかの東京大雪で大変なことに、という顛末であった。
 ひとつ気づいたのは、機内で待たされている時も欠航になった時も、乗客は一切文句を言わず、きちんと指示に従って動いていたこと。そして、カウンターの職員の対応も、一人ひとりに丁寧にお詫びしながら処理していたり、適宜情報提供もなされていた。特に機内での機長からの情報提供は、今何がなされていて、どのような状況かということに加えて担当者が総出で懸命に作業にあたっている等と適宜状況が分かるアナウンスであり、このような場合の情報提供の大切さを実感した。自然相手にどうすることもできない状況ではあったが、くってかかる人がいても不思議ではないと思われたが、私の周りではそのような人は一人もいなかった。皆心の中では不満を抱えていたのだろうが、冷静に動くその姿は大震災を経験したからこそかもしれない。
 また、いかなる時にも最悪の場合を想定し準備しておくことの大切さを改めて知った。特に天候不順による予定変更は今後もついて回ると思われる。まあそれにしても、あまり味わいたくない貴重な経験をしたものだ。
 今年の成人の日はとても穏やかに過ぎた。